■懐古の終焉



そこからの眺め。
結構、高いのでちょっと怖い。



さて、そこから橋を渡って入り口のほうへと戻りましょう。



当然、この下も谷。



このあたりは城の石垣などの構造がよく残ってました。

この辺りが城内でももっとも古い地域で、
かつて関が原に北周りで向った徳川秀忠が一時駐留したのはこの辺りとされます。
この間に、上田城に立てこもる真田一族と交渉し、
さんざん時間稼ぎをされた挙句に、合戦に巻き込まれてしまうわけです。

ただし、先にも書いたように小諸も、そしてその先にある上田も
中山道からは完全に外れてますから、
関が原に急ぐなら、こんな寄り道をする必要はありません。

実際は、石田三成側の勢力を一掃し、
信州方面の安定を図る目的で彼は出動していたようで、
関が原に向うというのは、その後から家康が命令を変更したものらしいです。
このため、合戦が始まってから、関が原への転進命令を受け、
あわてて向ったものの、間に合わなかった、という事になります。



先ほどの入り口の分岐に、反対側から戻ってきました。

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