■ハインケルHe-219 (ウーフー)
Heinkel He-219(Uhu)
大戦後半、1943年の夏に登場した、
複座、二人乗りのドイツの夜間戦闘機。
ウーフーというのはワシミミズクの一種らしいです。
タヌキやイタチはおろか、子鹿を襲った記録もあるらしいので、
「ミミズク」といっても、そうとう強力なようですね。
で、本機の愛称も正式なものではなく、
おそらく現場のパイロットたちの呼び名だったみたいです。
ドイツ機、このパターン多いような…。
高性能夜間戦闘機として知られてますが、
知名度の割には実戦投入された数は少なく、
全生産数は日本やイタリア並に貧弱な280機以下と見られてます。
(ハインケルの帳簿上では268機らしい)
この点について、当時空軍の生産・開発部門の責任者だったミルヒ元帥が
この機体の量産を妨害したことは有名です。
これをハインケルとナチスの政治的な駆引き、と見る事もありますが、
その問題が出てきた1942年後半だと
既にシュペーアが軍需担当大臣に任命され、
無駄な生産を徹底的に排除しようとしていた時期と重なります。
なので、この機体が本格量産に持ち込まれなかったのは、
既存の機体の改造で済んだMe-110やJu-88の方が
より素早く量産に入れて、生産性もいい、そして夜間戦闘機は
そう何種類も要らない、という現実的な判断もあったと思われます。
とりあえず、そういった量産の失敗を含めて
悲劇の戦闘機といった扱いをされる事が多い機体ではありますね。
今回紹介するのはスミソニアン別館こと
ウドヴァー・ハジーセンターにある世界唯一の現存機です。
10年近く前に胴体展示が開始された後、
数年前にエンジン周りが追加されたものの、
肝心の主翼と、脚回りは未だに無いままとなってます。
とりあえず2013年の段階でこの状態でした。
ところが、この記事を書くので確認したところ、
2014年7月に主翼のレストアが終了したそうで、
2014年中、少なくとも2015年までには主翼の展示が始まると思われます。
合体させるのか、パーツのままの展示なのかはわかりませんが。
誰か、現地に行かれる方がいたら情報ください(笑)。
ただし、脚周りのレストアがまだなので、
完全状態になるのは、もうちょっとかかりそうです。
軽く機体について解説しておくと、
元々は双発高速爆撃機として開発されていた
P.1055という機体があり、それが空軍に採用拒否された後、
夜間戦闘機に改修されて完成したのが、このHe219です。
ただし、この間の過程は資料によってだいぶ異なるので、詳細は不明。
で、その原型となったP1055を設計したのは、あのローベルト・ルッサーです。
元メッサーシュミット社(旧
Bf
社)の開発責任者で、
Me-109とMe-110を生み出した人物ですね。
ただし夜間戦闘機への仕様変更中に、
彼は社長のハインケルと衝突したようで、1941年の段階で
ハインケルを去り、フィゼラー社に移って、
あのV-1飛行爆弾の設計に入っちゃいます。
ただし、この段階ではHe-219とはかなり異なる機体だった、
という話もあり、ルッサーの影響がどこまで残ってるのはよくわかりません。
ちなみにルッサーは戦後はアメリカに呼ばれてアポロ計画に参加、
安全性確保のための品質管理の基本原則、
ルッサーの法則を生み出してます。
この人もスゴイひとなんですよね(笑)。
で、先にも述べたように、空軍内でも夜間戦闘機は既存の機体の改造でいい、
とする意見と、いや、このウーフーの方がはるかにすごいのだ、これで行く
という意見が対立、結論が出ないまま、
1943年の6月にHe-219の実戦投入が行われてます。
この時出撃したシュトライプが一晩で5機の撃墜を報告、
これによってウーフーの高性能が実証されたわけですが、
先に述べたような理由で、結局、終戦まで
大規模な生産は行なわれませんでした。
ただし、当時のパイロットの手記などによると、
必ずしも現場で人気があったわけではなく、
慣れ親しんだMe-110やJu-88を好む場合も多かったとか。
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