■アメリカンマーリン

ついでに、アメリカ製マーリンこと、パッカードマーリンのV1650についても少し触れて置きましょう。
大量生産能力で見劣りがしたイギリスからの要望で、
アメリカ本土でマーリンエンジンがライセンスされる事になったのですが、
大量生産の権化、フォードは手が回らずこれを断り
(ただし現地のイギリスフォードが大量生産をやってる。
その生産能力は当初、本家のロールスロイスの4倍を記録した)
GMも興味を示さず、結局、航空エンジンの経験があって手も空いてた
高級車メーカー、パッカード社にお鉢が回って来たのでした。
(パッカードはアメリカ初の本格的航空エンジン リバティエンジンの設計、生産に関わっていた)

ちなみに約16万台(笑)近く造られたマーリンエンジンの内、
1/3近い約55000台がアメリカのパッカードで造られてます。
(さらに言うならイギリスフォードが約34000台造ってるので半分はアメリカ資本製である)

ちなみにライセンス生産と言っても、そこはフォードが居る大量生産の王国アメリカ、
造りにくい場所は片っ端から変更し、さらにいくつかの改良を加えたため、
パッカードマーリン、実はオリジナルのロールスロイス版と細部がかなり異なってました。

このため同じエンジンのはずながら、互換性は低く、ロールスロイス マーリン61系エンジンを積んだ
スピットファイアMk. IX(9)にパッカード製のV-1650を積むことはできず、
逆にもまたしかりで、V-1650積んでたマーリンムスタングに61系統のエンジンは積めませんでした。
このため後にイギリス製マーリンエンジンが不足して、アメリカから取り寄せたパッカードV1650系を搭載した
スピットファイアは同じエンジンでもMk. IX(9)ではなく、わざわざ別の名称、Mk.XVI(16)が与えられてます。

ちなみにパッカード版V-1650は大きな変更だけでも、キャブレター、
過給機のギア変速装置周りの自動化などで18か所にも登ってます。
ついでにライセンス生産にあたり、相互情報提供の取り決めがあったそうで、
このため、パッカードがロールスロイスに送り付けた変更点の図面類は9000枚にもなるそうな。



ちなみに、こちらがイギリス ロールス ロイス製のオリジナル2段2速過給機搭載エンジン、マーリン71。



こちらがアメリカ製の2段2速過給機搭載エンジン、パッカード マーリン、V1650-7
まあ、並べて見てすぐわかるような違いはさすがに無いんですけどね。
これしか写真が無かったので向き、逆側だし(笑)。

ちなみに一時、ムスタングに興味を失っていたイギリスですが、
P-51Bの高性能には興味を示しました。

どうも高高度長距離戦闘機として使うつもりだったようで、
後にP-51Bをムスタング III として採用した後もほとんど偵察機には改造してません。
ドイツ本土が戦場になるのが近い、という事で長距離戦闘機が欲しくなったのか?
(高高度戦闘機ならスピットのMk.IX(9)があったので別に要らなかった)
が、それでもスピットがまだまだ一線級の性能を持ってましたし、
P-51Bとの試験でも、航続距離と最高速度では劣るものの、
運動性(旋回性)、加速、上昇能力では勝る、とされ、
要するに使い方次第で、どっちも十分な能力を持った戦闘機だ、とされてました。

なので、あくまで補助的な機体としての導入だったように思われますが、
とにかく、P-51B、イギリス名 ムスタング III(ちなみにP-51Aがムスタング II) を
1000機以上(正確な数は不明)、レンドリース機としてノースアメリカン社に発注しています。

ただし、これはアメリカ陸軍が400機だけ、という最初のショボイ発注をやった時期らしく、
この時期はまだダラス工場が稼働して無かったこともあってか、
ノースアメリカン社ではこの注文に対応しきれませんでした。
このため最初の生産分では、たった25機だけがイギリスに引き渡されて終わります。

これにガッカリしたイギリスは、ムスタングの生産が容易な事に注目、
だったらイギリスでP-51Bを造ってしまえ、エンジンはロールスロイス製を使えばいい、と考えました。
ところが確認してみたら、先に説明したように
同じマーリンと言ってもパッカード製のはかなり別物で、
イギリス製のマーリンエンジンを搭載するには
予想以上の設計変更が必要となる事が判明します。

…わざわざエンジンをアメリカから取り寄せるくらいなら、
全部組み立ててもらった機体をもらった方が早いですし、
かといって設計変更してまで生産するほどの熱意が無かったイギリスは
あっさりと計画を放棄し、次の生産分以降からレンドリースで回してもらう事にします。
どうもこの辺りの事情を見ると、当時、パッカードが二段二速マーリンの
ライセンス生産に手間取っていたような印象もあるのですが、
この点を確認できる資料が確認できなかったので断言はできず。
そしてイギリス空軍は最終的に940機前後(おそらく944機)を確保したのでした。
戦闘で使うにはギリギリ、実用的な数でしょう。

ちなみにこの話に枝葉が付いて、イギリス空軍がスピットに替わってムスタングを採用する気だった、
自国生産の準備もしてた、という話を見る事がありますが、事実ではございませぬ。
単に作りやすい機体だから、レンドリースを待たずに自分で組み立ててしまえ、と考えただけで、
それ以上のモノでは無かったでしょう。
戦争中でも軍と兵器産業の利権はありまくりますから(笑)、イギリス空軍がスピットを捨てる、
なんて事は天地がひっくり返ってもあり得ませぬ。

さて、といった感じで、マーリンムスタングが本格的に登場して来て、
アメリカの戦略爆撃機は枢軸国を完全破壊一歩手前まで追い込み、
戦争の行方を完全に決定づけます。

が、マーリンムスタングといえど最初から完全だったわけでは無く、
先にもチラッと書いた尾部の構造的な弱さがあり、
さらに決定的な弱点として、強力なエンジンと4枚に増えたプロペラが引き起こす
プロペラ後流による直進安定性の悪化、という問題を抱え込みます。
さらに従来から指摘されていた視界の悪さも未解決のままでした。
それらに加えて生産直前には冷却装置周りで致命的な結果がいくつも発見され、
この解決に半年近い時間が浪費されます。
一方で、B型以降では従来からムスタングの弱点とされていたエルロンの弱さと
そこからくるロール率の悪さがようやく改善されてました。

こういった問題を乗り越えながら、最後の集大成、
P-51D型後期型、という形が生まれて来るわけです。
(H型は実戦に間に合わなかったのでその性能は未知数のまま終わってるから別とする)
次回からは、その最後の追い込み至る過程を見て行きます。
ええ、ラストスパートです。


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