■スペースシャトル飛行団

では、ここで各軌道船について少し説明しておきましょう。
軌道船は全機がノースアメリカン・ロッウェル社、
後のロックウェル インターナショナル社の
カリフォルニアにあるパ-ムデオ(Palmdale)工場で組み立てられてます。
ちなみに、いくつかの部位は別のメーカーの工場で作られた後、ここに持ち込まれており、
例えば主翼と尾翼の製造はグラマン社が担当してました。

ついでに各機体の命名は、未知の地域への探検や科学的な分野での貢献があった
歴史上に名を残す船舶から取られてます。


●OV-101 エンタープライズ



■photo : NASA

宇宙冒険をテーマとしたTVドラマ、スタートレックの宇宙船から命名。
…まあ、未知の領域を探検する船ではありますね。

とりあえず大気圏内試験用として
宇宙飛行に必要なエンジンなどを取りつけぬまま完成した軌道船の1号機。
本来は実験終了後、宇宙飛行可能な状態へ改装されるはずだったのに、
最終的に中止になったのは既に説明した通り。


●OV-102 コロンビア



■photo : NASA

実際に宇宙飛行が可能となった最初の軌道船。
その名はアメリカ独立直後、北米西部海岸を探検した帆船の名から。
ちなみにアメリカ北西部を流れる大河、コロンビア川の名は、
この川をアメリカ人の船として最初に現地を探検した、
そのコロンビア号の名から取られてます。

先にも書いたように1981年4月12日(アメリカ東部時間。以下同)に初飛行。
以後28回の宇宙飛行を行って、最後は2003年2月に事故で失われます。

でもってコロンビアは一号機という事もあって、
この機体だけ、という珍しい幾つかの記録を持ってます。
まずチャレンジャーが登場するまで、最初の五回の打ち上げは(STS-1〜5)、
すべてコロンビア号でした。
同じ機体が4回以上連続で打ち上げられたのはこの機体だけです。
ちなみに4回目までは衛星等の搭載物が無いテストフライトで、
5回目からが実用飛行となってました。

その内、1回目と4回目(STS-1&4)の2度だけシャトルを運用する
最低乗員数2名だけで打ち上げられてます。
これは初飛行による機体のテスト(STS-1)、及び軍事利用の機体テスト(STS-4)だったため、
純粋に飛ばしてデータを取るだけ、という面があったと思われますが、
STS-4の場合、軍事機密のせいで搭乗員を制限した可能性があります。
シャトルが最低必要人数だけで打ち上げられたのはこの2回のみです。

参考までに軌道船の最大乗員は8名で、
STS-61AとSTS-71の2回だけ、この人数で運用されました。
ただし最初から最後まで8人だったのは西ドイツが金を払って実験を主導した
STS-61Aの時だけで、STS-71の時は、
ロシアのミール宇宙ステーションから帰還する宇宙飛行士を載せたため、
地球帰還時にだけこの最大人数になったものです。
ちなみに通常は4〜7名の人数で運用するのが一般的です。
(ただし後で述べる救出飛行の場合、救出シャトルに4人、
事故シャトルに最大7人いるので、帰還時には11人乗りとなる。
どうやって座席を確保していたのか、詳細は不明だが…)

また、シャトルの最長、最短飛行記録は両方ともコロンビアによるもので、
最短記録がテスト飛行だったSTS-2の2日と6時間13分、
最長記録がSTS-80の17日間と15時間53分でした。
17日間の宇宙旅行ってスゴイな…
ついでながら、シャトルの飛行任務は後期になるほど長期になっており、
1993年ごろまでは10日未満の飛行が普通だったのに、
以降は10日以上の飛行が多くなり、2000年後半の飛行からは
全て10日以上の飛行任務となってました。

ついでにスペースシャトルの着陸地は、アメリカの東西で2か所あり、
西部のカリフォルニア州エドワーズ空軍基地、そしてもう一つが東部でNASAの地元、
フロリダ州のケネディ宇宙センターの滑走路でした。

が、実はもう一か所、緊急避難用として準備されていた場所があり、
それがニューメキシコ州のミサイル実験場跡に造られた
ホワイト サンズ宇宙港(White Sands Space Harbor)でした。

ここはたった一度だけ実際に使用されたのですが、
それがコロンビアによる実験飛行3回目、1982年3月のSTS-3の時で、
この時はエドワーズ空軍基地が大雨で滑走路が水没、
使用不能となってしまったため、こちらに着陸したのです。
この時はまだテスト飛行ですから、あえてホワイトサンズを選んで
その実用性をテストした可能性もあります。



■photo : NASA

日本全国386万6874人のスペースシャトルファンを悩ます謎の写真、砂漠に着陸してるコロンビア号。
カリフォルニアのエドワーズ空軍基地のシャトル用滑走路も、当初は舗装されてなかったので、
(砂漠の硬い岩盤を使ったいわゆる湖底(lakebed)滑走路だった)
それかと思ってしまいますが、いかせん周囲に何もないうえに、
あんなデカい山、エドワーズの近所で見たことが無いはず。

なんかの合成写真かと思ってしまうかもしれませんが(例えば私だ)
これがホワイトサンズの滑走路で、第3回目の飛行任務(STS-3)で
一度だけ使われた時の写真なのです。

ちなみに、この段階ではまだ宇宙港ではなく、
この緊急着陸後、当時のレーガン大統領によって、
正式に宇宙港(Space Harbor)の指定を受けました。
ただし、結局、使われたのはこの時だけで、ある意味、幻の宇宙港なのですが、
とりあえず2016年現在でもNASAの施設は残ってるようです。



■photo : NASA

おそらく世界で一番安っぽい滑走路に、世界で一番高価な機体が着陸したのがこの時の
軌道船の着陸だったのですが、さらにすごいのはNASAはその回収機、747SCAをここに送り込み、
砂漠の滑走路に着陸の上、コロンビアを搭載し
最終的に未舗装の岩盤滑走路から離陸までさせてしまってるのです。

以前、少年ジャンプの漫画で、ジャンボジェットをアメリカの砂漠に緊急着陸させる、
という話があって、荒唐無稽、と非難されてましたが、
実は可能なんですよ、それ。
それどころか離陸までできちゃうわけで。

ここは砂漠の軍用滑走途にありがちな石灰を撒いて固めただけの滑走路です。
アメリカ西部らしい、砂の砂漠ではなく、全てが吹き飛ばされた
岩の砂漠なんですが、それにしても、何重ものアスファルト塗装の滑走路で運用される
重量級の747、さらにそこに軌道船まで載せてよく滑走路がもったなと思います。
まあ、事前に調査したうえで、ここを緊急着陸地に選んだんでしょうが…。

747背後のすさまじい砂煙はおそらく舗装用の石灰が乾燥して吹き飛ばされてるもの。
エンジン前部からこれだけのホコリが入り込んだら
ただじゃすまないでしょうから、ホントによくやりましたねえ…。
ぜひ現場で見て見たかったです、この光景。
ついでに相当な大型クレーンが無いとシャトルをここに持ち上げられないはずで、
意外にそういった設備はあったのでしょうか。

でもってコロンビアは最初のスペースシャトル軌道船として、各種実験機材を搭載、
試験終了後はこれを降ろし、さらに3号機となる(宇宙船としては2番目)チャレンジャーで
大幅に追加、改良された各種機材を積み込む必要が出てきます。
このため、3号機のチャレンジャーが初飛行し、4号機のディスカヴァリーも既に完成していた
1984年1月から1年半に渡り、再度ロックウェルの工場に戻って改修工事を請けてます。
個人的にはこれ以降をコロンビア後期型、と呼んでますが、
外から見て簡単に見分けるのは不可能に近いんで、ここでは詳しくは触れませぬ。
(後で触れる主翼上面の文字で見分ける事は可能なんですが)

ただし、この改修を受けた後も、他のシャトルに比べてかなり重かったようで、
その貨物搭載量は、全軌道船中、最低となっていました。
このためもあってか、コロンビアはその運用中、一度も国際宇宙ステーション(ISS)への
運送任務に使われた事がありません。
(ドッキング用のモジュールが積めなかったという話もあり)

さて、コロンビアは、その最後の飛行となった、
2003年2月の飛行任務STS-107で大気圏に突入後、分解、墜落してしまい、
シャトルの軌道船としては2機目の損失となりました。

原因は打ち上げ時に左主翼付け根の耐熱部品が損傷し、
大気圏突入後、そこが破断、高熱、高圧の衝撃波背後熱によって
左主翼が一気に破壊されてしまったためでした。

例の外部燃料タンクは液体酸素と水素を維持するための断熱材で囲まれてるのですが、
その一部が発射時のショックで剥離して落下してしまいます。
この剥離落下そのものは以前から何度か発生してたのですが、
この時は、これが左主翼の付け根に衝突して断熱材が破損してしまうのです。

その結果、最終的に大気圏に突入した後で、ここから機体の崩壊が起きてしまうのです。
大気圏突入直後は、凄まじい速度ゆえに強烈な衝撃波が機体正面に発生、
その背後には高圧高熱の圧縮空気が生まれ、機体正面、
そして左右に出っ張った主翼正面ははこれにさらされる事になります。
このため、主翼付け根の破損部の断熱材が高熱高圧に耐えられなくなり破断、
(温度だけではなく、強力な圧力が加わるのに注意)
そこから高温高圧の空気が一気に主翼に流れ込んでその構造を破壊、
後は一気に機体分解へと突き進んでしまう事になりました。
乗員7人は全員死亡してます。

ちなみに、この事故は打ち上げ後の映像解析から、
その発生はある程度まで予測されてました。
そしてこの時は奇跡的に、アトランティスが次の打ち上げ計画STS-114の準備に入っており、
本気で事故防止に取り組んでいれば、これを打ち上げて乗員の救助は可能でした。
ところがNASAの上層部はアトランティスによる救助計画を拒否してます。
この辺り、1回650億円以上もかかるシャトルの打ち上げを、ただ救助のためだけに使う、
という判断をNASAの上層部がためらったようにも見えます。
人の命と宇宙開発コスト、という面からも教訓の多い事故です。

ただし、この救難を渋った事が事故調査委員会から指摘され、
多くの批判にさらされたため、事故後に再開されたSTS-114以降の飛行では
打ち上げ後、救助用のシャトルが1機、常に別の発射台で待機する事になります。
こちらは通常の任務と区別するためSTS-300番以上の番号が振られてました。
最終的に一度も出動せずに終わってますが、
発射台に乗せるだけでも、そうとうなお金がかかるでしょうから、
これがシャトルの運用寿命を縮めた一因なのかもしれません。


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