■川西 紫電改 21型(N1-K2J)
Kawanishi siden(-kai) type21(N1-K2J)/ George II

第二次大戦末期、1944年12月に初飛行した
日本帝国海軍の戦闘機。

海軍の戦闘機なのに艦載機としての機能を持っておらず、
陸上運用の戦闘機として開発されております。
すなわち月光、雷電といった先輩たちに続く、海軍の陸上戦闘機ですね。
とりあえず後に艦載機型の開発も決定されますが、
結局、実際には生産されてませんでした。

まあ日本帝国海軍の場合、陸上基地から中国大陸相手に
戦略爆撃までやってましたから、もはや何でもありなんでしょう(笑)。
とはいえ、こんなに陸上機をバンバン開発する海軍は、
人類60万年の歴史において私は他に知りません…。



日本軍機全般に言えることですが、結局どう呼べばいいの?
という問題が大きいのもこの機体の特徴でしょう。
ざっと並べてみるだけでも

●N1-K2(初期型)/N1-K3(後期型)●1号局地戦闘機 改 ●試製 紫電改
●紫電 21型(初期型)/紫電 32型(後期型) ●J改 ●紫電改

と書いてて疲れるほどあるため、
とりあえず、この原稿ではもっとも一般的な紫電改としておきます。
ちなみに米軍側の呼称はGeroge(ジョージ)ですが、これは先代の紫電と同じで、
終戦間際になって、George II という名前が与えた、と言われてますが、
現在でもアメリカの書籍などでは単にGeroge と書かれてる事が多く、
紫電との区別はあまりつけられて無かった感じがあり。

大戦末期に多大な期待を負ってデビューした機体だけあって、
いろいろ言われてるのが、この紫電改ですが、
そもそも総生産数400機前後で終わってしまっており、
性能以前の問題として、戦力になってないでしょう。

この生産数の少なさは日本の工業力の限界と、
アメリカの戦略爆撃の破壊力、その併せ技でした。

主生産工場だった鳴尾は1945年4月ごろ、
ようやく月産60機(それでも年間520機…涙)を超え始めるのですが、
その直後、1945年6月上旬から始まった一連の爆撃でほぼ工場は壊滅します。
このため以後、補助工場ともいえる姫路と併せても終戦まで
約40機前後しか生産できてません。

その結果、戦力としての紫電改は事実上存在しなかったようなもので、
戦局全体にはなんら影響を与えない状態のまま終戦を迎えるわけです。

機体の性能に関しては2000馬力級の誉エンジンを搭載、
自動空戦フラップと言った新技術もあったようですが、
ここら辺りのきちんとしたデータを持ってないので、なんとも言えませぬ。

が、いずれにせよ1945年デビューとなると、
ソ連以外の主要参戦国(イタリア落脱済み)の戦闘機は
ジェット機へと変わりつつあった時期で、
この段階でせいぜい2000馬力で最高速度650q/hの戦闘機、
といわれてもなあ、というのが正直な感想です。
これも偉大なる平凡、という辺りが正当な評価じゃないですかね。

例えば自動空戦フラップは動作原理も装置(前縁スラット)も違えど、
Me-109に同じような装置が最初から付いておりましたが、
これの評価はパイロットによって、かなりまちまちで、
エースパイロットでも否定的な意見が少なくありませぬ。
紫電改のも、話半分に聞いておいた方がいい気がします。


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