■それ以外の機体たち
とりあえずT-6の大ヒットでメーカーとして生き残るメドが立ったノースアメリカン社ですが、
実はそれ以外にもいろいろやっておりました。
ほとんど知られてないと思われるその辺りも少しだけ見て置きましょう。
まずはこれ、NA50、NA68、そしてP-64戦闘機。
名前が三つあるのは納入国の違いで、中身は同じ機体です。
■Photo US Airforce / US Airforce
Museum
ムスタングがノースアメリカン社最初の戦闘機、とされる事が多いですが、
実は戦前にP-64なる怪しい戦闘機を造ってました。
ちなみにこの機体の開発にもシュムードは関わってますが、
これまたどこまで担当したのかよくわからず。
そもそもは1938年に南米のペルーが安価な戦闘機を造ってほしい、
とノースアメリカン社に開発を持ち掛けた機体でした。
カーチス社のホークシリーズのように、この時代のアメリカ航空機メーカーは、
こういった後進国への少数生産機を作る、というのをよくやってました。
この機体は全金属製となった高等練習機、BC-2の設計を基に開発されたとされますが、
どうも実際はその前のNA-44試作機から設計を流用してるらしいです。
(羽布貼りのBT-9練習機を基にした開発というよく見る記述は誤り)
となるとT-6の兄弟機になりますが、パッと見では全く似てない、
まるで当時の艦載機のような寸詰まりな戦闘機になってますね。
で、ノースアメリカン社の社内呼称、NA-50がそのまま機体名となり、
1939年春には初飛行に成功してます(5月初飛行とされるがこれも怪しい)。
あくまで安価に、という要望が優先された結果、
エンジンはR-1820の840馬力であり、最高速度は430q/h前後、固定武装は7.63o×2門のみで、
1939年の基準で見ても性能的にはイマイチでした。
が、とりあえず完成した7機のNA-50は1939年4月から5月にかけてにペルーに引き渡され、
(よって5月初飛行説は怪しいのだ)
後にエクアドル・ペルー戦争で実戦投入されてます。
で、この安価な機体に目を付けたのがタイ空軍で、1939年11月に6機を発注して来ます。
ちなみに、複座型の練習機を何機か含んでいたらしいです。
こちらはNA-68の名前で生産されたのですが、タイへ送り出す直前、
1941年3月4日にアメリカ陸軍がこれを徴収、
P-64の名前で正式採用したのでした。
そもそもアメリカ軍の戦闘機が足りないので、この徴収になったようですが、
一説には既にハワイまで向かってた後の事だったとされ、
なんでそんな強引な事をやったのかは謎です。
ちなみにこの段階だとタイは日本とはまだ同盟関係には無く、
そもそも日本の南インドシナ駐留前ですから、その関係でもないはず。
といってもわずか6機、しかも性能が性能ですから、
主に複座型の機体を練習機にしてたみたいですね。
それでも正式採用ですから、ノースアメリカン社の最初の戦闘機は、
このP-64という事になるわけです。
で、これもあまり知られてないノースアメリカン社最初の爆撃機、XB-21。
1936年12月22日に初飛行したもので、NA-21の社内名称で開発を始めていた機体でした。
となると、すでにB-18やB-17の発注が決まった後から造られた事になります。
なので特に競作試験があったわけでも、軍からの要望があったわけでもなく、恐らく自主開発と思われ、
なぜ突然、こんな爆撃機を造ってしまったのか、全くわかりませぬ…。
性能的には特に見るものが無く、既にあるB-18で十分と判断されて、不採用になるのですが、
(B-18以下という事は、そうとうショボイものだったと見ていい)
とりあえず試作機は陸軍が購入してくれて、XB-21の名称が与えられたようです。
ついでながら、この機体の銃座周辺の設計をシュムードが担当してます。
とりあえず後の同社の双発爆撃機、B-25とは
似ても似つかない機体なので、設計は別チームでしょうかね。
1940年8月初飛行なので、2カ月だけとはいえ、P-51より先輩にあたるB-25ミッチェル。
写真はD型。
これも9000機以上が造られた大ベストセラーであり、双発爆撃機としては、
性能的にも、恐らく世界最高峰の機体の一つとなってます。
T-6テキサン、P-51ムスタングと並んで間違いなくノースアメリカン社を代表する機体の一つです。
とはいえ、事実上ムスタングと同世代なので、
この機体に関しては写真を載せるだけにしときます。
ドゥーリトルの東京爆撃を始め、いろいろ活躍した機体であり、
その解説をやったら連載を数回は潰すことになってしまいますからね…。
といったところが、大まかなP-51以前のノースアメリカン社の動きです。
これ以外にもシュムードがNA-35という練習機の試作をやってたりもするんですが、
そんなのまで追いかけてたら、終わらなくなってしまうので、
とりあえず、ここまでとしましょう。
次回は、ムスタングの開発に関わった重要人物2名を取り上げる予定。
BACK