■ドイツ空軍による攻撃開始

セダン渡河戦で最初に攻撃を開始したのは支援を要請されていたドイツ空軍でした。13日の段階では空軍のほとんどの機体がアルデンヌを突破するクライスト装甲集団、中でもグデーリアン軍団、第19装甲軍団の援護に投入されたようです。前回見たように渡河前に盛大に一度だけ爆撃する計画は握りつぶされ、グデーリアンの要請通り、朝から複数回にわたり、敵の拠点精密に潰す空爆が開始されます。これは五段階に渡る極めて大規模なもので、ほぼ一日中、とにかくフランス軍陣地を叩き続ける航空攻撃でした。大雑把にまとめると以下のような時間割で行わています(ちなみにグデーリアンの回想だと攻撃直前から空爆が始まった事になっているが、他の兵の証言や空軍側の記録から恐らく記憶違いだろう)

 8:00〜12:00  予備爆撃。広範囲におそらく水平爆撃
 12:00〜15:40  敵陣地への急降下爆撃開始。
 15:40〜16:00  渡河地点周辺を重点的に急降下爆撃
 16:00〜17:30  歩兵の渡河に合わせ、徐々に後方地区へ目標を移す
 17:30〜日没  渡河地点に向かう敵を攻撃して橋頭保の部隊を援護



電撃殿と言えば急降下爆撃による近接航空支援、砲兵の代りに地上部隊を支援する爆撃、と思われがちですがJu-88のような大型双発機による水平爆撃もかなりの規模で行われています。それどころかクライスト装甲集団の支援作戦に投入された爆撃機は双発機600機、単発急降下爆撃250で、むしろ数の上ではこっちが主力でした。

まあドイツ空軍の場合、双発機でも急降下爆撃能力があるんですが、確認できる範囲では本格的な急降下爆撃攻撃に双発機が投入される事は無かったようです。



そして電撃戦の看板、イコンとなったJu-87急降下爆撃機。その精密爆撃と脚に付けられた盛大な音を出すサイレンによってフランス軍を恐慌状態に落とししれました。そして以後も砲兵部隊が間に合わない戦場で砲兵代わりにフランス軍陣地を叩くのに活躍します。このセダン渡河作戦も、その近接航空支援の下で行われたわけです。

ただし実際はどうもいろいろあるのよ、という辺りを次に見て行きましょう。

電撃戦の航空支援


Bundesarchiv

5月10日に行われたセダン爆撃中の撮影とされる写真。画面右側の一部は別の写真が載ってしまっているのですが、これが公式発表の状態(右上の弾痕、クレーターは別の写真のもの)。ドイツ連邦公文書館(Bundesarchiv)のデジタル史料庫で見つけた写真ですが、個人的にセダン渡河作戦時の航空写真は初めて見ました。ドイツ語圏とかでは以前から知られていた史料なんですかね。ついでに今回から写真の引用先、ドイツ連邦公文書館の表記を英語からドイツ語にしました。どうもこっちが推奨されているみたいなので、今さらですが…。

画面中央の川がマース川。中央付近で落とされている橋はPont-Neuf de Sedan、「ポン ヌフ デ セダン=セダン新橋」。画面下、雲にしては高度が低いので煙の可能性が高く火災が起きてるのかも。ほぼ北を向いて撮影されており、川沿いに南から侵入して北に飛び去ったのだと思われます(知らぬ土地でも川沿いに飛べば迷わず目標地点に辿り着けるのでよく行われた)。ちなみにこの写真の一番上辺りで、後に大ドイツ連隊の最初の渡河が行われます。この時、それまでの大規模空襲にも関わらず左岸のフランス軍トーチカは健在で、想定外の苦戦を強いられるのです。この時は例によって88o Flakを持ってきてトーチカを沈黙させています。

ちなみに左岸のクレーターはドイツ軍の爆撃によるものですが、明らかに外れています。左岸のフランス軍陣地(マーズ川沿い一帯にあった)はほとんど損害を受けて無いのに注意してください。 撮影時間が早い(街路樹の影が北西に向けて長いので午前中)のもありますが、それでもあまりにキレイに残ってしまっているのです。ただし地上で見てる分には命中か否かは判りにくいので、対岸のドイツ兵は「地獄のような光景だった」「向こうのフランス兵はどうなっていのだろう」といった感想を残しています。間違いなくフランス軍は大打撃を受けたであろう、という印象ですね。ですが、事実はやや異なっていたのです。

実際の戦果

この点に関しては「電撃戦と言う幻」の中に興味深い話が出て来ます。
戦後、1957年にフランス陸軍大学がドイツ第一装甲師団とフランス第55歩兵師団、すなわち両軍の生存者を招いて会合を開きました。この時にドイツ側は初めて知ったらしいのですが、ほぼ丸一日続けられたこの日の空襲にも関わらず、フランス軍側の死者は56名に過ぎませんでした。師団単位の戦闘としては問題ない数字でしょう。そもそも投入された航空戦力を考えると明らかにお粗末です。さらにコンクリート製のトーチカもほとんど破壊されておらず、人的にも装備的にも損失は極めて軽微だったのです。実際、後ほど渡河作戦に入ってから、多くの部隊が対岸のトーチカから攻撃を受け苦戦を強いられます。

では全く効果が無かったのかというとそれも違います。ドイツの歩兵部隊の一部は対岸への上陸に成功すると、かなり高速に奥深くまで侵入しています。すなわち一帯の無力化はある程度成功していたのです。では実際はどういった状況だったのか。結論から言ってしまうと、兵士の精神面への打撃と一帯の指揮連絡系統への打撃が大きかったのでした。

フランス軍の説明によると、まず一日中絶え間なく続く爆撃に地上の兵士たちは精神的に参ってしまった、との事でした。フランス側の兵によると絶え間ない爆撃で身動きが出来ず、爆弾の落下音とそれに伴う大音響の爆発音、そして例のJu-87の急降下サイレンなどが延々と繰り返される事で神経をやられてしまい、しまいには幻聴まで聞こえ出した、との事です。これで戦意を喪失した兵は少なくなかったと思われます。

もう一つの致命的な損失は、指揮系統の連絡に不可欠な電話線が片っ端から切断されてしまった事による影響でした。先にも説明しましたが、フランス軍は部隊間、そして司令部との連絡に大きな注意を払っておらず、無線機はほとんど持ってませんでした。このため全ての陣地を野戦電話の線で有線接続してあったのですが、地面の上に剥き出しのまま設置されたものが多く、これが爆撃によってズタズタにされてしまったのです。既に見たようにフランス軍は現場の独自判断を禁じ、司令部からの命令で動くように造られていました。そんな軍隊で司令部と繋がる電話線が切れてしまったら、残された兵は死ぬか捕虜になるまで戦い続けるか、自主的に撤退するかしかありませぬ。ただしもし戦ったとしても、周囲との連絡が取れないので連携は出来ず、孤立無援の戦いが続きます。これがまたフランス軍の戦意喪失へと繋がり、後に見るパニック的崩壊に繋がって行きます。

電撃戦に航空支援は付き物という印象があり、実際、そういった面があるのも事実ですが、意外にフランス側の損害は小さい事がありました。そしてそういった時に登場して来るのが、本連載では既におなじみ、88mmFlakなのです。



個人的に電撃戦と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、グデーリアン、ロンメル、そしてこのアハトアハトだったりします。実際、以前も述べたようにこれが無ければ電撃戦は途中で頓挫していたでしょう。それほど、何度もドイツ軍の危機を救っています。

といった感じでドイツ側の攻撃は空から始まったのですが、16時からは予定通り、グデーリアン軍団の渡河作戦が開始になります。その辺りのお話は次回としましょう。


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