■消える第7軍

そんな危機的状況の中、英仏連合軍はどう動いたのかを見て行きましょう。まあ一言で言えばグダグダであり、特にフランス側の対応は悲惨の一言でした。

イギリス遠征軍中にあって、当時は第3師団の師団長だったモントゴメリー “イギリス人だけが名将と呼ぶボンクラ” 将軍によると、ドイツ軍の各部隊は海岸線に近づきながら一帯の電話線を切断しまくったようです。このため一帯の連絡網はズタズタにされてしまいます。フランス軍はその総司令部どころか現地部隊を指揮する北東方面軍司令部までもがはるか南にあったため、これで軍内の指揮連絡機能がほぼ失われてしまいます(電撃戦の期間中、フランス軍総司令部は最後までパリ近郊のヴァンセンヌ(Vincennes)城から動かなかった。さらに言うと現地部隊を指揮する北東方面軍司令部も最後までパリの東約55qにあるラファ・テ・スジュアー(La Ferté-sous-Jouarre)から動いた様子が無い)。

既に見たようにフランス軍はほとんど無線を活用しておらず、このためフランス軍間の連絡も、イギリス側から連絡するのも民間の電話線を使って「電話をかけていた」のだとか。その電話線を切断された事で現地のイギリス遠征軍とフランス軍の間の連絡は事実上不可能となり、それどころかフランス軍同士ですらまともに連絡ができなくなりました。このため、既にセダンの戦闘で見たように連絡兵をバイクで走らせてやり取りすると言う状況に追い込まれてしまったようです。

この段階で既にかなりアレですが、それに加えて今度はフランス第7軍の謎の崩壊が起きます。この辺り、何が起きたのか、フランス側の資料でもまともな記録が見つけられず、あまりに謎という他無いのですが、とりあえず判る範囲で見て置きましょう。簡潔明瞭に言えばグデーリアン&ラインハルト、そしてロンメルによるアルデンヌ森林地帯突破成功が決定的になった17日から、一帯が完全に封鎖される21日までの間に、師団どころか軍団よりも上位の「軍」単位、フランス第7軍が戦わずして解体されてしまうのです。理解しがたいですが、状況としは「崩壊」「解体」という他無い状況になります。まず最初にその司令部が現地から突然消えます(笑)。もうワケが判らん、という他無いのですが、とりあえず順番に状況を整理して置きましょう。

まずは開戦時の地図で第7軍の位置を見て置いてください。そもそも強力な予備軍として連合軍主力の背後に置かれる予定だったのがフランス第7軍です。その第7軍を総司令官のガムラン将軍が引っ張り出し、オランダへの救援部隊として最北端に置いたのは既に見ました。ところが第7軍が現地に到達する前、14日の段階でオランダは降伏、フランス第7軍の存在は宙に浮いてしまいます。以降、アントワープ周辺に入ったベルギー軍に一帯の戦闘は任せ、フランス国境付近まで後退して駐屯していたと見られます



これは本来、強力な予備戦力、虎の子部隊という存在でしたから指揮官にはフランス軍内で最も有能な将軍の一人と見られていたアンリ・ジロー(Henri Giraud)が就いていました。実際、ガムラン将軍が解任された時、ジロー将軍はその後継者候補の一人だったとされます(既に行方不明状態でその採用は見送られたが)。

そのジロー将軍がクライスト装甲集団&ロンメル快進撃中の17日、壊滅状態にあった南の第9軍指令官を引き継いだのも既に見ました。この段階で第7軍は宙に浮いた存在だったので、有能な人材を遊ばせてるのは惜しい、という事だったんでしょうが、これは本人にとっても第7軍に取っても悲劇的な結果を招きます。まずジロー将軍が現地に入った段階で既に第9軍は事実上崩壊しており、その敗走を食い止めるのに失敗、混乱に巻き込まれる中、ドイツ軍の捕虜になってしまったのは既に見ました(後に脱走するが)。

一方、第7軍の後任指揮官にはフェゥー(Aubert Frère)将軍が指名されたのですが、どうもこの人、現地入りした形跡が無いのです。何それ、という感じですが、まずは状況を整理しましょう。指揮官引継ぎ後の翌18日、第7軍にソンム川の南への撤退命令が出たとされます。ただし幾つかの資料に出て来るこの命令、その存在を筆者は確認できませんでした。フランス軍、大混乱中なので記録が残って無い可能性も高いのですが、本当に出されたのか、出されたとしても全軍に通達が届いたのかは怪しいのです。

実際、第7軍の配下にあった二個軍団(第1、第16軍団)、三個歩兵師団(第4、第21、第60歩兵師団)、一個軽装甲師団(第1軽装甲師団)の内、第1軍団だけは撤退開始が確認できるものの、他の部隊の動きは全く判りません。さらに言うなら、配下にあった二個師団にはそもそも撤退命令が出てない、という話もあり。恐らくその一つは第1軽装甲化師団(小型戦車を主とする師団)で、20日までに指揮権がフランス第1軍に移管されたと見られます。ただし既に事実上解体されており、各歩兵師団に護衛用の戦車部隊として分散配備されていました。この結果、何の活躍もせずに終わります。残りの一個師団がどの部隊だったのかは判りませんし、なぜ現地に放置してしまったのかも判りません。全く意味の無い戦力の分散ですから。

さらにフェゥー将軍は北のベルギー国内ではなく、いきなりフランス国内のソンム川南岸、アミアン周辺で第7軍司令部を「再編」した事になっています(指令官着任は17日付けなので遅くとも18日の段階。当然、グデーリアン軍団はソンム川にもアミアンにも未だ到達していない)。要するに、第7軍の司令部はワープするかのにように南の安全地帯に突然出現したのです。司令部が現地部隊を捨てて我先にソンム南岸に移ったのか、あるいは現地の司令部は解散され、新たに一から立ち上げたのかもよく判りません。どちらにしろ、ドイツ軍の包囲網が完成する前からそんな事をする理由が全く判りませんが。この結果、現地にあった第7軍配下の精鋭部隊の大半が包囲網の中に取り残されて消滅します。大丈夫、書いてる本人もワケが判りません。なんだこれ。

結局、素早く移動を開始したらしい第1軍団だけがソンム南岸への脱出に成功します(ただし一部は取り残されたらしい)。後に第16軍団もソンム南岸の戦線に登場するので、一部が脱出していた説があるんですが、名前だけ引き継いで新規に再建された部隊だという話もあり、判然としません。とりあえず現地に残された第16軍団の主力は後に海岸線まで追い詰められ、ダンケルクで最後まで戦い抜くフランス軍部隊の一つになります。そして完全に取り残される形に成った三個歩兵師団もまた悲惨な末路を辿ります。第4歩兵師団は以後行方不明(少なくとも筆者には確認できず)、第21歩兵師団は海岸沿いの港町、ブローニュ・シューメールで包囲され、25日の段階で壊滅。第60師団もダンケルクで最後まで戦った部隊となり、最後は降伏して終わっています(イギリス軍は彼らを脱出させると言って防衛戦に当たらせながら来なかった)。この間の指揮系統がどうなっていたのかは全く判りません。既に現地に第7軍司令部は無いんですから。おそらく組織的な戦闘はほとんど行われなかったと思われます。

こうして虎の子の予備部隊だったはずのフランス第7軍はドイツ軍包囲網の中で各個撃破され壊滅する事になるのです。…なんだそれ。ちなみにこの点、フランス語圏、英語圏の資料で追及している物が一つも見つけられなかったんですが、これまたなんだそれ。まあリデル・ハートに代表されるように欧米系の「専門家」の皆さん基本的に軍事的な知性が弱いんですけどね。代わりに一般人の人がとんでもない研究やってたりするんですが。

といった感じで今回はここまで。
 



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