■疑心暗鬼の悲劇
ではフランス軍のように指揮官が司令部を動かないとどうなるか。
第55歩兵師団の場合、ほぼ前線との連絡が絶たれてしまっていた事が最大の問題でした。既に述べたように、この日は朝からマース川沿いのフランス軍陣地が徹底的な空爆で叩かれ、その有線電話網がズタズタにされていたのです。このため無線機をほとんど持たないフランス軍の現地部隊は連絡、指揮系統を完全に断たれてしまいます。同時に渡河作戦開始後の16時以降、より内陸部に爆撃目標を移したドイツ空軍によって後方の司令部や無線連絡所が攻撃を受けました。このためお隣の第71歩兵師団の通信基地が破壊されるなど、さらなる指揮系統の混乱が起きていました。この連絡の断絶によって、前線に命令が届かなくなったのと同時に、司令部も前線の状況が全く判らなくなります。そして、それでもフランス軍の指揮官は情報収集に自ら向かう、という事を一切しませんでした。
ここで再度、18時段階の状況を地図で確認して置きましょう。
前線と連絡が取れなくなったことで、後方に配備された第169砲兵連隊も支援砲撃が行えず(敵の位置が判らないので照準がつけられない。最悪友軍を撃ってしまう可能性がある)、このため第55歩兵師団の火力優位は活かされずに終わります。この点、グデーリアンはフランス軍の支援砲火が少なかった理由は判らない、これは幸運だったと述べていますが、フランス側にはそういった事情があったのです。ちなみにフランス側の史料によると、セダン防衛線に居たフランス兵は信号弾で砲撃援護の要請を試みているのですが、見落とされたり理解されずに終わり、結局まともな砲撃支援は最後までありませんでした。そして、この第169砲兵連隊がフランス軍崩壊の引き金を引く事になります。
この時、凄まじい砲撃音はセダン方向から聞こえていたはずで、激しい戦闘になっているのは判っていたと思われます。それでいて詳細な状況が全く判らず、16時以降は戦線後方のフランス軍部隊も空爆を受けたため、直ぐにでもドイツ軍が現れて蹂躙されるのではないか、という疑心暗鬼状態、恐怖心が後方部隊に生じたようです。この点、司令部の正面、もし敵が来たら真っ先に攻撃を受ける位置に砲兵連隊を置いてしまったのも不運でした。もし敵の戦車部隊が現れ近接戦闘になった場合、長距離兵器である野砲部隊は無力に等しく、あっという間に蹂躙されてしまう事になるのです。当然、砲兵たちはその事を誰よりも良く知っていました。
そして運命の3日18時ごろ、その第169砲兵連隊の陣地の近くでドイツ軍の砲撃によると思われる爆発がありました。現在に至るまでその正体は全く判りません。この段階でドイツ側の野砲に無駄弾を撃つ余裕は無く、どこにあるかも知れぬ敵の司令部に向けて砲撃するとは考えにくいのです。砲撃時の設定を間違えた一発が偶然ここまで飛んできた、という可能性も無くはないですが、そんな爆発はそもそも無かった、とするのがその後の事態を見ると最もありうるかと思われます。
この爆発を観測したとする砲兵連隊の士官の一人、フーケ大尉(Fouques)は戦車砲の砲撃を受けたと判断、司令部に通報します。なぜ戦車の砲撃と判断したのか良く判らんのですが、さらに判らん事にこの報告が瞬く間に砲兵陣地に広まり、いつの間にやらドイツ軍の戦車部隊が押し寄せて来た、既にビュルソンの集落に入った、という話になってしまうのです。これが第169砲兵連隊にパニックを引き起こします。さらに「撤退命令が出た」という極めて都合のいい虚報まで登場したようで、この結果、兵達は我先に逃げ出し始めるのです。この点、近距離戦に弱い砲兵部隊が最前線に居たのが事態を悪化させた面もありました。通常なら問題無い配置なんですが、恐るべき速度で進撃して来るドイツ装甲部隊相手には問題のある部隊展開だったと言えるかもしれません(個人的にはフーケ大尉がドイツ軍に襲撃される事を恐れ撤退の口実として虚報を意識的に漏らしたのではないかと疑っている。言うまでも無いがドイツ軍の戦車どころか歩兵部隊すら一帯には到達していない)。そしてこれが第169砲兵連隊に留まらず、一帯の全ドイツ軍を巻き込んだパニックに発展してゆきます。
悪いことに南に逃げる途中に第55歩兵師団司令部があったため、ビュルゾンに戦車が来た!逃げろ、と叫びながらトラックに乗って逃げ去る兵の波に司令部が飲み込まれてしまいます。この結果、電話線網が破壊され最前線の状況が全く判らなかった第55歩兵師団の司令部にもこのパニックは伝染したようです。ただし第55歩兵師団の指令官ラフォンテヌ将軍は当初、兵を押し戻そうとしたようですが、直ぐに押し寄せる兵の波に飲まれてしまいます。さらに間もなく付近に居た予備部隊、第295歩兵連隊まで勝手に撤退を始めてしまった事で事態の収拾は不可能になって行きます。
そもそも一帯から多数の車両を伴う大規模部隊が南部に逃げるには、師団司令部がある森の横を通る道しかなく、間もなく大渋滞が司令部周辺で発生し始めます。こうなると司令部も脱出できるかどうか危機的な状態に置かれてしまいます。そもそも前線の状況が判らない以上、本当にドイツ戦車部隊が殺到して来てる可能性も否定できませぬ。この結果、ラフォンテヌ将軍も撤退を決意して師団司令部を放棄するのですが、悪いことに無線機材を持ち出すのは不可能と判断してこれを破壊してしまうのです。この結果、最後まで維持されていた各連隊、大隊司令部などとの連絡も完全に断たれ、以後、第55歩兵師団の指揮系統は完全に崩壊する事になります。正確な記録が見つからないのですが、恐らく20時ごろ、まだ前線では戦闘が続いている段階で司令部の撤退も始まったと思われます。ちなみにこの師団司令部は以後、無人のまま廃墟となり、今でもビュルゾンの南の森の中に人知れず現存しているようです。
さらにこのパニックによる撤退が東の第71歩兵師団にも伝染します。この時、第55歩兵師団は第71歩兵師団に無断で撤退を開始したようですが、パニックが起きた司令部周辺は第71歩兵師団の担当地区の境界線の直ぐ側でした。このため、第71歩兵師団は第55歩兵師団の動きを知って驚きます。二線級の戦力しかない第71歩兵師団だけで敵の装甲師団を受け止められるはずはありませぬ。こちらにはトーチカ陣地もありませんから瞬殺されるでしょう。よってこちらも独断で撤退を開始、同日深夜までに後方に下がってしまいました(ただし一部の部隊は踏み留まり、翌朝、ドイツの第10装甲師団を一時的に脚止めして居る)。繰り返しますが、この二個師団の撤退は第2軍司令部、第10軍団司令部から一切の指令が無いまま行われた無断の戦線放棄でした。第55歩兵師団の場合、後方にあった歩兵連隊一つと砲兵連隊一つのみの撤退ですが、第71歩兵師団の場合は無傷の師団が丸ごと、まともな戦闘も無いまま独断で撤退してしまった事になります。前代未聞の事態と言ってよく、恐らく世界の戦史の中でもほとんど例が無い事態だと思われます。こうしてグデーリアン軍団の目の前には無兵の大地が出現する事になったのでした。
ちなみに第55歩兵師団の名誉のために言っておくと、さらに安全な場所、セダンから40q以上南のスニュク(Senuc)あったフランス第2軍の司令部は、この夜の内にさらに南、スダンから75qの距離にあるランドゥ-クゥ(Landrecourt)へと司令部の移動を決定しています(実際の移動は14日になってかららしい)…。この段階ではまだグデーリアン軍団、スダンから10qも南下していないんですけどね。ついでにアルデンヌのドイツ軍は南西、すなわちパリ方面に来るのではないか、とフランス軍が疑っていたのが、この辺りからもなんとなく見て取れます。
■電撃戦は高速機動戦
この前代未聞の事態、戦わずして師団規模の戦力が潰走する事態を生み出したのは、高速OODAループによってグデーリアン軍団がフランス軍の想像を超える速度で進撃した結果なのは間違いないでしょう。フランス軍は11日の段階でグデーリアン軍団に接触、フランス国境に向けて進軍しているのに気がついていましたが、明らかにその速度を見誤りました。13日にマース川沿いにドイツ軍が出現した後も、第一次世界大戦時代の感覚で、ドイツ軍の渡河は数日かかると見ていたフシがあります。実際、一帯の防衛線を担当していたフランス第2軍司令部はドイツ軍が渡河を開始した、という報告を受けても、南部の予備部隊へ一切移動指示を出しておらず、最終的に第55、71歩兵師団の潰走が判明した後、13日の夜になってからようやく反撃作戦の指令を出しました。当分、ドイツ軍はマース川を渡って来ない、という油断があったのでしょう。
当然、現地部隊も同じことを考えていたはずで、真正面からその速攻を受ける事になった第55歩兵師団の混乱と衝撃は想像できると思います。敵の侵攻はこんなに速いのか、と。その中で、独自判断が禁じられ、そのくせ軍司令部からは状況に応じた作戦指示が全く出て来ないのです。OODAループは完全に停止し、正しい行動に移る事も出来ず、さらに情報まで遮断されてしまいました。その中で見たことも無い規模のドイツ空軍による爆撃を受け、さらに目と鼻の先に高速進撃中の敵部隊が居る。後は混乱とパニックから全員が逃げ出すハメになった、というのがこの事態の要因だったと思われます。アレクサンダーの昔から、戦争に置いて速度(ボイドの言うテンポ)は極めて重要でした。速度の優位を持った軍勢は戦術レベルでは一方的に優位に立てることが多く、集団でその速度を維持するのに集団の高速OODAループは必須の概念となります。
といった感じで、今回はここまで。
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