■信長の「絶対的な指針と統制」による集団のOODAループ高速化のこと
信長公記を見る限り、家老級の指揮官は織田軍の強襲部隊には存在せず、士族階級の騎馬武者は直接信長の指揮を受けていたようです。各自が子分衆である徒武者、足軽を連れて参戦して2000人未満となると、信長の指揮を受けるべき騎馬武者だけでも数百人以上は居たと思われます。機動戦の最中に、これら全員にイチイチ指示を与えて指揮するのは拡声器すらない当時ではほぼ不可能でした。そもそも信長本人が真っ先に敵陣に突入しちゃうのですから、まともな連絡網を築くことは不可能でしょう。
するとどうなるか、と言えば、既に集団のOODAループの所で見たように、各自が無秩序にOODAループを回し始め、速攻で混とん状態に陥ってしまう可能性が高いのです。この時代の武者の皆さんは、敵の首を取って大将から報奨をもらうか出世するかを目的に戦に来てますから、とにかく自分の手柄になる事を第一に行動するはずで、そうなるとせっかくの奇襲でもその戦果は乏しくなってしまいます。今回の例で見るとこんな感じですね。
奇襲の成果を最大に生かすには、敵に反撃の機会を与えないまま、その組織を分断し、指揮系統を潰すしかありません。
パニック状態にある敵は単なる烏合の衆であり、どれだけ数が居てもほとんど脅威にならず各個撃破してしまえばいいからです。よって敵がパニックから回復するまでが勝負であり、時間との戦いになって行きます。
もし敵が素早く指揮系統を回復させ、組織だった反撃を行えるようになると奇襲の利点はほぼ失われます。後は普通の戦闘になり、こうなると数で勝る今川軍が時間とともにその優位を築いて行くことになるでしょう。最悪、速攻で退路を絶たれて包囲殲滅される可能性すら出て来ます。
よって信長としては密集隊形で突入したら、そのまま一気に敵を蹂躙して混乱を煽り、義元の本陣を目指さねばならないのです。
この時、各自が自分の武功を第一とし、上の図のように個人戦に走ってしまうと、集団としての戦力はガタ落ちになります。一騎打ちをやっていたり、やたらと時間のかかる首を堕とす作業に熱中していれば、あっという間に時間は失われ、奇襲の優位が無くなるでしょう。さらに敵陣の真只中に入ってパニックなってしまい、何もできずにオロオロするような者まで出てくると、手に負えない無秩序状態になりかねません。
が、我々はすでにこの集団の無秩序化を防ぐ方法を知っています。
そう、指揮官が与える「絶対的な指針と統制」による組織統率用の高速OODAループですね。今回の場合は以下のようになります。
信長公記によると信長は中島砦出陣前、強襲部隊全員と利家みたいに個人プレーに走っていた連中相手に対し予め訓示を行いました。
「敵が撃ちかかって来たなら無理せず引け。逃げる敵は追い撃て。密集して敵を追い崩すつもりだから正しく行動せよ。いちいち首は取るな、撃ち捨てておけ。敵に勝ちさえすればこの戦に参加した者の家名は末代まで高名を保つであろう。奮闘努力せよ」
という内容で、これは個人の手柄に走るな、密集隊形で敵を素早く蹂躙せよ、という点を明確に指示した「絶対的な指針」となっています。
これによって突入後に何の指示が無くても、とにかく密集隊形を崩さず、信長について行けばいい、と全員が認識し、その行動が滞る恐れは無くなったわけです。見事な指揮と言ってよく、27歳でよくぞここまでと思う部分ですね。
兵の強さでは武田や徳川(松平)、それどころか浅井にすら劣ったと江戸期以降は評される織田軍ですが、馬鹿を言え、軍の強さの7割は最高指揮官次第なんだから、織田の軍勢が弱いわけなかろう、と私は思っております。そこに途中から最大最強の鉄砲軍団が加わるんですから、そりゃ負けるわけねえ、という世界です。
ちなみに桶狭間に今川軍が鉄砲を持ち込んでいたのは信長公記に記述がありますが、織田側がどうだったのかは判りません。いずれにせよ、直前の大嵐で火縄が消えていた可能性がありますし、敵陣への突入という高速機動戦に鉄砲部隊は向かないので、使えなかったと思いますが(迎え撃つ今川軍にとっては最強の盾になったはずだが、使われたという記述はない)。
ただし、こうなると参戦した皆さんは戦の報奨がもらえませんから士気に影響する可能性が出てきます。まあ織田家が滅んじゃえば報奨も何も無いのですが、それでも士気に影響はあるでしょう。よって信長は「敵に勝ちさえすればこの戦に参加した者の家名は末代まで高名を保つ」という表現で、参加者の皆さんには合戦後、もれなく素敵なプレゼントがあります、と暗に述べたようにも見えますが、単なる定型文のようにも見え、断言はできませぬ。
さて、こうして集団の統率を目的とした高速OODAループを回した後、織田軍は嵐の中を義元本陣に向かいます。その織田軍が山を登っているのを見て、低地にいた今川軍の主力が逃げ出し始めた、というのは既に見たとおりです。
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