■冷却には空気が要るのだ
さて、マーリンムスタングの冷却系が大型化されたのは既に見ました。
それに合わせて、その空気取り入れ口部の形状が大きく変わったのも以前書きましたが、
この変更に至るまでは、ムスタングの開発の中でも最大級のトラブルがあったのでした。
とりあえず最初はアリソンムスタングとマーリンムスタングの
空気取り入れ口の形状の違いを確認して置きましょう。
こちらがアリソンムスタングのもの。ちなみに開口部の広さの可変機構が廃止されたA-36のもの。
境界層の気流を避けるために、胴体から浮く形ではあるものの、その隙間はわずかです。
この機体表面から離し境界層を避けて吸気口を設置する、というアイデアはイギリス技術者のアドヴァイス説と、
ノースアメリカン社自社開発説があるんですが、夕撃旅団ではシュムードの証言による
イギリスから来た技術者、シェンストンのアドヴァイス説を採用する、というのは既に説明した通り。
ただしその隙間は1.5インチ(3.8p)でしかなく、このため左右の主翼接合部にあるカバーがそこに食い込んでしまい、
これを避けるために、開口部の中央に凹みが造られてます。
でもって、こちらがマーリンムスタングのもの。
開口部と胴体の隙間がより大きくなり、その付け根が綺麗に成形されて、溝が造られてるのに注目してください。
さらにちょっと判りにくいですが、主翼フラップとの位置関係から、
アリソンムスタングと比べダクトがよりに手前に延長されてるのもわかるでしょうか。
(ちなみに上の写真、アメリカ空軍博物館の機体は例の
コクピット用冷却空気取り入れ口が塞がれてしまってるのに注意。
こういうのがあるので現存機は可能な限り余計な事をしてない機体を探さないと安易に参考には出来ない。
ちなみに下の写真はおそらく世界最高のコンディションのP-51Dであるスミソニアンの機体だが、
こちらはこちらで展示機の前に回れないので、この穴を確認することはできない)
さらに開口部が垂直ではなく、上下で斜めに切られてる事、
緩やかに上方に絞り込まれる形で整形されてるのも見てください。
空気取り入れ口を小さく絞り込んだのは、後で見る振動対策として
縦に大きく開けられなかったのが理由ですが、これは冷却効果を高める結果にもなりました。
狭い取り入れ口から流れ込んだ空気が広いダクトに入ると、その通過面積が増えるため、
流速は大きく減速(流体の質量保存)します。
そして流体の減速は静圧、上下左右あらゆる方向に均等に押す力を高めるので(ベルヌーイの定理)、
均等な力でラジエターに空気を強く押し付けて、冷却効果を高める事になるわけです。
(風圧(動圧)だと風のある特定の部位だけがより強く当たってしまい、他の箇所が無駄になる)
が、その効果を狙って最初から計画したのかは微妙に怪しく、
どうも偶然の産物じゃないかなあ、と思える部分が大きいです(笑)。
関係者の皆さんは、もちろん、狙ってやったんだよ、証言してますけどね。
(そもそも初期のアリソンムスタングは開口部を拡大できる装置が付いてたし、
マーリンムスタングの場合も最初はかなり大きな開口部だった)
ただし理論上は確かにそうなんですが、どれだけ冷却効率が上がったか、については
キチンとしたデータが実は無いので、上がっていたはずだ、という推測が主体の話ではあります(笑)。
それでも冷却性能に関してはマーリンムスタングは最後まで大きな問題を抱えなかったので、
キチンとその効果は出ていたと見ていいんじゃないでしょうか。
でもって当初のマーリンムスタングでは大規模な取り入れ口の形状変更は予定されておらず
一機目の試作機、XP-51Bの初期形状の写真を見ると
相変わらずダクトと胴体との隙間は狭く、空気取り入れ口は単純に大型化しただけです。
(先にも書いたように、アメリカ陸軍がタダでもらった無印P-51の2機が改造されたのだが、
初期形状の鮮明な写真が残ってない。このXP-51B 1号機はその後、NACAの改善を受けて
ダクト形状を大きく変更され、生産型と同じような形にされてしまった)
ところがその単純な形状の冷却ダクトで飛ばしてみると、高速なるにつれダクト周辺で振動が発生し始め、
速度が500q/hを超えると「まるで誰かがロッカーをガンガン殴ってるかのような音と振動」が発生するのが判明したのです。
驚いたノースアメリカン社の空力担当、エド・ホーキーはNACAに協力を依頼、
その結果、1939年にできたばかりのNACAの西海岸における拠点、
カリフォルニア州にあるエイムズ研究所(Ames Research Center/ARC)に機体が持ち込まれ、
そこで16フィート(約4.88m)の大型風洞を使って試験が行われる事になります。
■Photo :
NASA/NACA
下の人のポーズと表情が微妙にやらせっぽいですが(笑)
カリフォルニアのエイムズ研究所にある16フィート高速風洞における実験時の写真。
おそらくXP-51Bの1号機の方だと思われます。
よく見ると機首下、エンジン(過給機)の空気取り入れ口がオチョボ口、
先端がちょっと絞り込まれる形になっており、のちの生産型とは異なるのを見て置いてください。
ついでにこの部分はキレイに胴体と一体型になっておらず、微妙に下に浮き出してるのが
XP-51Bの特徴のひとつでもあります。
エイムズ研究所では太平洋戦争開戦時、すでに単発機なら実物を入れられる
40 X 80フィート(12m×24m)の巨大風洞が完成していたのですが、
こちらは最大で風速250マイル(402q/h)までしか送風出来なかったので、
高速時のトラブルの検証には使えなかったのでした。
(それでも200q/h前後が限界だったラングレー研究所の実機風洞よりずっと高速だが)
そこでやや小型ながら高速の気流が造れるこの16フィート(約4.88m)風洞に
機体は持ち込まれ、この状態でテストされました。
主翼は切断した、という記述もありますが、実際は風洞の外側に飛び出させて固定してるだけらしいです。
この写真で見えてる冷却部の空気取り入れ口は全く絞り込まれておらず、
胴体との隙間も生産型に比べると狭いので、かなり初期のものです。
実験開始時に記念に撮影した写真、とかでしょうか。
とりあえず、エド・ホーキーも立ち会って風洞実験が始まると500q/h前後から
ダクト部にスゴイ振動が発生し、とてもじゃないが飛行は危険だと確認されます。
調査を進めると、機体表面の境界層が高速飛行時には層流から乱流境界層に変異しており、
大型化された開口部がその真只中にあったため、強烈な振動を引き起こしていた事が判明します。
さらに境界層の流れそのものが剥離して乱流化してる事も判明したため、
機体表面の境界層と同時に、この機体から剥離した乱流も避けねばならぬ、という事が判明するのです。
つまり開口部を大きくしたら、上も下も乱流に直撃されてしまい激しい振動に見舞われてた、という事です。
しかも、その気流の剥離と乱流化は空気取り入れ口のすぐ前で発生してるらしいのでした。
とりあえず、機体表面で生じる乱流境界層と、その境界層の一部が機体から剥離して生じる乱流と、
両者同時に対策する必要に迫られたわけです。
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