■アメリカ陸軍の事情
当時のアメリカ陸軍は第二次大戦に参戦してみたら、
自分たちが地上部隊を支援する機体を全く持ってない事に初めて気が付いた状態でした。
さらに戦術偵察機(Finder)も一機もありません。どうするの?と思ってたら、
どうもイギリスではムスタング I を戦術戦闘偵察機として運用してるぜ、と知り、
さらに武装強化されたP-51なら地上攻撃機にもできるじゃん、と考えます。
ここで、この機体に強い興味を示すのでした。
当時のアメリカ空軍は陸軍の一部、陸軍航空軍ですから、当然、地上部隊の掩護は必須です。
開戦前のアメリカ陸軍としてはA-20などの双発機にこの任務を行わせる予定でしたが、
ドイツの電撃戦、そして北アフリカの英独戦などを見ていると、A-20ではデカすぎて運用が不便で、
どうも単発の攻撃機、できれば急降下爆撃機が必要だ、という事に気が付きます。
そもそもこの時代の陸軍航空軍はボンバーマフィアが牛耳りつつあり、
戦略爆撃命であって、それ以外はほとんど手を抜かれていた、という部分もあります。
特にこの点はドイツの独壇場であり、イギリスも開戦後、その必要性に気が付いて
アメリカのトマホーク(P-40A,B,C)やハリケーンを地上攻撃に投入しておりました。
だったらアメリカもP-40でいいじゃん、と思ってしまいますが、開戦直後のアメリカ陸軍において
P-40は主力戦闘機であり、地上戦に回してる余裕は無かったようです。
このため、急きょ海軍の急降下爆撃機SBDドーントレスを
A-24バンシーの名で採用、最終的に約950機を導入してます。
ついでに、この点に辣腕経営者キンデルバ―ガー付け込んで(笑)
アメリカ陸軍からの発注を取り付けたのがムスタングの急降下爆撃型A-36で、
形式取得日時を見れば分かるように、無印P-51の生産が始まる前にすでに契約を取ってます。
この辺りの事情はまた後で見ましょう。
アメリカ陸軍が採用した陸に上がったSBDドーントレス、すなわちダグラスA-24バンシー。
あまり知られてませんが、アメリカ陸軍はこれを950機ほど採用してました。
が、採用直後から速度が遅すぎる、という評価が強く、結局、開戦直前にフィリピンに送り込んでしまい、
日本軍の侵攻でフィリピンへの輸送が無理になるとオーストラリア空軍に貸与しちゃいました。
ちなみに珊瑚海海戦でもし日本が勝利して翔鶴、瑞鶴の五航戦がポートモレスビー方面に突入していたら、
オーストラリア軍が展開していたこの機体の迎撃を受けたはずなんですが、
その前に戦闘は終わってしまい、A-24は戦争終了まで目だった活躍をせずに終わります。
その後、エンジン強化型のA-24Bが採用されましたが、主に太平洋方面に配備され、
(アラスカからアリューシャン、後は占領後のギルバート諸島など)
やはり陸軍の地上部隊の直接支援、という任務にはほとんど投入されませんでした。
このドーントレスことバンシーは最高速度はせいぜい400q/h前後と、当時の戦闘機からすれば
すでにカモ以外の何物でもなく、これでは護衛戦闘機無しで敵陣に突っ込むのは不可能でした。
だったらイギリスと同じように高速で自衛力もある戦闘機自身に対地攻撃能力を与えればいいんでない?
という結論にアメリカ陸軍航空軍の皆さんはたどり着きます。
ついでにイギリス空軍のように、そいつに戦術偵察もさせれば完璧じゃん、となります。
この辺りはドイツも事情は同様で、航空優勢を失うに連れJu-87スツーカの被害が激増し、
この結果、高高度性能がさっぱりでもはや戦闘機としての未来が無く、
空冷エンジンで耐久性があったFW-190が地上攻撃に投入されて行きます。
で、アメリカ陸軍で最初にその白羽の矢が立ったのが、低空でしか使えないけど十分高速で、
しかも運動性もいい、初代P-51だったのです。
(ただし後で見るようにロール性能改善の必要があったが)
この辺りは後に、そこに機体の頑丈性が加わったP-47が引き継ぐことになります。
1942年夏辺りまでならアメリカ陸軍はまだほとんど地上部隊を投入してませんが、
この年の秋以降は、北アフリカ上陸のトーチ作戦、
そして太平洋でもニューギニアからフィリピンを目指す戦闘と、
地上部隊の支援が死活問題になってくる戦闘が予想されいました。
とりあえずA-24で急降下爆撃機はなんとかなるかもしれないけど、
地上偵察機はどうする?となると、陸軍がすぐに手に入れられたのはこのP-51だけだったのです。
このためイギリス向けレンドリース機だったはずのP-51を強奪に近い形でアメリカ陸軍機にしてしまい、
最初の生産分の20機と別に2機(これは例の輸出用機体2機を提出するルールによるものだろう)、
さらにその後から35機をアメリカ陸軍機として徴用してしまいます。
前ページの写真の量産5号機も本来ならイギリス向けの機体を
アメリカが分捕ってしまった最初の20機の内の1機です。
これらはほぼ全て、トーチ作戦に備えてアフリカ方面に送り込まれました。
戦力としては少なすぎますが、戦術偵察機というのは少数で運用されるものなので、
なんとかなったのかもしれません。
この結果、結局イギリスに渡ってムスタング I A となったのは総生産数の2/3以下である93機だけでした。
ちなみに、この57機分の横取りは後にP-51Aを51機レンドリースで送るとこで帳尻が合わされてます。
…6機足りないじゃん、と思いますが、まあタダですから文句は言えなかったのでしょう。
でもってアメリカが受け取った55機のP-51は全機がイギリス式に
コクピット後部にカメラを搭載して偵察型に改造され、
このため、F-6Aと名称が変更になるのですが、なぜか最終的にはP-51 II という名前に落ち着きます。
なので、P-51とF-6A&P-51II
はカメラのあるなしだけで実質的に同じ機体です。
他の変更点はありません。
ちなみに分捕り分ではない、当初の予定通り、輸出機のサンプルとして納入された2機は
後にアメリカでのマーリンエンジン搭載試験機、XP-51Bに利用されました。
This is
photograph ATP 12317C from the collections of theImperial War Museums
写真はイギリスにレンドリースされたP-51、すなわちムスタング I
Aですが、
ご覧のようにコクピット後ろの窓は塞がれて偵察用のカメラが入ってます。
当然、これまた旋回しながら機体を横に向けて撮影するタイプのものです。
ただしよく見ると判ると思いますが、真横ではなく、やや斜め後ろを向いており、
それほど大きく機体を傾けなくても撮影は可能にはなっていたようです。
ちなみにNASAが公開してる解説ではカメラは二台積まれていた、とされるのですが、
この横位置の他に、どこに積んでいたのか、全く不明。
普通に考えると偵察用の大型カメラ、ここ以外に積む場所ないんですが…
で、アメリカ向けのP-51でもほぼ同じような改造が全機に行われ(XP-51Bに改造された2機を除く)
このため、P-51/ムスタング I A
は英米共に、戦闘偵察機としての採用となっています。
偵察に行って、妨害されたらこの20o機関砲で粉砕してしまえ、というタイプの機体ですね。
ある意味、強行偵察機とでもいうべき、珍しい機体とも言えます。
といっても150機という、連合軍の機体としてはあるのか無いのか判らないような生産数でしたが…
しかし、こうしてみると20o機関砲の銃身の長さが異様です。
先にも書いたようにこれの機関砲搭載のやり方が謎なんですが、こうしてみると
相当、主翼の前の方に積み込んでるようにも見えますが…
ついでにスピットファイアでは銃身先端までカバーを付けてましたが、
ムスタングでは後半部だけとなってます。
理由は不明。
ついでながら、他の機体で何度も説明してますが、
機体後部、国籍章、ラウンデルの右下にある黒い点は
ここに棒を差し込んで機体後部を持ち上げ、機銃の調整やエンジン整備をするためのもの。
This is photograph HU 110062 from the collections of theImperial War Museums
こんな感じに胴体後部に棒をさし、それを支えて尾部を持ち上げ、
機体を水平にして機銃の照準調整をやります。
20o×4ですから、相当、ウルサイのでしょうね(笑)。
右下から伸びてるのはおそらくバッテリーと電源コードですが、詳細は不明。
イギリス向けの装備なのか、全機こういったコンセントがあったのかも判らず。
地上に散らばってる黒いのは薬莢ではなく給弾ベルトのリング。
左下と右下に三つずつ薬莢が見えてますが、それ以外は回収済み?
This is photograph FRE 14828
from the collections of theImperial War Museums
操縦席後部に積まれていたカメラはこんなに大きなもので、英米共にK24型を使っていたと思われます。
ちなみにフィルムの出し入れは背面から行うので、機体反対側にあるフタをあけて操作したようです。
ついでに、手前のMの字の上に謎のフタのようなものがありますが、なんだこれ?
イギリス機なので、何か現地改修で取り付けちゃったものでしょうかね。
ちなみにこの機体は偵察(Reconnaissance)部隊の所属で、戦略偵察を目的としてました。
This is photograph FRE
14855
from the collections of theImperial War
Museums
撮影はこんな感じにやります。
この時は2機で組んで両機が旋回しながら撮影してるため、僚機が写り込んで、
撮影のために必要なバンク角がなんとなく見て取れます。
おそらく1000m以下の低高度ですが、あれ、意外に強く機体を傾けてますね、これ。
なんだか絵のように美しい光景ですが、1944年8月、ノルマンディ作戦後の撮影で、
フランス国内を進撃中の連合軍の機甲部隊が中央から上に伸びる道路に見えてます。
このサイズでは判らないと思いますが上から下に向かっており、
下の方にはシャーマン戦車のシルエットが確認できます。
ちなみによく見ると、機首下に機銃が見えてますから、これなんとムスタング
I です。
この時期までムスタング I
が偵察機で飛んでいた、というのはちょっと意外。
ついでにこれまたコクピット上にバックミラーを追加してるのを見て置いてください。
ついでに、この写真、ほとんど影が無いのに気が付くと思いますが、
これは正午ごろのそういった時間を狙って飛んでるからで、
明らかに地上部隊の索敵が目的です。
この時撮影したのは友軍部隊だったわけですが、これが狙っての事なのか、
帰ってから現像してみたら友軍でガッカリ、だったのかは不明。
逆に影の長さで建造物の大きさを推測する場合は、長い影ができる朝夕に飛ぶことになります。
この下では殺し合いが続いてるのですが、大判写真とデカいレンズの
大型カメラの解像度もあってなんとも美しい写真です。
■Photo NASA
でもって、アメリカ陸軍もP-51を低空偵察専用の機体として扱っていたため、
少数で(あるいは単機で)敵陣に突入するのが前提でした。
よって少しでも見つからないようにと、このような特殊迷彩のテストもやってます。
…すげえな、アメリカ陸軍。
何も知らずにこんな写真見せられて、これもP-51なんだよ、とか言われたら、
俺が千葉県出身だと思ってバカにしやがって、とフライングクロスチョップをカマすとこですが、
ウソでも冗談でもなく、これもまたP-51なのです。
ただし写真はデイトンのライトフィールド基地での試験中のもので、
この後、実際に戦場に送られたのかは判りませんが…。
ある日、朝起きて、駐機場に行ったら、今日から君の機体はこれだ、
とか言われたら、私なら泣きながら裸足でフルマラソンに出かけてしまいますが…
といった辺りが無印P-51のお話となります。
今回はこれまで。
次回は、新世代アリソンムスタングとも言えるA-36を見ます。
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