スーパーマリン スピットファイア F Mk.24
Supermarine Spitfire F Mk.24


グリフォンエンジン搭載のスピットファイアは大きく二つの世代に分かれます。
最初の世代は従来のスピットの機体と主翼を改修しながら使っていたMk.XII(12)、XIV(14)、
そしてXIV(14)からさらに改良が行われたMk.XVIII(18)の三つ。
このうち、Mk.XVIII(18)は戦争に間に合わず、終戦後の登場となりました。
ちなみにMk.XV(15)とMk.XVII(17)が無いのは海軍のシーファイアの型番だから。
ついでにXVI(16)はマーリンスピットのMk.IX(9)のエンジン生産地違いの最終型ですな。

そして機体設計を一から見直して、ほぼ新型機として造られたのが
いわゆるMk.20番台シリーズで、Mk.21、22、そして今回紹介するMk.24の三兄弟です。
この20番台からさすがにイギリス人もよくわからなくなったのか、
普通のアラビア数字表記になってます。
まあ、Mk.XXIV とかになったら書くだけでも面倒ですから…。
ついでにMk.23が無いのは新型主翼のテスト機だったから。
(Mk.XIX(19)は偵察型スピット、Mk.XX(20)はグリフォンエンジン搭載試作機)

そんな大改修1号Mk.21が1945年1月に初飛行、部隊配備が始まるものの、
これは120機だけしか造られませんでした。
どうも最初から電源電圧が貧弱、という妙な問題を抱えていたようで、
わずか2ヵ月後には電源電圧を従来の12Vから24Vに強化したMk.22が初飛行、
こちらが量産に入ることになります。
が、そのMk.22も結局2ヵ月後には終戦を迎えてしまったため、
300機以下の生産数で終わることに。

で、そのMk.22の燃料タンクを増設したり、新型ロケット発射架を搭載した発展型が
今回紹介する空軍最後のスピットファイア、Mk.24となります。
ついでに、今回の写真を見ていて初めて気がついたのですが、
尾翼部も大幅に改修されてますね、これ。
この機体、部隊配備開始は1946年3月と、
ヨーロッパ戦終了後1年近く経ってからになったため、
わずか81機が造られただけ、しかもそのうち27機はMk.21からの改造で、
実際に新たに製造されたのは、54機のみでした。

ちなみにMk.24にはヒスパノ20mm機関砲を片翼2門ずつ、計4門搭載した型の
主翼しかないので型番に主翼の名前は入りません。
さらに高度別の種別でも、中間型のF型しか造られてないみたいです。



今までだったらそんな小改造ぐらいでは型番変更なかったのに、
なぜか20番台一族は、すぐに型番が変わる、という妙な傾向があります。
MK.IX(9)だって燃料タンクの増設(コクピット後部)をしてますし、
それどころか水滴キャノピーにまで変化しながら、最後まで型番の変更は無かったのに…。
ここら辺りの理由は、どうもよくわかりませぬ。

とりあえず、今回紹介するのはRAF博物館ロンドンにあるPK724機。

当然、戦後に生産された機体ですが、工場で途中までMk.22として造られていた機体を
Mk.24に改修して生産してしまったものだとか。
たたし工場から出てくる段階でMk.24だったんで、
最初からMk.24として生産された54機の中の1機です。

ちなみにMk.21まではまだハイバック型があったのですが、
Mk.22以降は全て水滴キャノピーのローバック型になったようです。

展示の機体は、1946年2月に初飛行してますから、
そこそこ早い段階で造られた機体なんですが、
いくつかのテスト飛行後、しばらく放って置かれます。
その後、翌47年4月に近代化改修のために工場に送られ(今更何をと思いますが…)、
それが終わった後はまたしばらく放って置かれます(笑)。

結局、ホッタラかしにされたまま、1950年1月には退役となり、
飛行記録によると、現役3年10ヶ月の間の飛行時間は
なんと全部合わせてもやっと7時間だったとか。

いやもう、完全に要らない機体だったわけで、
戦後、絶望的に金が無かったはずのイギリスが、
なんでそこまでして生産を続けたのやら。
グリフォンスピットには後で説明するような存在価値があるんですが、
だったらMk.XIV(14)までで十分でしょうと思うわけです。
普通に考えると軍と軍需産業の癒着の臭いが強くしますが、
なんら証拠は無いので、詳細は不明として置きます。

ついでに言うなら、従来型スピットの延長の最終型、MK.XVIII(18)は
この完全新型の20番台スピットが登場後も、なんだかんだで
開発と生産が続いており、これまた何の必要があるんだか理解に苦しみます。

そんな機体ですから、退役直後にそのまま保存に回していたら、
世界有数の保存状態良好な現存機になれたんですが、
例によってイギリス人はこれを各地で引っ張りまわし、
地上教材として使われたり、例の基地のゲートガードを4年も勤めて雨ざらしにして置いたりで、
かなりボロボロのコンディションにしてしまいました。
さらにこれまた映画「空軍大戦略」の犠牲にされ、フライアブル一歩手前まで、
かなりアチコチに手を入れられてしまっています。

それでも、イギリスにある大戦末期のスピットファイアとしては
比較的まともな状態を維持しており、レストアもそれなりにしっかり行われてますから、
最後のスピットファイアとして、キチンと見ておいて損はないと思います。





ちなみに、スピットでもこの辺りに来ると
イギリス人も完全に興味を失ってるようで(笑)、情報が錯綜してます。
参考までに、ここで旧世代グリフォンスピットと新世代グリフォンスピットを並べて見ましょう。
下が旧世代、タイ空軍博物館のMk.XIV(14)ですが、比較的近い角度から両機を撮影した場合、
例によって明らかに違うぞ、という特徴を見せるのはまたも垂直尾翼です。

明らかにMk.XIV(14)の垂直尾翼の舵面の方が大きいのですが、
この点を指摘した資料が全く見当たらず、
それどころか全長はMk.24の方が2cmほど長い、とする資料が見られます。

現存の両機とも、胴体の寸法が変わるほどの改修はされてないはずで、
となると、どう考えても、従来のデータは変だと思われます。
ここら辺り、自分で巻尺持って計ったわけではないので、断言はしかねますが、
どうもMk.24辺りまで来ると、信頼できる資料が限られるようで、今回の記事では
従来の資料ではどうもおかしい、と思う部分は全て無視して行くことにしました。

なので、本国の専門家の解説とは違うよ、という部分が出てきたりしますが、
イギリス人でも以前に出回った資料を適当に孫引きしてるだけ、
という場合が結構あるため、今回の記事は自分の目を信じることにします。
この点はご了承あれ。


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