■冷やせ力の限り
さて、ムスタングの設計において、もう一つ革命的だったのが冷却系でした。
ガソリンエンジンは燃料を爆発的に燃焼させ、その膨張力をピストンとクランクで回転に替え、
プロペラを回して推進力にしてるわけですが、その燃焼によって生じる熱、
さらに各種摩擦で生じる熱は全て必要無いもので、これを放って置くとエンジンが高温により破壊されます。
(回転運動に変換できなかったエネルギーが熱になってるのだ。
もし全エネルギーがキチンと運動に変換されていれば熱は全く出ない冷たいエンジンとなる)
このため冷却系が必須なのですが、ムスタングの場合は液冷エンジン、すなわち
水やエチレングリコールなどの液体がエンジン内を循環して熱を奪い、
それを冷却器で風に当てて冷やして再度エンジンに送り込む、という構造になってます。
問題はその冷却器、ラジエターをどこに、どうやって搭載するか、です。
これは空気に盛大に当てないと冷却されませんし、
そうかといって風に当てるために機体の外に出っ張らせたら、
それだけ巨大な空気抵抗となって行きます。
この辺りは設計家の腕の見せ所…なはずなんですがムスタング登場まで、
実はそれほど創意工夫のある設計は存在しませんでした。
ちなみにムスタング直前世代の二機、P-40とP-39はそれぞれ
個性的な搭載方法を選んでますが、どちらも成功したとは言い難いものがありまする。
ちなみに、冷却器にはもう一つ、エンジンの滑油を冷却するオイルクーラーがありにけり。
こちらは高温にさらされるエンジンの潤滑油を冷却するもので、空冷エンジンでも必要になってきます。
日本のゼロ戦を始めとする空冷機の皆様方のアゴの下に、どうだ参ったか、という感じに、
何の考えも無しにぶら下げられてる筒型のアレがそうです(涙)…。
ムスタングのような液冷エンジンの場合、ラジエターと同じ場所に設置される事が多いです。
さらにマーリンエンジン搭載ムスタングになってからは
過給機の中間冷却器、いわゆるインタークーラー冷却液のラジエターも必要になって来ます。
これは2段圧縮という強力な圧縮で空気が高熱になってしまうため、その対策で必須の装置でした。
自転車を持ってる人は今すぐ走って行ってそいつのタイヤのチューブを引きずり出し、
考えられる限りの最高速度で空気をパンパンに入れてみてください。
直後にそれに触れると、意外に熱くなってるのに驚くはずです。
このように空気は圧縮されると高温になります。
貧弱なあなた様の腕力と安物の空気入れですらこれですから、
大英帝国の空力の魔術師、スタンレー・フカーが考えた二段式圧縮装置にかかったら、
空気なんてあっという間に必要以上に高温になってしまうのです。
なので冷却装置が無いまま高温高圧の空気がシリンダーに送り込まれ、
そこにガソリンが噴霧されると、プラグの発火を待たずに勝手に発火してしまうデトネーションが発生、
最悪の場合、振動でシリンダーが破壊されます。
このため、圧縮後冷却装器、インタークーラーは必須の装置なのです。
ついでに圧縮空気を冷やす事で大気の密度を上げる、
つまり一度により多くの空気をエンジンに送り込む、という工夫にもなっており、
この装置がマーリンの60系以降の高出力の一因となっていました。
よってB/C型以降のムスタングでは、この冷却の問題も抱え込む事になります。
なので、最低限でも、エンジンの冷却液と潤滑油の冷却の二つが必須で、
B/C型以降のマーリンムスタングでは、
さらにそこにインタークーラーのラジエターが追加される事になるわけです。
60系以降のマーリンは、エンジンの後ろに点線で囲った巨大な2段2速過給機を積んでいました。
その左上にある四角い箱状のもの、手前に飛び出してる循環ポンプに繋がるパイプが出てる部分が、
中間冷却器、インタークーラーです。
右下の円盤状のケースに入った羽根車で圧縮された空気を
気化器に送り込む前に冷やすのはここでやるのですが、
その冷却液はやはりラジエターのような構造で、どこかで風に当てて冷やさねばなりません。
自動車などのインタークーラーはラジエター部と一体化してるものが多いですが、
航空機の場合、そう簡単に取り付けられないため、
B/C型以降のムスタングではエンジン用のラジエターと並べて設置しています。
ちなみに戦後のインタビューでフカーは私の最大成功作はこの二段二速過給器だ、
と証言してますから、よほどの自信作だったのでしょう。
実際、これが無ければマーリンエンジン単体でスピットファイアとムスタングという
連合国を代表する二大戦闘機を生み出す事は難しかったと言っていいです。
さて、そんなムスタングの冷却器を理解するために、最初に
ほぼ同じエンジンを搭載した他の機体の冷却器周りを見て置きましょう。
まずはムスタングの最初のエンジンと同じアリソンV1710系を積んだ皆さんたち。
実際はそれぞれの機体で微妙にエンジンの細部が異なるのですが、
まあそれでも同じエンジンと言って問題ない範囲でしょう。
まずはP-40のラジエーター&オイルクーラー。
空飛ぶアゴの愛称で私から一方的に親しまれてるこの機体は、プロペラ直後にドカンと
冷却器系をぶら下げてそのまんま、という日本機のオイルクーラーよりも勇気ある構造となってます。
ちなみに逆Yの字型の仕切りで区切られた上の左右の穴の奥に
エンジン冷却液(エチレングリコール/有毒だよ)用ラジエターが入っており、
一番下の穴の奥にオイルクーラーが収まっています。
後にイギリスのタイフーンが同じようなアゴ進化をしており、どうもこの形状、
すなわちプロペラ直後の機首部に冷却器を設置すると空気抵抗が少ない、
といった実験データでもあったんでしょうかね。
ついでに、この構造はエンジン直下にラジエターとオイルクーラーを置けるので、
配管の取り回しが楽で設計も製造も整備も楽、という利点もあります。
とはいえ一段過給機しか持たないアリソンV1710が得意とする低空、高度5000フィート(約1520m)でも
P-40
D型(すなわち後期型)が時速326マイル(約524.5q)、対してP-51
A型は時速363マイル(約584km/h)と、
時速で60q近くムスタングの方が速いですから、やはり無理がある搭載方法だったような気がします。
まあ、ムスタングの場合、機体全体で抵抗値の削減をやってるので、それも大きいのですが。
ちなみにここを通過した空気はこのアゴの後ろから抜けて行くだけ、というシンプルな構造です。
対してアリソンンエンジン搭載ムスタングの空気取り入れ口は、
胴体下の奥に、機体からわずかに飛び出した空気取り入れ口があるだけで、
極めて小さな出っ張りだけになってます。
ただし後のB/C型以降に比べると、下への突出がより小さいのですが、この辺りはまた後で。
ちなみに初期のアリソンムスタングでは、この空気取り入れ口の下部が可動式で、
その大きさを必要に応じて変えられたのですが、途中からこの機構は廃止されています。
おそらくムスタング Iと IA まで、アメリカ陸軍だと無印P-51までにだけに搭載されていたはずです。
余談ですがその手前にある主脚の収容蓋が微妙な閉まり方なのは、
これは油圧で上に固定しており、エンジンを切ってしばらくすると油圧が抜けて徐々に下がってくるからです。
(ただし長期の地上駐機の場合、これを閉めてロックする方法があった、という話もあるが未確認)
なのでエンジンを始動すると油圧が効いて上にカチッと閉まります。
こんなの別に開いててもいいじゃん、と思ってしまいますが、それはダメで、
ここが下がったまま地上でエンジンを回すと空気の流れが妨げられるため、
ラジエターはあっという間にオーバーヒートとなってしまうのです。
なのでムスタングではエンジン始動後、車輪の収容蓋が上に畳まれるようになっていたのでした。
すなわち地上走行中のムスタングがわざわざここのフタを閉じているのは
主に冷却系の問題のためです。
ただし1000馬力級エンジンで、過給機も一段でしかないV-1710の場合、
それほど冷却器の負担は大きくなかったともされ、
ムスタングのちょっとお姉さんともいえるP-39なんて、普通の人がどれだけ探しても
そのラジエターの空気取り入れ口を探すのが困難なくらい(笑)、それが目立たない大きさになってます。
正解は写真に見えてる主翼付け根の四つの穴がそれ。
ただし外側二つはオイルクーラー用の空気取り入れ口なので、
ラジエターには内側の二つの穴だけで対応してるのです。
ただしこの辺り、いくらV1710でもさすがに無理がある感じが無くもなく、
どうもP-39はエンジン冷却に問題抱えてたんじゃないの?という疑惑があります。
この冷却装置で、南部太平洋戦線でキチンと冷えたか、というとかなり疑問であり、
他の問題が多すぎて(速度が出ない、上昇が遅い=加速が悪い)見逃されてしまっただけで(笑)、
実は冷却系にも問題を抱えてた気がするんですよねえ…。
実際、この機体が高く評価されたのは放っておいても冷えてしまうソ連の地でしたし。
ちなみにP-39のオイルクーラーの空気取り入れ口は、
寒冷地では凍結防止のため、シャッターで閉めてしまう事ができました。
この辺りも、ソ連で好評の原因の一つだったようですけども。
さらに余談ですが、ヒヨコの雄雌並みに見分けにくい、
と言われるP-39と発展型のP-63を見分けるポイントの一つがここです。
実はP-63ではこの空気取り入れ口が一体化して、もっと横長の大きな穴が
左右の主翼付け根に一つずつ開いてるだけとなってます。
(厳密にはその大きな穴の横に三角の小さい穴がもうひとつあるが)
四つ孔が開いてるP-39とは異なる部分で、両機を見分ける重要なポイントの一つですね。
でもってB/C型からムスタングはマーリン60系エンジンのライセンス生産版、
パッカードV1650エンジンに積み替えるわけですが、
ほぼ同じエンジンを使ってるスピットファイアのMk.IX(9)の冷却器はこんな感じ。
左右の主翼の下からドンガバチョ、という感じにラジエター&オイルクーラー&中間冷却器が
入った部分が大きく飛び出してるのが見て取れるかと。
それ以前のスピットでは左右の主翼下に
ラジエターとオイルクーラーを振り分けて付けてたのですが(すなわち左右非対称)、
エンジン出力が上がって熱量が増え、
さらにインタークーラーのラジエターが加わったため、こういった構造に。
お世辞にも空気抵抗が小さいとは言いかねる構造ですが、
ドイツのMe-109も同じような設計なので、当時の代表的な搭載方法の一つです。
対してB/C型以降のP-51ではこんな感じに。
腹の下に、この小さい空気取り入れ口が飛び出してるだけなのです。
そんな大きさで熱対策が何とかなると思ってるのかー!と叫びながら
100mの助走を付けて設計者にメキシカン・フライングクロスチョップを叩き込みたくなるところですが、
事実として、この小さい取り入れ口だけで何とかなってしまったのでした。
恐るべし、シュムード率いるムスタング設計陣。
ただし一見するとA型の冷却部と同じように見えますが、その構造はかなり異なり、
空力に影響を与えないようにさりげなく大型化されてます。
ここでちょっと脱線(笑)。
写真で右上に見えてる白い矢印の先の穴はクランク挿入孔で、
エンジンスターターのトラブル等で手動エンジンスタートとなった時、
ここに始動用クランク棒を差し込むところです。
が、なぜかここから排気煙が出てるらしく、
当時の機体を見るとこの孔から後部に向け煤が付いてます。
なんでクランク穴から排気がもれるのか、どうもよくわかりませんが、
これもまたP-51の謎の一つという事にしておきましょう…。
で、ここからが本題。
この場所から排気煙、と聞いて、あっと思ったあたなたは私の同志です。
そう、この位置から、この小さい穴から排気煙が出ると、
これは直後の主翼に沿って流れる事になり、このためその黒い煤煙後は
主翼周辺の気流の流れを示します。
おお!と思った皆さんは、ネットで胴体右面横から撮影されたマーリンムスタングの写真を探して、
その気流の流れを確認して見てくださいませ。
層流翼の上で、層流、きれいな気流の流れがどの辺りまで保たれていたのか、
それである程度まで見る事が出来るのです。
■Photo US Air force / US Airforce
museum
なんて事を考えながら見ると、こんな何気ない朝鮮戦争時代のF-51の写真も情報の宝庫です。
この孔から流れ出て機体に付着した排気の煤を見ると
主翼上の気流が徐々に広がって行くのが見て取れます。
後ろの機体を見ると、どうもかなり後部に至るまで乱流になってないようにも見え、
あれ、層流翼、意外に効果あるじゃん、という気もしてきます(笑)。
ちなみにこの煤が付いてるのは境界層のはるかに上ですから、
層流で流れてる通常流の部分を見てる事になります。
ただし手前の機体で見る限り、主翼後端部までは層流状態は維持できておらず、
(本来そこまで層流を乱流にさせず抑え込むのが層流翼だ)
途中で乱流になって四散してるような感じで、やはり限界はありますね。
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