■とにかく大砲でGO



奥に見えるのは中世のアジアの大砲といえばこれ、というフランキ(仏狼機)砲ですね。
朝鮮半島に上陸した秀吉プロデュース軍に対抗するため、
国境を越えてやって来た明軍が朝鮮にもたらしたのが最初らしいです。
以後、半島では広く使われていたそうな。

展示は例によってハングルのみでさっぱりわかりませんが、
1982年にソウル市内の工事現場から
1562年製の(すなわち明製の)フランキ砲が発見されてるはずで、
多分、これがそうじゃないかなあ、という気がします。
ただし、この博物館、実はかなりのレプリカが
何の断りもなく展示されてるので油断は禁物です(笑)。

砲の横に置かれてる短い筒状のもの(副砲)に弾と火薬を入れ、
砲身後部上面に空いてる口から詰め込んでドカンと撃ち出すらしいです。

でもって、さらに手前は何を考えていたか大変わかりやすい(笑)連装砲。
えらく銃身が短いので、これも例の木製ミサイル発射用かもしれません。
ただしジャイアントロボの手の可能性も否定できません。



同じく当時の大砲コレクション。
ここら辺りからは金属製の砲丸も登場してきます。
真ん中の砲は完全に破壊されてますが、秀吉の朝鮮出兵中の戦闘に使われた
大砲の一つだと考えられているそうな。

敵に破壊されたものではなく、発射時の爆発圧力で破断したらしいです。
ここまで原型を留めずに吹き飛んだとなると、周りに居た人も
ただでは済まなかったでしょうね…。



で、ようやく登場、当時の歩兵銃、火縄銃。

朝鮮半島および中国本土では小銃は鳥を撃つ位にしか使えないぜ、
という意味で鳥銃(鳥撃銃)と呼ばれ、ほとんど装備がなされてません。
この結果、朝鮮軍と明軍はさんざんな目に合わされる事になるわけです。

とくに鉄(鋼)で銃身を造るぜ、という発想がなかったようで、
高いガス圧をかけても破裂せずに高速に弾丸を撃ち出す日本の火縄銃は
かなりの驚きをもって迎えられたようです。

もっとも、攻め込んだ日本側は、当時なら世界相手に戦争できるぜ、
という豪華メンバーだったので、その点でも朝鮮側は気の毒ではあったのですが…。

これらは日本軍から分捕ったものか、戦後に作られたものだと思うんですが、
例によってハングルの解説しかなく、詳細不明。



そのほかの火器類。
壁にかけられてるロケット花火のような棒付きロケット兵器は
アジア大陸で広く使われたタイプで、
後のインドではイギリス軍が、これにかなり苦しめられてます。

恐らく中国が発祥の地だと思うんですが、このロケット兵器も謎が多くて、
詳細はよくわからないのです。
ここの展示でも例によって全く説明がない上に、
これ、適当な復元レプリカじゃないかなあ…。


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