■来るぜトラブル
さて、そんな感じで1944年3月、ドイツ降伏まであと1年2カ月の時期から
量産が開始されたP-51のD型ですが、先にも書いたように意外なほど変更点は多くありません。
が、それでも大きなトラブルが二つほど発生してしまいます。
ひとつはエンジン懸架部のボルトが折れてエンジンが脱落してしまう、というもの、
もう一つは高速ダイブの時に主翼がへし折れてしまう、というもので、どちらも深刻なトラブルでした。
ただし前者は最初の機体の引渡し試験中に発見されたため大事には至りませんでしたが、
後者では死者も出てしまっています。
まずは最初のトラブル、エンジン固定ボルトの破損から見て置きましょう。
This is photograph FRE 494 from the collections of the
Imperial War Museums
当たり前ですが、エンジンはエンジン固定金具を介して機体に固定されます。
その部分への固定ボルトには十分な強度が必要であり、このため軽量なアルミ、
あるいはアルミの合金で航空機の主要材料であるジュラルミンでは厳しく、鋼製のボルトが使用されてました。
(ただの鉄ではなく、炭素により強靭化された鋼)
が、鋼には水素ぜい化、という特性があり、鋼の中にある一定量の水素が特定条件下では
鋼の剛性を脆弱化してしまう事があるのです。
これが原因で飛行中にボルトが破損、エンジンがガタガタになる、という事故が
最初のD型の受領試験中に発生したのでした。
(無印P-51からの改造である先行試作型ではなく、量産型の1号機らしい)
事故原因が、この水素ぜい化である事は直ぐに突き止められたようですが、
この問題自体は古くから知られており、対策もできていたので、なぜ今さら、と現場では驚いたようです。
調べてみると、D型から仕事を請け負った外注のボルトメーカーが
ボルトに耐摩耗性のクロームメッキを掛ける時、適切な後処理をしておらず、
これが原因で水素ぜい化が起きていたことが判明します。
ちなみににメッキ後、加熱して水素を飛ばす加工をしてなかった、との事ですが、詳細はよく判らず。
が、あっさり原因が判明したことで、この問題は速攻で解決、生産型には影響が無かったようです。
ここで、ちょっと脱線。
上の写真で左側の人物の腕の上にある箱は、吸気用の防塵フィルターで、
これの解説をやってませんでしたから、ここでやってしまいましょう。
これは通常のエンジン(過給機)用吸気ダクトの上にあり、普段は塞がれていて使われません。
プロペラの下にある吸気口から、真っすぐにエンジン用の空気が取り入れられるのが普通なのです。
ただし砂漠、未舗装滑走路など、ホコリがスゴイ環境ではそれらがエンジン内に入るのを避けるため、
プロペラ下の空気取り入れ口をフタで閉じてから
このフィルター付き空気取り入れ口の通気口を開き、機首の横から吸気してました。
ちなみに氷結によって空気取り入れ口が塞がれた場合もこれを使います。
マーリンムスタングの機首部にあるこの穴あき部の正体がフィルター付空気取り入れ口です。
この真下を通常の吸気ダクトが通っており、フィルター使用時にはそのダクトに途中でフタをして、
こちらからの空気をエンジン(過給器)に向けて送り込む形にします。
実はこれ内部の開閉フタの構造によって前期型と後期型があるんですが、
外見から見判けるのはたぶん不可能なので、気にしない事にしましょう。
(D型からが後期型、とする資料もあるが確認できず)
初期のスピットファイア、Mk.V(5)なんかだと、こんなバカでかい防塵用のアゴフィルターを積んでたわけで、
これと比べるとムスタングの防塵フィルターのデザインがいかに洗練されていてるかが判るかと。
まあ、スピットも二段二速マーリン搭載型以降ではもっとスマートな形状になるのですが。
ちなみにこのフィルター、マーリンムスタングでもB型の初期型にはありません。
例の量産一号機のこの写真にも無いでしょ。
おそらく最初の発注の400機、P-51B-1にのみこれが無く、次の生産型、P-51B-5には搭載されてるように見えます。
ついでにC型の初期型、P-51C-1も無かったのですが、こちらの生産数がはっきりしないので、
どの程度の数、フィルター無しのマーリンムスタングがあったのかは不明。
1000機は超えてないと思うんですけどね。
でもって、この初期のB/C型にはフィルターが無い、という指摘も、おそらく世界初じゃないかと(笑)。
少なくとも、21世紀現在に至るまで、設計した本人たちを別にすれば、
この点に気が付いてる人は世界中で10人も居ないはず。
お次はより深刻だった、主翼が吹き飛ぶ問題。
こちらはD型配備後、急降下でパワーダイブ(エンジンも高回転させて一気に加速する)に入ると、
高速時に突然、主翼が飛散してしまう、という恐ろしい事態でした。
基本的にパワーダイブ中のみの発生、となると恐らく時速800q以上の速度に達したあたりだったと思われます。
当時の通常の機体だと、この速度の辺りから翼面上衝撃波が発生、
まともな操縦はできなくなるのですが、ムスタングは揚力が小さい、
すなわち翼上面の気流の加速が小さい層流翼だったのでその問題が生じにくいのでした。
(ただしP-51の層流翼は分厚いのでちょっと特殊な傾向があり、、
迎え角2度以下なら、つまり水平飛行なら通常の主翼となんら変わらない揚力、つまり気流の速度が出た。
それどころかP-47やP-38より揚力は強力だったのだ。
ところが迎え角を取ってから、3.5度あたりから、突然、層流翼らしい揚力の低下が発生し始める。
すなわち旋回中、離着陸、そしてダイブからの引き起こしで
この揚力低下、流速の低下現象は生じる事になる)
よって他の機体に比べ、かなり高速まで引っ張れたのですが、これが逆にアダとなったわけです。
さらに軍で独自に原因究明をしていたパイロットが再現飛行中に墜落死するなどかなり深刻な問題となりました。
ところが、B型まででは、そんな事故は全く起こってません。
となると、D型で変更された部分が怪しい、という話になってきます。
基本的に自称軽量ムスタング、H型になるまで主翼の構造は変わって無いのですが、
D型では翼内機銃を片翼3門に増やしてましたから、ここが怪しい、となって来ます。
しかし両者ともその容積、およびカバー部の面積は全く変わって無いのです。
ただし薬庫のフタの構造が一部変更されていたのでした。
P-51Dの弾薬庫。
機銃庫のフタは、ヒンジで上に開くタイプなのですが、
左の弾薬庫は固定具を外したら(ネジ止めでは無い)、そのフタを取り外すようになってました。
まあ厳密には、機銃庫も下半分は取り外し式のフタなんですけども。
でもって、以前にも説明したように、弾薬庫は前部が2階建構造になっており、
この辺りの影響なのか、D型から弾薬庫のフタの構造が変わってました。
少し、薄くなってしまっていたのです。
■Photo US Air force / US Airforce
museum
写真はC型の機銃庫と弾薬庫のフタ。奥にある長方型のが弾薬庫のもので、
かなりの厚みがあるのが判るかと。
D型のもので利用可能な写真が見つけられなかったのですが、これよりやや薄くなっています。
このため、高速飛行時の強烈な揚力、つまり主翼を上に吸い上げる力が生じると、
このフタがねじれてしまい、最終的にはその負圧に耐えられなくなって吹き飛んでしまったのでした。
主翼の構造は、主桁、柱で骨組みを造り、その表面に一定の厚さを持ったジュラルミンの板を貼る事で
その強度を維持してますから、その一部が吹き飛んでしまう事は主翼の構造が弱体化する事を意味します。
そこに時速800qあたりの強烈な風圧が加わり、さらに乱気流の発生で主翼がガタつくことで、
主翼がへし折られてしまった、というのが事故の原因でした。
もしかすると翼面上衝撃波が既に発生していて、その影響もあった可能性がありますが、
この点は確認できなかったようです。
このため、弾薬庫のフタの強度を上げて対策を取る事になり、以後、事故の発生は無くなったとされます。
ちなみに1944年4月18日にはすでに事故の報告が出てたのが確認できるので、
3月に生産が始まった後、軍への引き渡しが始まった直後の事故であったようです。
なので幸いにも、まだヨーロッパへの部隊配備は進んでませんでした。
このため、実戦参加前にはこの問題は解決され、
本格配備前の事故、という事でなんとか収まったようです。
といった辺りが、D型になってからのトラブルです。
とりあえず、両者とも、実戦配備時には解決していたのが不幸中の幸いだった、という所でしょうか。
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