まずは開戦直後の状況を簡単に確認しておきます。

■ロシア側の主張 プーチン大統領の2月24日の演説要旨

増刊号でも指摘したように、プーちゃんは地球上に存在しない不思議国家、未だにロシア政府ですら存在にふれた事が一度も無い「ドンバス人民共和国(Народные республики Донбасса)」という国からの保護要請に基づき、ウクライナに侵攻しました。その旨を宣言する演説を行い、開戦当日2月14日の早朝に国内で放送していますから、当然、既にそれ以前から準備を行っていたことになります。

その演説中に2021年12月7日(アメリカ時間)のバイデン大統領とプーちゃんのテレビ会談にも触れています。この時、アメリカがロシアの主張を受け入れなかったことによってNATOのロシア侵略の可能性が高まったとしており、すでに前年12月の段階で戦争(ロシアによれば特殊軍事作戦)は不可避だったことになります。実際、会談内容は非公開ながらプーちゃんが自分の主張を延々と2時間近く語るだけのほとんど無意味な内容だったと言われており、このため2021年の暮れから西側の情報機関はロシア軍のウクライナ侵攻は近いと警告を出していました。

ところがここまで状況が揃っていながら、ウクライナ軍は2月24日にロシアが侵攻を開始した時、臨戦態勢となっておらず、ほぼ不意討ちを食らう形になりました。開戦後に多くのウクライナ兵が各種報道機関のインタビューに応えていますが、私が確認した範囲では全員が開戦の報を受けてから基地や徴兵事務所に向かった、と証言しています。また、ロシア側の兵士も開戦直後に見たウクライナ軍の兵は極めて少なかったと、無人の野を行くように侵攻できたことを述べています。この点は完全に愚かであった、と言わざるを得ない部分であり、ウクライナ側も早くからその失策を認めてました。まずはこの点をゼレンスキー大統領とウクライナの情報機関の下剋上男、ブダノフ将軍の証言で確認して置きましょう。


ゼレンスキー大統領による開戦直前のウクライナ側の状況


■Photo ARMY INFORM 

この戦争を象徴する人物となったゼレンスキー大統領。プーちゃんを始めとするロシア首脳陣はロシア軍が侵攻すれば政府を投げ出して逃げる、あるいはオロオロしながら逃げ回っている所を逮捕できると思っていたようですが、全て誤算でした。この人が首都に踏みとどまり、さらに軍の上層部が首都キーウの防衛に全力を投入した結果、この戦争は現在のように長期化し、ロシアにとっては悪夢のような泥沼化が始まる事になったわけです。ただし開戦後の対応は見事でしたが、開戦前には完全にロシアの動きを読み誤っており、このためウクライナ軍は事実上、不意討ちを受ける形になってしまいます。

幸いにして2014年からの内戦で、軍部はケンカ馴れしていた事、ロシアが当初は全面侵攻ではなく、ウクライナ政府の転覆を狙い、その後でゆっくり全土を占領すればいいや、程度に考えていたために最悪の事態は免れた事になります。この点について、開戦から三カ月たち、首都キーウ周辺のロシア軍が撤退した後の2022年5月21日に大統領本人がTV番組の会談で当時の状況を述べています。よってまずはこれを見て置きましょう。

〇ロシア軍が複数の方向から同時進行して来たので、当初はこれをまともに迎え撃つ事が出来なかった。ロシアが侵攻して来る事は判っていたが、その作戦内容や侵攻範囲は最後まで誰も知らなかった。

〇北の隣国、ベラルーシから国境を越えてロシア軍が南下して来たことは想定外だった。機甲部隊が侵攻して来た事、ベラルーシ領からミサイルが飛んで来た事で、今回の侵攻にベラルーシ軍も参戦してるのかロシア軍だけなのか、当初、判断が付かず混乱が生じた。
(筆者注・開戦からほぼ一年経った2023年1月に至るまでベラルーシは参戦していない。単にロシアに基地を提供しただけ。ちなみにベラルーシ領からウクライナの首都キーウに向かう侵攻ルート上にあったのがチェルノブイリ原発だった。このため、開戦直後にロシアがこれを占拠している)

〇大規模な軍勢に多方向からに攻め込まれたので、広い国土に軍を分散するしか無かった。集中的な運用、例えばキエフの防衛に全力を集中する事は出来なかった。
(筆者注・ただしウクライナ軍首脳陣は後に早くから首都キーウの防衛に全力を投じる事を決定していた、と述べている。この辺りは決して先進国でも民主的国家でも無いウクライナにおける軍と大統領の関係が必ずしも円滑でない事、すなわち大統領ですら軍の作戦について全て情報を得ているわけでは無い事を示していると見るべきだろう)

〇ウクライナも年初から10万人を軍に追加動員していたが、これだけのロシア軍を迎え撃つには全く足りなかった。

〇不意討ちは食らったが、侵攻は予想していたので、一定の準備だけはしていた。

〇西側の国々は当初ウクライナに武器援助の意思が無く、全土に塹壕を掘って防衛に徹しろと助言して来たが拒否した。代りに最新の兵器をウクライナに提供するように求めた。
(筆者注・後に2022年初夏以降、ドンバス地区でロシア相手に長期の塹壕戦が始まるがここは内戦時代からそういった戦いが続いていた一帯であり、開戦後に新たに始まったものでは無い)

以上の会見内容はウクライナ大統領府のサイトで直接見る事が出来ます。

https://www.president.gov.ua/news/do-pochatku-vijni-soyuzniki-rekomenduvali-nam-riti-okopi-mi-75229

■ブダノフ将軍の主張

この点において軍の情報機関の下剋上男、ブダノフ(Буданов )将軍はちょっと異なる発言をしてるので、これも見て置きましょう。ただしブダノフは開戦後、一気に軍の諜報機関のトップになり、さらに他の政府機関の諜報機関も全て傘下に置いてしまった政治的な野心の強い人で、その手の人物にありがちなハッタリの強い性格を感じさせる部分がありにけり。よってその発言を読むにはやや注意が要ります。

〇プーチンの当初の戦略は三日以内に首都キエフを攻略、十日で全作戦終了だった。ただしこれはウクライナの西域(すなわちドニエプル川の西岸)まで軍事的に制圧するのではなく、主要都市が集中する東側を制圧すれば、自動的に全土が支配下に入ると思っていたからだ。そして今回の武力による侵略はプーチンの独断と見ていい。
(筆者注・今回の戦争はプーチンの暴走ですが、その判断には情報機関と軍部が絡んでいた、と西側の情報機関は指摘しています。その後のロシアの極右勢力の暴走などを見ると、ブダノフの言うプーちゃんの独断、は怪しいでしょう)

〇プーチンは2014年のウクライナ内乱を引き起こし、現在はロシアに亡命中のヤヌコーヴィチ元ウクライナ大統領を引っ張り出し、一時的に傀儡政府を造るつもりだった可能性がある。

〇プーチンは開戦当日、全部隊の司令官と連絡を取り、同時に報告も受け前線の指揮系統に直接介入していた。

〇ウクライナ側はロシアが2月24日に侵攻を開始するところまでは掴んでおり大統領にも報告していた。
(筆者注・先に見たようにゼレンスキー大統領はこの点を認めてません。軍は仕事をちゃんとやってたよ、というブダノフの自己弁護にも見えるので、この点も怪しい、と見て置くべきでしょう)

〇ただし開戦当日まで一切、国民への警告はせず、さらに開戦前夜の2月23日、大統領府で国内の有力企業の代表を集めた会議でも翌日に戦争が始まるといった直接的な警告は一切しなかったが軍事機密に触れる部分以外は教えた。情報をどこまで理解出るかまでは保証できない。同時に国民に一切の警告をしなかった点については、パニックを避けたかったからだ。

この点はどう見て苦しい言い訳であり、実際、ロシアの奇襲でさらなるパニックになったのでは、と記者に突っ込まれて回答に窮してるので、ホントに把握してたのかについては、やはり疑惑あり。

ちなみに一時英語圏のメディアで大きく取り上げられたプーチンは癌説を流し、さらに英語圏の皆さんにバカ受けだったプーチン暗殺計画について流したのもこのブダノフです。ただし私はクーデターが起きるなんて言ってないよ、可能性は排除しない、という話だよ、とこの時のインタビューでは述べております。どうにも、この人はやや胡散臭い部分がありますね。それでも政府の中枢で情報機関のトップをやってる人物の発言ですから、ここにまとめておきます。ちなみにこのインタビューはYou tubeで公開されているので、リンクを貼って置きましょう

https://www.youtube.com/watch?v=HEOHENDwkyM


■その他の証言

ロシア、ウクライナ両軍の兵に対するインタビューは次回以降、詳しく見ますが、今回は開戦時における状況部分だけ、抜き出して箇条書きにしておきます。

〇ロシア戦車兵 

ハリコフ(ハルキウ)方面のウクライナ軍は開戦直後に、武装も弾薬も置いて現地から逃げてしまった。撤退時に破壊もされず、罠も設置されて無く、それらは置かれたままになっていた(ただしロシア側は罠を警戒し当初は放置したとの事)。ウクライナの反撃が始まったのは3月5日からだった。当初、ウクライナ軍は、本当に数が少なかった。

〇ウクライナ戦車兵 

侵攻開始後に召集されて基地に向かったが車両は整備が必要なものばかりで、その作業に数日かかった。

〇短距離地対空ミサイルBUK M1(Бук М1)部隊の指揮官

2月24日の侵攻開始の日は部隊はまだ訓練中だった。

〇農家出身の志願兵

24日の開戦まで、軍の動員はかかって無かった。

とりあえず、ロシア軍は間違いなく奇襲に成功している、ウクライナ側は開戦後に初めて軍を建て直している、という点はほぼ間違いないでしょう。その条件で、圧倒的な兵力を持ちながら、ロシア軍は優位に立て無かった事になります。極めて珍しい戦争であるのは間違いないでしょう。

この辺りはもっと情報が出て来てから、詳細に見当する必要があると思いますが、私はちょっとそこまで…という所なので、この問題に関してはここまでとします(手抜き)。

次回からは、各種報告記事から読み取れる、今回の戦争の戦訓を中心に見てゆきます。


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