■三菱 100式 指令部偵察機 III型 
キ-46 III型
Mitsubishi hyaku siki shirei teisatsuki type100-III/
Ki46-III 


日本陸軍が採用した司令部偵察機というジャンルの機体が、
このキ-46、いわゆる百式司偵です。
司令部偵察機ってのはなんじゃ、というと、よくわかりません(笑)。

その用語の定義は、年度別の陸軍航空本部兵器研究方針にあるほか、
陸軍現用主要飛行機定義という、
昭和15年ごろ各種機体の任務を説明したものに、それぞれ存在します。
で、これらは何言ってるんだかよくわからない上に(笑)、両者の内容も異なるのです。
やれ、困った。



イギリス RAF博物館 コスフォードにて


前者の昭和15年版では“主として航空作戦における神速なる情報の収集に任ず”とされ、
後者では“主として航空高級指揮官戦闘指導の為必要なる捜索に任ず”となっています。

これを日本語に直訳すると、最初の研究方針では、
航空作戦に必要な情報を高速で偵察する、となり
後者の飛行機定義では、
司令部が必要とする情報の捜索にあたる、となります。

前者では、高速が求められ、さらに航空作戦に対象を限定してるのに対し、
後者は司令部が女湯の盗撮が必要と判断さえすれば、それに投入するのも可、
という事ですから、要するに何でもありであって、ほとんど説明になってません(笑)。
当然、女湯の盗撮に速度はいりませんから、その要求も無いわけです。

が、とりあえず現実に完成したこのキ-46は、確実に速度を重視した高速偵察機でしたから、
現場の判断としては研究方針の方、高速で偵察をする、という定義を取っていたのでしょう。

で、これを指揮官のための航空作戦情報収集に使う、という事は、
前線の戦術レベルの作戦ではなく、
敵の航空基地などを偵察して、戦略的な大規模攻勢を行う、という事なのでしょうが、
日本陸軍の航空部隊が、そんな作戦を行ったこと、ありましたっけ…?

ちなみに昭和18年の春に満州に派遣された独立飛行第53中隊の中隊長さんが
戦後の回想で、任務というのは特別なにもなく、訓練ばかりやっていた、
と言ってますから、やはり造ったはいいけど、使い道に困ってたような気がします。

それ以外にも、当時は不可侵条約を結んだ相手であるソ連領内の偵察飛行を
コッソリとこの機体でやっていたようですが、これは航空作戦ではないし、
そもそも、昭和20年8月のソ連参戦後の日本軍の崩壊ぶりを見る限り、
その情報は何の役にも立ってなかったように見えます。

で、そんな機体だったんですが、最終的には
この100式司偵も日本の双発機の宿命ともいえる、
対B29用の防空戦闘機に改造されて行くことになるわけです。

ちなみに、第二次大戦時、専用の高速偵察機を開発した国は日本とドイツだけで、
連合国側は、既存のP38やスピットファイア、モスキートという
高高度&高速戦闘機を改造して使ってました。
ソ連はよく知りませんが、とりあえず高速偵察機の専用機がないのは確かです。

実際、敵が航空優勢を維持してる空域に突入するのが偵察機の任務ですから、
高速が出て、いざとなったら迎撃機相手に自衛戦闘もできる高速戦闘機は、
この手の任務に最適だったわけです。
開戦後に、高速偵察機の需要の高さに英米ともに気が付くのですが、
すぐに、戦闘機の改造で十分じゃん、という事になるわけで。

一方、ドイツは戦争後半になって、あらゆる機体が連合国の戦闘機より
低高度向けでしかも低速となった結果、こりゃあかん、
とジェット双発というデラックスな偵察機、Ar234を開発するわけです。
が、この機体、むしろ爆撃機型の方の活躍で知られる事になるのでした。
それなりに偵察任務もやってるんですけどね。


NEXT