■シュムードの努力
はい、リアルタイムで読んでる人はお分かりかと思いますが、
八か月ぶりの連載再開です。
このため、その方が判りやすい、と判断した場合は、
一部、以前書いた内容と被ったりもしますが、ご容赦のほどを。
というわけでイギリスとの正式契約直前、
すでに1940年4月末ごろから設計が始まっていたムスタングですが、
その設計の責任者(Chief
designer)となったシュムードが真っ先に始めたのは、
意外にも技術面の作業ではなく絶対に納入期限を守る、
というスケジュールの組み立てでした。
先にも書いたように設計開始から納品開始まで1年が契約条件であり、
となると試作機の完成まで許される時間は100日だけ、
というのがノースアメリカン社の出したスケジュールでした。
これを守るためにあらゆる工夫をシュムードはやってます。
まずは社長のキンデルバーガーから許可を得て、
必要な人材は誰でも設計チームに引き抜いていい、という許可を得ます。
これは新人だろうが、部門責任者だろうが、それこそキンデルバーガー本人だろうが(笑)
誰でも引き抜いていい、というスゴイ条件だったようです。
これで必要な人材をかき集めたのですが、それでも設計チームは最大でも50人を
超えなかったようなので、現在の航空機開発から考えると、
やや少人数だったと言っていいでしょう。
その陣容で正式契約からわずか約100日での試作機完成をやってしまったのでした。
(正確には102日。ただし先に書いたように実は契約前から設計を開始しており実際は140日前後)
その中でシュムードが行った工夫、新しいスケジュール表の開発や、
一目で進捗状況が把握できるような赤と黒のピンによる表示など、
いろいろな話が残ってるのですが、そこまで見てるとキリが無いのでここではパスします。
ただし、シュムードが各部門の設計者との間で締め切り時間を設定した話は
ちょっと面白いので書いて置きましょう。
まず、シュムードは各部門の設計責任者に
自ら必要な時間を見積もって申告するように申し渡します。
すると数日後に、チーム全員の合計作業時間で4000時間もあれば、
といった感じに、各責任者が申告して来ます。
でもって、シュムードに言わせると、大抵の設計者は“楽観主義者”で
自分の能力を高く見積もるため、実際に必要な時間より
数十%は少ない時間数で申告してくるのだそうな。
すでにアメリカで航空機設計を10年以上続けていたシュムードは
それぞれの設計に必要な時間はだいたいわかってますから、
いかにも理解がある、という感じに、いや君の所の設計班には全員で6000時間を上げよう、
と彼が経験的に知ってる最低必要時間を申し渡すのだそうな。
そう、それでもあくまで最低時間なのですが、相手の申告して来た時間よりは
よほど余裕がある数字になってる、というのがポイントです。
するとこれを受けた相手は、自分が申告したより1.5倍もの時間をもらってるので、
これを守れなければ自分の無能をさらしてるようなものだ、
と絶対に締め切りを守ろうと努力するのだとか。
が、実際は余裕のある時間には全くならず、最初にシュムードが見た通り、
必要最低限の時間になってしまい、作業は地獄の進行スケジュールになって行きます。
それでも自らが言った時間より余裕をもらってるのだ、という意識があるため、
誰もが自主的に必死に作業に取り組むんだそうな。
人から強制されてやらされてるのではなく、自分の意思でやってるのだ、
という意識を現場に持たせる事で地獄のスケジュールの不満をうまくサバイテしまったわけです。
シュムードに言わせると、
「全ての作業班と設計陣にこのやり方で行った」
のだそうで、これは極めて上手いやり方だった、との事。
ただの技術者じゃないですね、この人(笑)。
でもって、もう一つ、シュムードがやった工夫が自ら率いる
例の設計準備課(Preliminary
design
departments)の仕事の精度を上げる事でした。
この事前の基礎設計をしっかりやる事で、細部の実設計に入った後、
いらぬ変更や混乱が起こらないようにしたわけです。
なので徹底的にこの段階で設計を検討し、
その上で設計の現場に仕事を流していってます。
ホントにただの技術者じゃないんですよ、この人。
ちなみにこの辺りの話を読んだとき、個人的には
宮崎駿監督の絵コンテみたいだな、と思ったり。
でもって、その事前設計の中で彼が最も気にしたのが、先に書いたように
機体全体を滑らかに仕上げ、余計な突起等によって乱流が発生し
空気抵抗源にならないようにする、という点でした。
これは本人言わせると、あらゆる局面を円錐を元にして造り、
その断面が二次曲線になるようにした、との事。
滑らかな線で機体全体が包まれるようにした、との事でしょうね。
ちなみに二次曲線というのは楕円や放物線(パラボラ)のような曲線で、
円錐はどの切断面も必ずこの曲線で構成されます。
が、シュムードの凄いところは、その先でして、彼は機体の外形、全体のフォルムを
まず最初に決定すると、その絶対維持を言明し、以後、そこに出っ張りや凸凹を
造ることを一切、許しませんでした。
当時の航空機はまだ鋼管羽生張りの延長から抜け切れてないので、
通常の機体では、まず内部構造があり、そこにカバーをするように外板を張り付け、
その結果、機体の形状が決まって行きます。
機体の形状としては流線形が有利、余計な凸凹が無い方が有利、というのは
当時でもすでに判ってましたから、その原則にはほぼ従いますが、
それでもまず機体構造があり、それにカバーの外板を付けて行く、というのが基本です。
が、シュムードのムスタングはそうではなく、まずは滑らかなフォルムという全体の設計があり、
そこにエンジン、コクピット、車輪などの要素を埋め込んでゆく、そして必要のない凸凹は
一切これを付け加えない、という徹底した設計でした。
まずは空力上有利な形状があり、他の設計はそれに合わせろ、という話で
構造設計より空力設計が優位にある、という事です。
後の高速ジェット戦闘機などでは普通の設計ですが、当時としては画期的な設計法でした。
古い設計というか、機体の構造の合わせて外形が決定されてる例の一つ、Bf-109G。
全体的には楕円断面の胴体が流線形を成しながら尾部に絞り込まれて行くのですが、
必要に迫られてる部分にはいろんな出っ張りがあちこちにあります。
まずコクピットの後ろにはループアンテナがありますし、
主翼の機関銃の部分の上にはこれを収納するための出っ張りができてます。
機首部の排気管は仕方ないにしても、その左にドカンと空気取り入れ口が飛び出し
(DBエンジンの構造上、これもまた仕方ない部分が大きいが)
さらに機首部には機関銃搭載用のコブが左右にあるわ、銃身とそれを収める切り欠きがあるわ、と
内部の機材が機体の外形に影響を与えてる、つまり機体の輪郭線が
その内部構造によって決定されている、というのが判るでしょうか。
対してムスタング。
機体の尻から先端部まで、コクピット後ろのアンテナポール以外、
余計な出っ張りが一切ないのに注意してください。
これが「最初に滑らかなフォルムありき」のシュムード式の設計で、
以後、最後のF-82まで、余計な出っ張りを造ることを徹底的に拒否してます。
細かい点のようですが、これがムスタングの空気抵抗の少なさに直結しており、
ほぼ同じエンジンを積み重量では1t
近く軽いスピットのMk.IX(9)に比べ、
高度7000m前後で30q/h ほど高速である、という結果に繋がっています。
(その代わり重いのは上昇力(加速力)に直結するのでこっちはP-51が完敗)
さらにいろいろな空力的な工夫がこの機体には盛り込まれてるのですが、それはまた後で。
とりあえず、層流翼なんざ無くても関係ないくらい、空力設計に
気を使ってるのだ、というのだけを見て置いて下さい。
ちなみにシュムードは、この「最初に空気抵抗の少ないフォルムありき」の設計を
世界で初めての事だった、と言ってますが、さすがにそれは言い過ぎで(笑)、
1927年初飛行のロッキードのベガ、そして1932年のハインケルのHe70などが
まさにその設計をやってます。
もっとも、こっちは木製機で旅客機ですから、全金属製の戦闘機、
という条件でなら、確かにムスタングが世界初かもしれませぬ。
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