■二人乗りムスタング
というわけで、今回からいよいよD型の説明に入って行きますが、
その前にB/C型の変わり種の話を少ししておきましょう。
この機体ですね。
This is photograph FRE 2275from
the collections of the Imperial War Museums
なんかハリケーンのコクピットを移植した飛燕、みたいな
カッコ悪い機体ですが、これもムスタングのB型です。
なんか変なのはちょっとした改造がされてるから。
This is photograph FRE 2338from
the collections of the Imperial War Museums
こんな感じに。
このムスタングは、二人乗り用にイギリスで現地改造された機体なのでした。
後で見るように、大型の燃料タンクが追加できるくらいのスペースがムスタングのコクピット後ろにあり、
ここに二人目の座席を付けてしまったのがこの二人乗りP-51Bなのです。
正確な数は判りませんが、少なくとも複数の機体がこの現地改造を受けたのは間違いありません。
ついでにこうして見ると、通常のムスタングのコクピットの頭の上がいかに狭いか、が判るかと。
This is photograph FRE 401from
the collections of the Imperial War Museums
高速で移動でき、いざとなったらあらゆるドイツ機相手に負けない空戦ができるP-51は、
要人の移動手段として、意外に重宝されていたのです。
こんな感じに。
後部座席はヨーロッパの連合軍で一番偉い人、アイゼンハワー将軍で、
彼も連絡用にこの二人乗りP-51Bを利用していた一人でした。
ちなみに前席は1944年12月の撮影当時、陸軍少将だったケサーダ将軍(Elwood Richard
Quesada)。
このケサーダは後に空軍に転じて、戦術航空司令部、TACの初代責任者になるんですが、
ルメイ率いる戦略航空司令部、SACの前にはあまりに無力で、失望の内に空軍を去ります。
ところがこの人、ヨーロッパ戦線時代に、この写真のようにアイゼンハワーと親しかったため、
彼が大統領になると航空部門アドバイザーとして呼び出され、退役後はその立場を使って、
1958年に設立された連邦航空局、FAAの初代理事長に就任してしまいます。
つまり、TAC、FAAという、戦後のアメリカの空で大きな意味を持つ二つの組織の初代責任者を務めた、
というちょっと珍しい人で、さらに加えて、後には大リーグ ワシントン セネタースの経営に関わったりと、
ある意味、これだけ波乱万丈な人生送った人も珍しい、という人物だったりします。
ちなみにP-51を連絡機に使っていた陸軍の偉い人に、もう一人、“ハップ”アーノルド大将が居ます。
陸軍航空軍のボスですね。
こちらはP-51Dの改造型で、しかもノースアメリカン社が自らダラス工場で改造したものでした。
この時、他にも数機、複座のP-51Dが造られたようですが、これまた正確な機数は不明。
ちなみにコクピット後ろの防弾板と無線装備を外して座席を追加しただけのもので、
キャノピーは通常のものがそのまま使われていました。
戦後、多くの観光用、商用ムスタングが、同じような改造をやって、後部座席を追加してます。
This is photograph FRE 2265from
the collections of the Imperial War Museums
最後に、二人乗りムスタングの特殊例、P-51D 472210号機を。
これも現地改修らしいのですが、キャノピー(天蓋)を二分割する、という高度な工作をやってます。
この後部座席に乗るのはレーダー操作員でして、主翼の前にレーダーアンテナが付いてるのが見て取れます。
すなわちレーダー搭載ムスタングで、私もイギリス帝国戦争博物館のWEB資料庫で
写真を漁っていて、初めてその存在を知りました。
少なくとも、これまで書籍等では取り上げられたことはほとんど無い機体だと思います。
ムスタングを対潜哨戒任務に就けたという話は聞かないので、
おそらく夜間戦闘機として使ったような気がしますが、その長大な航続距離からすると、
大西洋への対潜哨戒に使っていた可能性も、完全には否定できませぬ。
(二人乗ってれば、理論上、長距離航法はできるのだ)
なにせ資料が無いのですが、写真のキャプションによると、第336戦闘機集団(Fighter
Squadron)の
スチュワート大佐個人用の機体、となっております。
ただし例によって、詳細は不明。
が、撮影日時が1945年6月とドイツ降伏済みの時期なので、
戦後、暇になったので造ってみた、みたいな機体なのかもしれません。
ついでに、変わり種機体をもう一つ。
実はマーリンムスタングになっても、偵察型は相変わらず造られてました。
B型からの改造がF-6Bで71機、C型からの改造がF-6Cで20機、それぞれ造られてます。
さらについでですが、D型からも偵察機に改造された機体があり、
こちらはF-6Dの名前で136機、プロペラ違いのK型(後述)からのがF-6Kで163機、
それぞれ造られています。
ちなみに座席後部が使えなくなったD型では、胴体後部に丸い穴を開け、
そこにカメラを搭載していました。
(グリフォンムスタングの偵察型と同じやり方)
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