■とにかく金がかかるのだ
公式なスペースシャトル計画の始まりは、1969年2月にさかのぼります。
この年の7月にアポロ11号が月着陸が予定されており、
いよいよアポロ計画は大詰めに入ってました。
で、次はどうしよう、という事で当時のダメ大統領最強キング、ニクソンが
副大統領のアグニュー率いる宇宙関連業務会(Space
Task
Group)に対し、
以後の宇宙計画の立案を命じた事が、その始まりです。
(NASA設立時、1958年に有人飛行全体を管轄する組織として立ち上げられた
宇宙関連業務会(Space
Task
Group)とは同名の別組織なのに注意。
こちらはアポロ計画発動と同時に発展解消されてる)
この時、アグニュー率いる宇宙関連業務会がその最終報告として提案したのが
■再利用可能で、頻繁に地球と宇宙を行き来できる宇宙船
(Space
Transportation
System)の開発
■永続的な使用を前提とした地球軌道上の宇宙ステーション、
さらには月面基地の開発
■火星への有人飛行計画
の三つでした。
とりあえず一つ目の提案が後のスペースシャトルに繋がるのですが、
どれもこれも野心的な内容でして、特に下の二つの計画なんて、
それから45年以上も経った2016年でもまだ実現してません。
当時の技術では、相当な困難を伴ったかと思われます。
が、それ以前の問題として、膨大な予算を食いつぶしてしまった
アポロ計画への風当たりが強まっていたのです。
実際、アポロ計画が終了となる1969年までの予算は文字通り桁違いになってました。
もはや狂ってると言っていい規模だったのです(笑)。
とりあえず当時のNASAの歳出を見ると以下のようになります。
年度 |
歳出(万ドル) |
1961(アポロ始動) |
74400 |
1962 |
125700 |
1963 |
255200 |
1964 |
417100 |
1965 |
509200 |
1966 |
593300 |
1967 |
542500 |
1968 |
472200 |
1969(月着陸) |
425100 |
アポロ計画が本格的に始動し始めた1962年は前年度の1.68倍、
以降65年まで、2.03倍、1.63倍、1.22倍と凄まじい勢いでNASAの歳出は増加してるのです。
ちなみに最大額となった1966年の時は実に国の歳出(Total
outlays)の4.4%を
NASAが占めていることになってました。
その1966年にNASA以上の歳出があったのは国防省と
退役軍人省(Department
of Veterans
Affairs)だけですから、事実上、
国で3番目の予算規模を持つ組織がNASAだったのです。
ついでながら同年のアメリカ国防省の歳出ははざっと国全体の42.1%を占めており、
さらに軍人年金、遺族普及などを行う退役軍人省の歳出が
ほぼNASAと同じでしたから、この年の全歳出の半分が、
軍事と宇宙という、生産性の薄い領域で消えてしまった事になります。
…ホントにまあ狂ってますね(笑)。
全くもって非生産的な支出で国家予算の半分が消えてしまっては、
通常の国家運営には無理があるでしょう。
実際、この後遺症は1980年代後半に入るまで15年近く続き、
アメリカは戦後最悪と言える時代を迎える事になります。
ベトナム戦争もアポロの全てケネディの遺産ですから
あのお坊ちゃんの火遊びは極めて高いツケを
アメリカに支払わせた、とも言えますね。
が、当時はまだベトナム戦争真っ最中であり、
さらに冷戦中でもあるわけで、軍事予算はそう簡単には削れませぬ。
(本来なら無理しても削らなきゃいけないのだけども…)
よって真っ先に狙われたのがNASAの予算で、
この結果、アポロ計画終了となった1972年には342300万ドル、
1966年から見て43%の大幅な予算削減が行われてます。
となると、有人火星飛行計画なんて出来るわけありませんし、
月面基地、宇宙ステーションも厳しい。
そんなわけで、結局、再利用可能で、従来のロケットより
頻繁に宇宙に行ける宇宙船、後のスペースシャトルの開発だけが
ようやく議会で承認され、その他は全て却下されてしまうのです。
ちなみに、1998年に建設が始まった国際宇宙ステーション(ISS)は
この時よりもずっと後、1984年に当時のレーガン大統領が計画を発表したもので、
この時の提案とは全く無関係です。
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