■ムスタングへの第一歩
ちょっとここで脱線。
シュムードをして旧式機と言わしめたP-40ですが、彼の1940年3月の発言の段階では、
生産こそ始まってましたが、部隊配備はまだというピカピカの新型機でした。
それを旧式機と呼ぶとは、と思っちゃうところですが、
実はP-40は新型戦闘機と言っても、旧式機であるP-36のエンジンを
より高出力の液冷アリソンV-1710エンジンに載せ換えただけに近いものでした。
よって機体の基本設計は確かに古臭いものではあったのです。
■Photo US Air force / US Airforce museum
■Photo US Air force / US Airforce museum
参考までに両機の比較。
よく見ると、上のP-36と下のP-40、主翼とコクピットから後ろは、ほぼ同じ構造なのが判るかと。
なので、全体的に古臭い機体だったのは事実でした。
その代わり、開発に手間取らず、さっさと導入できたわけですが。
ただし、この辺りはイギリスもよく判ってましたから、後にP-51の生産をあっさり認可したのも、
実はP-40の微妙な古臭さが気になってたのかも知れません。
さて、最終的にキンデルバーガーの交渉待ちとなったものの、
早くもシュムードは新型戦闘機の設計熱意に燃えてました。
彼は以前から戦闘機が設計したくて仕方なかったからで、
幾つものスケッチ、簡単な三面図を数年間に渡り書き溜めてあり、
正確な要求仕様が判り次第、一気に設計をまとめ上げる自信があったのです。
それまでの彼は爆撃機の銃座や爆弾懸架装置、さらに採用されなかった
練習機などの設計の仕事に携わっており、戦闘機なんて縁もゆかりもなかったのですが、
とにかくシュムードの夢は自分で戦闘機を設計する、でした。
21世紀の今でこそ、戦闘機は航空機の花形ですが、当時は爆撃機こそが空軍の華であり、
主力であり、主要な兵器である、という時代であり、
ましてやアメリカ陸軍はボンバーマフィアの総本山ですから、その傾向は強かったはずです。
その中で、ここまで戦闘機にこだわったのは彼の性格なのか、
あるいは当時の設計屋にとって、高速、高機動を要求される戦闘機の設計は
共通のあこがれだったのか、その辺りはよく判りませんが…。
ついでに、この時期、ノースアメリカン社では双発爆撃機
B-25の開発が既に佳境に入ってたはずで(同年の8月に初飛行する)
同時進行で新たに戦闘機を設計開発したるで、と決心した
キンデルバーガーの経営者としての決断力もまた、スゴイものがあるんですが。
ちなみ既にノースアメリカン社は第二次大戦開戦後のフランス相手に
シュムードの基礎設計によるわずか500馬力前後のレンジャーV-770を使った
軽量戦闘機を提案した事がありました。
ただし、さすがにそれでは実力不足、という事でこちらの話は流れたようです。
が、その機体案のスケッチを見ると、主翼や胴体後部が
すでにムスタングらしいラインでまとめられており、
あの戦闘機が一朝一夕で簡単に造られたものでは無い事、
シュムードの地道な積み重ねが大前提としてあったことが伺えます。
仕事に恵まれなかった時代に、腐ることなくアイデアと研究を蓄積し、
ムスタングの設計でそれを一気に昇華させ、
これを傑作機としてしまったシュムードの仕事ぶりを見ると、
人間、不遇の時代にどれだけ知識と経験を積めるのか、が重要なのかもしれませぬ。
ついでながらこの辺り、なんだか新ルパン(赤ルパン)最終回前後から、仕事に干されてた宮崎駿さんが
テレコムで多くのアイデアを提案してはボツにされながら、
後にその時期に考えた話を基にジブリの黄金期を築いたのに似てるような印象が個人的にはありにけり。
(1980〜1982年ごろの仕事閑散期。少なくともラピュタ、もののけ姫の原型はこの時期にできてた。
トトロはもうちょっと古い可能性がある。ナウシカもこの時期だがあれはジブリじゃないからね。
ただし宮崎さんは自分の作品も“破壊と創造”で再構築してしまうので、
最終的に、いずれも全く別作品になってしまったが)
そういや夏目漱石も東大の運営陣と衝突した後、朝日新聞入社までいろいろやってますが、
そんな話まで脱線してられないので、ムスタングの話に戻りましょう。
さて、イギリスへの2週間の出張を経てシュムードは4月初旬には帰国するのですが、
残念ながら、まだ新型戦闘機の契約には至らず、その後は同行してた副社長のアトウッドが
ニューヨークにある英仏購入評議会の本部に出向いて交渉を続けてました。
ちなみに、この交渉中、ノースアメリカン社は完全新設計という事を隠してたフシがあり、
例のいろいろ微妙な戦闘機、P-64(社内呼称NA-50)の発展型、と説明したとされます。
BC-2練習機を基に改造され、ペルーに輸出された戦闘機P-64(NA-50)。
これの発展型、と言われたら私なら少し考えさせて、という感じですが、
まあ何ら戦闘機の実績が無かったノースアメリカン社としては一つの交渉術だったんでしょうね。
P-40だって空冷エンジンから液冷のV-1710に換装した“新型”戦闘機だったんですし。
このため、当初の簡易契約(Letter
agreement)ではNA-50Bという名前で発注されてるのです。
後に社内開発番号がNA-73に変更されて、そちらが正式契約時の呼称になりますが。
このノースアメリカン社とイギリスが交渉中の間、
次々と英仏購入評議会は戦闘機の購入を決めてました。
先に見たように4月4日にまず辣腕ラリー(笑)がP-39の契約をまとめ、
最終的に18日までには最後のP-40の契約もまとまっていたわけです。
(P-40の購入契約前にノースアメリカン社はすでに新設計機の提案をしてたのに注意)
ちなみに、これと前後して、4月9日はドイツがノルウェー侵攻を開始してます。
この辺りも、英仏購入評議会が各種戦闘機の購入を急いだ一因でしょう。
で、これらの一連の流れの中、1940年4月11日、
つまりアメリカ政府が英仏購入評議会への販売機数を
2440機まで、と決定した翌日に、英仏購入評議会のイギリス代表、
“サー”の称号持ちのヘンリー・セルフが簡易契約書にサインしました。
(Letter
agreement/アメリカでよく見られる本契約前の確認書みたいなもの)
つまり、P-40の正式な購入契約の前に、すでにノースアメリカン社は
そのライセンス生産を拒否してた、という妙な状況で(笑)、この時期の
現場の混乱ぶりがなんとなく見える話です。
で、これが先に述べたようにNA-50Bと呼ばれた新型戦闘機400機の仮発注で、
その簡易契約で要求されていたのが
●アリソンV1710エンジンを使用する事
●1機あたりの価格は4万ドル以下とする(初期のP-40の約5万ドルより安い)
●可能な限り速やかに納入を開始する事
といった辺りだったようです。
これに対するノースアメリカン社の副社長、アトウッドの回答は
(回答を渡したのはやや遅れて5月1日)
●エンジンはアリソンV1710を採用するつもり
●1941年1月から納入可能で9月までに320機を納入できる。
以後は月産50機のペースで生産が可能
●機体価格は37590ドル45セント(笑)
●武装は機関銃8門(7.7o?)、防弾装備を積んで機体重量は3.52t(7765ポンド)
というものでした。
通常、機体価格をセント単位まで計算するものなのか、私は知りませんが(笑)、
この辺り、なんとなくアトウッドの細かい性格が出てるような気がします。
この内容を基に5月4日には、陸軍から
国外譲渡協定(Foreign
release
agreement)も認可されましたが、
その後、なぜか手間取って、5月29日にようやくイギリスから正式契約を取れました。
この時はすでにNA-73の機体名に変ってます。
ついでに機数は少し減らされて、まず320機だげとされたようです。
さて、これによってムスタング(まだその名は無いが)の製造が正式に決定しましたが
既に1か月以上前、4月24日までにノースアメリカン社内で詳細な設計仕様が決定されていました。
この段階で契約機の名称もNA-50BからNA-73に変更となります。
(アメリカ軍の機体ではないので、開発中にX、あるいはYのナンバーは与えられてない。
後にアメリカ陸軍に献品されたムスタング
I
が初めてXP-51の名を得る)
これ以後、シュムードはニンジンを1ダース目の前にぶら下げられた馬車馬のごとき
大車輪の活躍を見せ、いわゆる100日間の設計の戦いで見事に勝利、
よく知られるように、わずか102日でムスタングという傑作戦闘機の原型を完成させてしまいます。
これはイギリス側の“可能な限り速やかに納入を開始”が1年後の事だったからで、
試作機の初飛行から問題点の解消、そして量産準備を考えると、
これがギリギリの時間だったからです。
ただし、この数字、気が付いた人は気が付いたでしょうが(笑)
あくまで正式契約の5月29日から数えた場合の数字です。
一カ月以上前の段階、4月24日に社内での設計仕様は大筋で決まっており、
その後、正式契約前に英仏購入評議会に対し、基本的な設計案を提出して、
先に認可を受けていた、という事はシュムードも認めてる所です。
なので実際の設計は、もう40日くらい、合計で140日前後の日数を使ってたはずですね(笑)。
ちなみにこの時、せっかく機体が完成したのに、
アリソンエンジン部局が、まさかホントに100日ちょっとで
戦闘機が完成するとは思っておらず、必要なエンジンの手配を行ってませんでした。
このためその後、18日近く無駄にすることになるのですが…。
シュムードのアリソン嫌いは、あるいはこの辺りが原点かもしれませぬ。
といった辺りの開発に関する細かい事情は、次回から見て行きましょう。
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