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■アラスの戦い
何度か指摘しているように一帯の日没は21時前後ですが、それでも夜の訪れまで6時間前後しか無い、午後15時30分ごろからアラスの戦いは始まります。このため短時間の戦闘だけで終わるのですが、その分、展開は忙しいものとなりました。
この乱戦状態の中、有利な条件だったはずの連合軍側は大混乱に陥ります。対して決断力の化け物であるロンメルは自ら先頭に立ち状況を「観察」し、次々と「判断」を下し、その不利をひっくり返してしまうのです。実際、この時ロンメルが左翼戦線(連合軍側からすると右翼)で示した作戦指揮が無ければ、恐らく第7装甲師団、さらにはその西で戦闘に巻き込まれたSSドクロ師団は壊滅していた可能性が高いでしょう。これを防いだのがロンメルによる陣頭指揮の高速OODAループ大回転でした。これによって配下の部隊は高速で「行動」へと移れ、そのOODAループ回転速度で敵を圧倒、大乱戦を一気に制してしまうのです。そういった意味ではロンメルによる高速OODAループ戦の最高傑作とも言えるのがこの戦いでした。
ここで久しぶりにOODAループの基本図を確認して置きましょう。

とにかくロンメル自らが恐れることなく先頭に立って「観察」(これは極めて危険だった。実際、直ぐ横に居た将校が戦闘中に即死するほどの攻撃を受けている)、そこから素早く「適応」し「判断」を下し配下の部隊を「行動」へ移らせた速度は圧倒的でした。対して連合軍は指令官は前線に立たず(イギリスのフランク部隊指令官、フランクリン将軍は戦闘に参加せず後方に居た)、情報の「観察」すらママならないまま戦闘は進行します。当然「判断」は遅れまくりました。司令部が「判断」しなければ、現場の部隊は次の「行動」に移れません。しかも後方の司令部の「判断」は常に時期を逸したものとなります。すなわち全ての「行動」は時期を逸した、誤ったものとなりますから、それで戦闘に勝てるわけが無いのです。
この点、イギリス軍はフランス軍よりは現場の指揮官に裁量権限が与えられていたようですが、連隊規模の指令官ではその指揮できる範囲は限られました。さらにイギリス軍もまた無線機の不備が多発、その連隊規模の「判断」すら配下に伝える術が無く、正しい「行動」に移れないまま、バラバラに行動し、各個撃破されてしまう結果となりました。後に戦場から離脱したイギリス軍将校が指摘したように、撃破されたイギリス戦車の砲身は全て別の方向を向いていた、すなわち各自の判断でバラバラに砲撃を行っていたわけです。火力の集中という点に置いて、これは極めて不利でした。
不意討ちを食らった第7装甲師団はこうしてロンメルの指揮下で立ち直り、連合軍側の攻撃部隊を一掃してしまいます(アラスの街にあった守備隊は踏みとどまったがドイツ軍はそもそも攻める気が無かった。その後、包囲されそうになって自主的に退却)。いろいろ問題の多い人なんですが、やはり戦闘の天才ではあるんですよ、ロンメル。イギリス側の奇襲成功は極めて幸運だったのですが、その幸運を活かせる体制が無く、さらに敵の指揮官が天才だったのが不運だったのです。
■戦いの始まり
ここで、本格的な戦闘が始まる21日15時前後までの状況を地図で確認して置きましょう。

まずは地図の左側に注目。ドイツ軍側では再度ロンメルが先頭に立ち、第25戦車連隊を率いて渡河予定地点であるアラス北西のアキュに既に到達、後で見るように南下して来たイギリス側右翼部隊とフランス軍第3軽装甲師団と接触します。対して第6、第7狙撃兵連隊&砲兵部隊は前日のワイィー、ボーハン周辺からほぼ動いておらず、戦車部隊から10q以上後方に置き去りにされる形になっていました。さらに第7装甲師団の西を北上中だったSSドクロ師団も、この時間になると既に一帯に到達しています。
この時、ロンメルはアラスの街を挟んで死角となる北東方向から南下中の連合軍部隊に全く気付いてませんでした。この辺りは少しでも偵察を出して置けば発見できたはずで、奇襲を許したのはロンメルの油断でしょう(この点はSSドクロ師団も同罪だが、本来アラスの街周辺はロンメルの第7装甲師団の担当だった。さらに戦闘経験の無い素人部隊であり同情の余地はある)。
対してイギリス軍の反撃を担当するフランク部隊はアラス中心部から北に約9qの距離にあるヴィミ(Vimy)に集結、この日の午前11時頃から南下を開始していました。そしてこちらもまた、ドイツ側の動きを全く把握してませんでした。前日からドイツ戦車&トラックの目撃報告は多数寄せられていたのに、フランクリン将軍がこれを知らなかった、あるいは知っていても無視してしまったのでした。このため攻撃隊は何の情報も無いまま、突然、ドイツ軍との戦闘に巻き込まれてしまうのです。幸い戦車部隊ではなく、歩兵部隊と接触したので一方的な奇襲となったのですが、それは結果論でした。ちなみに行動開始時間が遅すぎるのは、前日に急遽決定された攻勢だからでしょう。この辺りの無理の責任はアイアンサイド参謀長にあります。
この時、西からフランス軍の応援部隊、第3軽装甲師団が南下中だったのですが、歩兵部隊の戦車横領、そもそも21日の作戦とは思ってなかったなどの理由で戦力的には二個大隊規模、60両前後しか揃っていませんでした。加えて両軍間ではまともに連絡が取れておらず、お互いの存在に気が付かないままアラスに接近してしまいます。そして両者とも、避難民の群衆による渋滞に巻き込まれ、その進撃は遅れまくりました。
その後、イギリス軍攻撃部隊はアラスの北、スヘルデ(エスコ―)川に午後14時半ごろ到達(約8qの移動に戦車と機械化歩兵で3時間近く掛かった事になる)、大きく西に街を迂回しながら左右二手に別れました(予備部隊とアラス守備隊も既に分離)。以後、部隊指揮官のフランクリン将軍は後方に下がり第50歩兵師団長だったマルテル(Martel
)将軍が攻撃部隊を率いる事になります。その攻撃部隊は二個戦車連隊と二個歩兵大隊を均等に二つに分けた以下のような構成でした。
■右翼(西) 第7王立戦車連隊 第8歩兵大隊+野砲&対戦車砲中隊+オートバイ偵察兵
■左翼(東) 第4王立戦車連隊 第6歩兵大隊+野砲&対戦車砲中隊+オートバイ偵察兵
*「電撃戦という幻」で戦車大隊とあるのは誤り。連隊規模である。
どう考えてもただでさえ貧弱な戦力の分散で自殺行為なんですが、おそらく大渋滞で身動きが取れず、苦肉の策として行ったのだと思います。既に見たようにイギリス軍はドイツ第7装甲師団が一帯に展開中とは知らずに突っ込んでいますから。ただしよく判らないのは、この時マルテル将軍が受けていた命令は「アラスとその東部一帯を確保した後、バポーム(Bapaume)に向かう街道を確保せよ(イギリス公刊戦史にアラス西の一帯とあるのは地図を読み間違え)」でした。なので本来ならアラスの街を東から回り込むべきなんですが、なぜ西に向かったのか、その辺りの理由は不明です。この動きがドイツ第7装甲師団への奇襲を成功させるのですが、それは結果論でした。
そしてこの左右両翼部隊に分離後、なぜか右翼部隊だけが次々と混乱に巻き込まれます。まずはディゾンの北でドイツ軍から砲撃と銃撃を受けて混乱、部隊がバラバラになってしまいました。さらにその一部が西から南下中だったフランス軍第3軽装甲師団と接触、これをドイツ軍と誤認し戦闘に突入してしまうのです。この時はフランス側も本格的に反撃、対戦車防衛線を突破までして、初めて相手がイギリス軍だと気が付いたようです。この辺り、正確な数字が残って居ないのですが、双方、少なからぬ損失を出したはずです。
ここで再度、同じ地図を掲載して置きましょう。

イギリス軍右翼部隊はフランス軽戦車部隊との同士討ちに気が付いて戦闘を停止後、再度部隊を終結させ南下を続けるのですが(なぜかフランス軍と合流しなかった。渋滞を避けるためか)、ここで歩兵部隊と戦車部隊を分離しています。理由不明ですが、やはり渋滞を避けるためですかね。その分離直後、より西側を進んでいた歩兵部隊がロンメル率いる第25戦車連隊の後方部隊と接触、戦闘になりましたが、敵の主力部隊に接触したとは思わず、本格的な戦闘には発展しませんでした。ただし歩兵部隊から二個歩兵中隊と二個対戦車砲小隊を抑えの兵力として残したため、さらなる戦力の分散となってしまいます。
その間、イギリス軍右翼部隊の戦車隊は歩兵部隊より速く南下を続け、ダヴィル(Dainville)で一度、イギリス軍左翼部隊と接触してからアラス・デュロン街道に入って南西に向かいます。この行動も謎で、どうも本来の目的地だったアラス・バポーム街道と勘違いしたのではないか、という疑いがあり。とりあえず、その結果として間もなくワイィーでドイツ軍第7狙撃兵連隊と接触する事になります。
ちなみにフランス軍第3軽装甲師団は右翼部隊との同士討ち後、イギリス軍との不要な接触を避けるため街道沿いに西に向かっていました。その結果、これもロンメル率いる第25戦車連隊と接触する事になり、これまた戦闘になったようです。ただしこれも両軍、別の目的地に向け移動中だったため、本格的な戦闘には発展せず、同隊は南に方向転換して離脱します。
一方、イギリス左翼部隊は対照的にゴタゴタに巻き込まれず順調に南進中でした。ダヴィルで右翼部隊と接触した後に南東に向かい、15時30分ごろ、ボーハンの手前でドイツ第6狙撃兵連隊と接触、一帯で激しい戦闘に突入する事になります。これは完全な奇襲の形に成ったため、当初は一方的な快進撃に成功します。これがアラスの戦いの本格的な開始であり、当初は一方的にイギリス側が有利でした。そこにロンメルが乱入、そこまでの不利を一気にひっくり返してしまいます。
といった感じで、今回はここまで。戦闘の詳細は次回、見て行きましょう。
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