■そしてD型へ
さて、アリソンエンジン搭載ムスタングから、マーリンエンジン搭載型になって
最も大きく変わったのは、当然、エンジン換装が行われた機首部であり、
この辺りのA型との違いは、すでに以前、説明しました。
が、もう一つ、決定的に変わったのがラジエター、オイルクーラーを始めとする
冷却機が納められた腹の下の冷却用ダクトでした。
エンジンの高出力化は発生する熱量が大きくなることも意味しますから、
当然、冷却系も大幅な改修が必要で、その大型化が必要になるのです。
おなじ2段2速マーリンを積んだスピットファイアでは、冷却用ダクトを両翼下に設置、
つまり従来の倍に数を増やして対応してましたが、
胴体下に冷却ダクトがあるP-51ではそれができません。
なので、単純に大型化するしかないのですが、
マーリン60型の場合、過給機の中間冷却機用の
冷却装置(After cooling
system)搭載が必須であり、
これまでこの腹の下に詰め込んだため、さらに大型化してるのです。
この点もちょっと見て置きましょう。
■Photo US
Air force / US Airforce museum
写真は左のアリソンエンジン型がA-36、右のマーリンエンジン型がP-51D型で、
厳密にA型とB & C型の写真比較では無いのですが、
まあこの辺りは同じ構造なので問題ないでしょう(手抜き)。
とりあえず胴体下にある冷却用ダクトに注目。
左のアリソンエンジン搭載A-36に対して
マーリンエンジンのD型ではより大きく膨らんでるのが判ると思います。
さらにアリソン搭載ムスタングの冷却ダクトの入り口が
ほとんど機体にくっついてしまってるのに対し、マーリン搭載型のダクト入り口は
ハッキリと機体から分離してるのに注目してください。
これは機体表面にある低速の気流の流れ、
すなわち機体表面との摩擦によって生じる低境界層の気流を避け、
その上に取り入れ口を飛び出させたものです(機体下面なので正確には下側だが)。
ムスタングの場合、胴体のかなり後ろに冷却系を置いたため、
そこに空気の流れが至るまでに、機体表面との摩擦で、
境界層が乱流化するため(乱流境界層)、これは重要なポイントでした。
ちなみにP-51A型の冷却ダクトの入り口はこんな感じ。
胴体に密着してるわけではないのですが、その隙間は極めて小さなものです。
この空気取り入れ口を機体表面から浮かせろ、というアイデアは
イギリス側が派遣した技術者の協力によるもので
アリソンエンジン搭載ムスタングでは3.8cm(1.5インチ)浮かせてたとされます。
ちなみに、この写真の機体では判りませんが、初期のアリソンエンジン搭載機では、
その冷却ダクトの入り口は可動式になっており、
後部のフタと同じように、下に開いてその吸入面積を大きくできます。
ただし途中でこの仕組みは廃止されてしまったので、
あまり効果が無かったのかもしれません。
ただしどんな原理で取り入れ口の位置を機体表面から離すと有利になるのか、
という境界層との因果関係がはっきり判ったのは
B型の開発時以降で、このため、B型以降のダクトではさらに改良が加わります。
というか、ここまで機体後部に置く場合、境界層の乱流化が避けられないので、
そっちの問題がより重要になるんですが、この点はまた後で。
こちらがマーリンエンジン搭載型のダクト入り口。
機体表面との間に、より大きく隙間が開けれられ、取り入れ口の形状も変わってます。
このB型以降の冷却ダクトの開発については、かなりのドラマがあったりするので、
この点はまた後で、もう少し詳しく触れる事になるはず。
ちなみに機体の表面にを流れる境界層を避けて、
効率よく空気を取り入れる、というアイデアは、以後も多くの機体で採用されてます。
このF-16空気取り入れ口が機体表面から離れた位置にあるのも、ほぼ同じ理由です。
この辺り、F-15やF-22なども、よく見れば空気取り入れ口は
機体表面から浮いた位置にあるのが判ります。
さて、では念のため、ここでまたあの進化系統図を見て置きましょう。
P-51A以降はムスタングの開発の主導権はアメリカに移っており、
マーリンエンジン搭載ムスタングに関しても、ムスタング
X
(10)があったものの、
既に見たように量産には移されず、アメリカが、
というかノースアメリカン社自らが改良したP-51B &
C型がその進化型となります。
が、ここで進化が止まらなかったのがマーリンエンジン搭載ムスタングで、
さらにその最終型であるD型が登場する事になるのです。
これは先にも見たように、水滴風防(厳密には風防でなくCanopy/天蓋だけど)に交換し、
武装を12.7o×6門とさらに2門の機関銃を主翼に追加したものでした。
ちなみにこのP-51
D型の試作機の初飛行は1943年11月12日。
実はこれはP-51B
&
C型が本格実戦投入される前であり、
ようやく夏ごろから量産され始めたP-51B &
C型がヨーロッパに展開し始めた段階でした。
すなわち極めて手早い開発であるのと同時に、P-51のD型は
P-51B
&
C型の実戦データを得る前に開発されたものだという事を意味します。
そもそも一部で知られるP-51B
& C型の視界改良型キャノピー(天蓋)、
マルコムフードの登場より、実は水滴風防のD型の初飛行の方が先なのです。
なのでP-51B &
C型の運用の結果、パイロットから要望が出て
後方視界確保のためD型から水滴風防にしたわけでは無く、
ノースアメリカン社が先に自らその改修を行っていた事になります。
この辺りの事情は、また後で少し詳しく見るかもしれません。
■Photo US Air force / US Airforce
museum
B型の内、2機を改造して造られた先行試作型P-51D。
写真はその1号機で、11月12日に初飛行に成功した機体です。
生産ラインから引っ張り出されたB型の10号機からの改造だとすると
43年の夏には生産が開始されてたB型ですから、
約3〜4カ月かけて改造された計算になります。
さらに生産10号機からの改造という事は、B型の生産開始直後には、
もうD型の開発が始まっていた事を意味するのです。
ちなみに試作機ナンバーのXPは付けられなかったとするのが定説のようで、
この試作型も単にP-51Dの名前で呼ばれてました。
とりあえずP-51シリーズの決定版ともいえるのがこのD型であり、
総数で8000機前後が生産されました。
さらにプロペラが通常のハミルトンスタンダード社製では無く、
アエロプロダクツ製であるK型が(それ以外はD型と同じ)
1500機前後製造されてますので、合わせて9500機前後が造られたと見られます。
よって15000機以上が生産されたP-51&ムスタングシリーズの内、
約2/3がこの機体だったわけです。
実際、多くの人がP-51ムスタングと聞いて想像するのはこのD型でしょう。
ついでに生産開始はイングルウッド工場において1944年2月からで、
となると、その前のB型は8カ月前後しか生産が行われてなかった事になります。
さらに翌3月から、早くもヨーロッパに送られ始めますが、
本格的な運用は7月ごろからだったようです。
このD型も一応、イギリスにレンドリースされており、
こちらはIV
(4)
型の名で呼ばれてました。
ちなみにK型はIV A型となります。
イギリス空軍は両者を880機前後受け取ったようですが、
そのうち2/3はP-51
K型、すなわちIV(4) A
だったようです。
ちなみにマーリンムスタングにはもう一つ、幻のM
型があるんですが、
これはエンジンの性能を若干落とした低性能&安価版だったようです。
ただし、ほとんど完成する前に終戦を迎えており、まあ無視していいでしょう。
でもって、これで終わらないのがP-51で、事実上、別の機体と言っていい
軽量型ムスタングの開発が、D型の開発とほぼ並行して行われていました。
この辺りはまた次回、見て行きましょう。
とりあえず、今回はここまで。
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