■懐古園もそうだった
場内案内図。
右側が現しなの鉄道小諸駅で、あのあたりも、元々は城内でした。
なのでよく見ると大手門は鉄道またいだ向こう側にあります。
地図では見えませんが、画面の左側が千曲川で、
この城は川沿いのガケの上に位置してます。
小諸城はちょっと変わった立地でして、街中より低い位置に造られています。
すなわち、北国街道よりも高さ的には低く、
いざ篭城となった場合、上から攻め込まれる形になるため、
守り手にとって極めて不利な構造なのです。
この城の大筋の形が決まったのは戦国期、
武田信玄が進出して築城してから、
とされますが、戦国期の城としては実戦に向かない印象があります。
なんでまた、こんな位置にお城を?という疑問については
以前、地元の人に聞いた話だと、戦国期の街道筋は今と違って千曲川沿いにあり、
さらに船による運送もあったから、これを抑える目的で
川沿いのガケの上に築城したのではないか、という事でした。
つまり、現在の街も街道も、城の後からできたので、
結果的に変なお城になっちゃったものの、
戦国期には十分、機能する位置だったはず、という事らしいです。
なるほど。
さて、では城内に入りましょうか。
明治以降、ここは公園として整備され、懐古園という名になってます。
中にある資料館や美術館を見ないなら、入園料は300円ほど。
…で、右側に、また例の看板がありますね(笑)。
入っていきなり分岐点。
右に行くと本丸跡、左に行くと動物園。
…男としては、動物園でしょう、ここは。
この動物園は、なんともひなびた感じの、わびさびがあります(笑)。
大正15年開園で、長野県内では最古参の動物園なんだとか。
はい、今回も居ました、長野産の日本犬、川上犬の女の子。
ちなみに彼女がじっと見つめてる先にはアリの行列が。
…面白いんだ、それ。
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