今回からはロシア、ウクライナ、両軍の兵士のインタビュー記事を基に、さまざまな戦闘体験談とそこから得られる戦訓を見て行きましょう。尚、それぞれの基になっている記事は最後にリンクを貼って置きます。
■ ロシア側戦車長の証言
まずはロシア陸軍のT-72戦車、おそらく新型のT-72B3の戦車長だったアレクセイ(Алексей
Ухачев)氏へのインタビュー記事。ロシアの古参の報道機関MKRU(Московский
комсомолец)が2022年5月24日に報じたものです。
彼は開戦からちょうど一カ月間戦い、3月24日に負傷して入院中にインタビューを受けたもの。開戦直後のロシア側の戦車兵の戦いがよく判る内容となっているのでここに紹介します。ちなみにアレクセイ氏は退院後、再度ウクライナに向かい、5月10日にイジューム近郊で対戦車ミサイルの攻撃によって戦死したのが確認されています(本来、インタビューは公表しない予定だったが、この死をきっかけに記者が掲載に踏み切った)。今回の記事の掲載に当たり、ご冥福をお祈りします。
■Photo ARMY INFORM
ウクライナ侵攻時にロシア側の主力戦車だったT-72。
アレクセイ氏が戦車長を務めていたのと同じ新型のB3だと思うのですが、私はそこまでロシアの戦車に詳しくないので断言はせずに置きます。ちなみに砲塔周辺と車体横に見えるZ字が入った一連の四角い箱が、記事中に登場する爆発反応装甲(Explosive
Reactive
Armour/ERA)となります。いわゆるリアクティブ アーマーの一つです。乱暴に説明してしまうと、砲弾による貫通を狙った徹甲弾(力(F)の発生に速度と質量、どちらを利用するかで凡そ二種類ある)、合成衝撃波による高温高速噴流で装甲に穴を穿ち内部の乗員を殺傷する成形炸薬弾、どちらが着弾しても、この装甲が爆発する事で破壊力を大幅に削ぐ装甲です(厳密にはその原理は徹甲弾と成形炸薬弾では異なるが、爆発でそのエネルギーを相殺しその貫通力を削る、という考え方で基本的には問題無い)。
この記事では箇条書きの形で要点を抜き出して行きます。
■2月24日の開戦の日、ロシア領内のノブコロド州のシェベキノ(Щебекино)経由で国境を超えてウクライナのハリコフ州に侵攻、親ロシア派の拠点と言われたクピャンスク(Куп'янськ)に入った。その後、西のバラクレヤ(Балаклія)に向かい、3月4日に入った。
どちらでも特に抵抗は受けなかった。
(筆者注・開戦当初、ウクライナ側はこの一帯で全く防衛戦闘を行っていなかった事になる。やはり完全に奇襲を受けたと見るべきだろう。ちなみに後の9月に起きたウクライナ軍によるハルキウ電撃戦によってどちらの街も一気に奪還された。当然、ウクライナ軍の動きは逆向きでバラクレヤから東のクピャンスクに向かっている。記事中に述べられた経路だと国境から約150q。その間の進撃にロシアが要した時間は約八日。ウクライナの電撃戦ではバラクレヤからクピャンスクまで約55qの進撃にほぼ一日しか要していない。無抵抗であることを考えるとロシア側の進撃速度はかなり遅い。戦争における時間の重要性を事を考えると褒められた事ではない)
■バラクレヤには修理工場を含む大規模なウクライナ軍の基地があり、機材も弾薬も破壊されず、特に罠も設置されないまま放置されていた。他にもロシア国境周辺で兵器庫が放棄されていた。ただしロシア軍は罠の可能性を疑い、かつ残地兵器(ブービートラップ)を警戒して放置した。自分はなぜウクライナ軍が破壊もせずに逃げたのか(ロシア軍に利用されてしまうのだ)判らなかった。
インタビューによるアレクセイ氏の部隊の凡その進路。ウクライナ第二の都市、ハルキウの直ぐ北東で国境を超えながらこれを迂回してます。開戦直後からハルキウ周辺には一定のウクライナ軍が居たのかもしれません。
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