■戦いは続くよ
さて、そんなわけで突如乱入してきた25万の中国軍に驚いてる間に、
アメリカ(国連)軍は、あれよあれよと38度線にまで押し戻され、
さらに再度ソウルを奪い取られてしまいます。
ちなみに最終的に中国軍の越境は100万人を超えたと見られ、
これは国連軍の全兵数の倍近い数でした。
(韓国軍を含むと1.3倍くらいだが、1951年までの激戦期間において
彼らは事実上、戦力になってないので無視してかまわない(笑)…)
市場管理が大前提の共産国家では、人命とスマイルは0円アルヨ、
と国家が設定してしまえば、これほど安い兵器はありませんから、
それを活用して、中国は人海戦術で勝負に来たわけです。
で、先にも説明したように、この間にアメリカ陸軍の現地指揮官、
ウォーカー中将が移動中の事故で死亡する、という悲劇が重なり、
アメリカ(国連)軍はプサン以来の大ピンチとなります。
そして、そこに登場したのが、恐らくアメリカ陸軍史上でも
最強の指揮官だったのではないか、と思われる
リッジウェイだったわけです。
ちなみに余談ですがウォーカーは第二次大戦中、
あのパットンの幕僚だった人物で、
自らをその後継者として任じていた様子があります。
が、得てしてこの手の人は上っ面ばかり追いかけて、
目標とする人物の本質部分を見失いがちです。
ウォーカーも例外ではなく、どうもパットンしない、否、パッとしない指揮官でした。
が、最後の最後、任務中に交通事故で死亡、というところだけは
憧れのパットン閣下と全く同じ、という不思議な人です。
でもって先に書いたようにこの博物館、韓国軍の活躍ばかり追っかけてるので、
どうもよくわからん解説になっております。
しかも解説はハングルばかり、正直さっぱりわかりません。
かろうじて漢字で竜門山というのが見えたので、
アメリカ(国連)軍がソウル奪回後、以後は自分たちでがんばりなさいと
韓国軍を全面に押し出した後の38度線辺りでの戦闘の展示だと思われます。
そこに手投げ弾とだけ書かれて展示されていたもの。
いや、まあそうでしょうが…。
これもどっかの戦場のジオラマらしいのですが…。
韓国軍が主力、という感じの展示ですので、これもソウル奪回後、
停戦まで2年間続いた38度線周辺での戦闘でしょうかね。
そんなわけで2度目のソウル奪回後、これ以上アメリカ人がここで死ぬ理由がない、
と考えたトルーマンとアイゼンハワーによって、前線の主力は徐々に
韓国軍に引き継がれていきます。
ただし半年やそこらで人員を育てる事が不可能な
航空戦力だけは最後までアメリカ(国連)軍が主力でしたが、
少しずつ、韓国軍も育成されつつあったようです。
右奥に見えてるは屋外に展示されていたF-51Dの模型。
手前の機関銃は、アメリカの航空機機銃の定番、
F-51(P-51)にも積まれていた12.7mm、M2機関銃。
銃弾付きの展示は珍しいですが、これ、実弾です。
ただしよく見ると、薬きょうの横に小さな穴があり、全弾から火薬は抜かれてます。
その銃口の前にあるのは地図板で、
メモやら地図やらをこれに挟んでおき、
飛行中に確認するのに使うもの。
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