■マーリンエンジンのタービンにおける進化について
でもって、スピットの初期型と後期型を分けるポイント、プロペラ枚数の増加も、
冷却系の強化も、結局はマーリンエンジンの馬力強化によるもので、
両者の差は実質的にエンジンの差である、と言って差し支えありません。
この差を呼び込んだのが、あの流体力学の魔術師、フカーなのでした。
彼が生み出したチョー強力過給器、
2段2速式スーパーチャージャーを搭載した、
マーリン60シリーズの登場が、スピットファイアをまったく別の戦闘機、
というくらいに強力なものにしてしまいます。
マーリン60シリーズ以降の2段2速過給器搭載型は、初期型で約1560馬力、
後に低空専用の高ブースト型では最大2000馬力まで絞りだしてました。
意外に知られてませんが、マーリン、一応(笑)2000馬力級エンジンなのです。
ちなみにMk.I に積まれていた一段一速のマーリンIIIは1160馬力前後、
より過給圧を上げた最終型でも1375馬力ですから、
過給器の差で、両者はもはや同じエンジンとは思えない
シロモノになってしまったわけです。
そして、そのメリットは高馬力だけではありませんでした。
より強力な過給器によって一気に大量の空気をエンジンに送り込める、という事は、
空気の薄い高高度でもパワーが発揮できる、という事を意味します。
これによって、以後、イギリス空軍はそれまでライバルだった
ドイツのMe109とFw190を高高度性能で寄せ付けず、
以後、この優位を活かして、ドイツ空軍、ルフトヴァッフェを圧倒して行きます。
高オクタン価のガソリンを持たないドイツ側は、
この劣勢をジェットエンジン搭載のMe262の登場までひっくり返せませんでした。
さらに、この60シリーズのマーリンエンジンがアメリカに渡って
パッカード マーリンのV-1650シリーズとなり、
あのP-51B型以降、いわゆるマーリン ムスタングを生み出すわけで、
まあ、恐るべきエンジンだったわけです。
では、その性能を生み出したカギ、フカーによる
2段2速過給器って何よ?というのを少しだけ見ておきませう。
まずは1段1速、というか通常の無印過給器を積んだマーリンIII型。
エンジン後部のゴチャっとした部分が機械式過給器、
エンジン出力の一部を奪ってタービンを回すスーパー チャージャーです。
同じ過給器でも、エンジン排気の力でタービンを回す
排気タービンとは構造的に別物ですから注意。
対して、こちらが2段2速式 過給器を積んだマーリン60シリーズ。
ただし写真はアメリカ製のパッカードマーリンV-1650ですが、ほぼ同じものと思って問題なし。
エンジンの後ろ、右の矢印の先にあるスーパーチャージャー部が
より大型化してるのがわかりますかね。
その上、左の矢印の先にあるのが、
高圧の空気を効率よくエンジンに送り込むための吸気冷却装置、インタークーラー。
空気を高圧にすると温度も上昇するのですが、それだと空気が膨張して
同じ体積でも、実質的にシリンダーに送り込める量が減ってしまいます。
なので、ここで一端冷却、その密度を上げエンジンに送り込む装置です。
マーリンのインタークーラーは液冷構造を持つのですが
(左下に出っぱってるのはその循環用ポンプ)、
これをここまで小型にしてしまったフカーの開発チームの能力は賞賛に値します。
おかげで後期型スピットファイアは最低限の改修で
(胴体が約35cm(1.15フィート)だけ長い。恐らく機首部と尾翼部を延長)
従来の機体に、そのままこの高性能エンジンが積めたわけです。
そんなわけで、とにかく重要な過給器なんですが、
皆さんあまり興味が無いのか(笑)、
世界中の航空博物館でもほとんどまともな展示がありませぬ。
写真は初期型1段1速マーリンのカットモデル。
エンジン後部の過給器の羽根車が
辛うじて見えるコスフォードのRAF博物館の展示です。
画面中央付近、矢印の先に見えてる銀色のが圧縮用羽根車の加圧室で、
右側の吸気管の下から入ってきた空気がここに送り込まれ、
あの銀色の羽根車で圧縮されます。
1段で1速、つまり何も工夫はないですから(笑)、単純明快、あの羽根車が
エンジンのクランクシャフトから動力をもらって回転、
遠心力で中の空気を外側に押し込んで圧縮してます。
その後、その加圧された(同じ体積でもたくさん詰まった)空気が
エンジンに送り込まれてるわけです。
ちなみに、私認定で航空エンジンの過給器の機構が世界一わかりやすく展示されてるのは、
都立産業技術高専
荒川キャンパスという気が遠くなるような長い名前の学校の展示で、
下の写真の三菱火星エンジンのカットモデルです。
ちなみに火星エンジンは1段2速過給器を搭載。
矢印の先の部分が加圧用の羽根車で、
火星エンジンは1段(1stage)圧縮なので羽根車はこれだけです。
2段過給器の場合、この後ろにちょっと小さな羽根車がもう一つ付いており、
一つ目の羽根車で圧縮された空気を後部でさらに圧縮します。
この羽根車の形で何となく判るかと思いますが、
これは扇風機や換気扇のような構造ではなく、
円盤上の板部に空気を押し付けながら高速回転、
その結果、遠心力で外側に飛ばされる空気を
タービン室の壁に押しこめて圧縮するものです。
これが遠心圧縮と呼ばれる機構で、初期のジェットエンジンにあった
遠心圧縮式というのは、基本的にこれと同じ構造で圧縮をやってます。
実はこれを逆に利用して、吸気側に低圧部を生み出してるのが
ご家庭にある掃除機で、
もし手元に分解可能な掃除機があれば、分解し、
その構造を理解してくださいませ(笑)。
わかる人には、この掃除機の上部構造は、
なんで遠心ジェットエンジンみたいな構造が乗ってるの?というものもありますね。
このため、実用性を別にすれば(笑)遠心圧縮エンジンを積んだジェット機の
空気取り入れ口にホースをつないだら、そのまま掃除機になります。
(ただし最近の掃除機は軸流ジェットエンジン式(笑)ファンもあり、
分解してみたら違う可能性も。が、そこら辺りは自己責任でお願いしますね)
その手前の大きな歯車は過給器の変速機で火星エンジンは2速ギアでした。
これは高度によって異なる理想の吸気圧に調整するため、
羽根車の回転数を調整するためのもの。
大気密度の濃い低高度と、大気密度が薄い高高度では
圧縮に必要な羽根車の回転数が異なります。
(分間回転数(RPM)で発生する遠心力が変わってくるから圧縮率が変わる)
なので、低高度用と高高度用の
それぞれの回転数にあわせた変速機(ギア)を搭載、
基本的には高度の変化に合わせて自動的にギアチェンジするようになってます。
スピットは当初、インタークーラーにサーモスタットをつけて、
温度に反応して羽根車のギアの高低を換える(高温になり過ぎないようにする)
という変な構造だったのですが、すぐに廃止になったようです。
その後の自動変速装置の構造は不明ですが、おそらく高度計に連動してると思います。
そんな感じで加圧用の羽根車の回転速度を
低高度、高高度で切り替えるのが2速式過給器なのです。
ちなみに旧日本軍ではこの「2速」式過給器は実用されていたものの、
マーリンのように羽根車を二つ並べる
「2段」式過給器は実戦には投入されずに終わってます。
すべての量産エンジンが、この火星エンジンのように
タービンは1個しか付いてない、1段式過給器だったわけです。
この辺りは技術的な問題もさることながら、
そこまで高圧縮にしても、それに耐えられる
高オクタン価のガソリンが無かった、という問題もあったように思います。
高オクタンガソリンが無いと、結局、高圧縮によるノッキングと
それによるエンジン破壊が避けられず、
むしろデメリットになる可能性が高いからです。
(水メタ噴射でシリンダー内温度を下げる手もあるが限界がある)
といった感じに、高圧縮の空気をいい感じにエンジンの燃焼室に送り込んでやるのが、
フカーの開発した2段2速式スーパーチャージャーの役目でした。
内燃機関では、圧縮率が高いほど出力が上がりますので
(内燃機関の熱効率は圧縮率に比例する)
これがエンジンパワーの増大に直結して行きます。
高温高圧でもノッキングを起こさない高オクタンガソリンが豊富にあった
連合軍ならではの贅沢な装置、というところですが、
これを理屈でわかってるだけでなく、現実にキチンと装置として完成させてしまうのが、
フカーの才能の恐るべき点だと思います。
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