グデーリアン軍団の1940年5月10日

今回は開戦初日、5月10日の午後に早くもベルギー国境に到達したグデーリアンの第19装甲軍団、中でも最精鋭である第1師団の戦いを見て行きましょう。前回見たようにルクセンブルグは事実上抵抗を放棄していたので三師団は10日の午後の段階までに全てベルギー国境線に到達していました。最大でも東西に50q程度の幅しかないルクセンブルグの突破にはそれだけの時間で十分だったのです。

この点、国境の向こうのベルギー軍はドイツ軍を素通りさせる気は無かったのと同時に南部では徹底抗戦をやる気もありませんでした。このため障害物などで道路封鎖を行うと、後は散発的な戦闘のみで午後までには北に向かって撤退を開始してしまいます(後にフランス軍総司令官ガムランはアルデンヌ周辺のベルギー軍は何もせずに撤退したと非難しているが、お前だってこっちが主攻勢とは気がついて無かったじゃん、という話ですな)。

このため北側の経路を進む第2装甲師団は国境の先、ストレンシャン周辺で戦闘となったものの間もなく敵は撤退してしまっています。さらに南を進む第10師団などはほとんど抵抗にあわず、このため最もベルギー国内深くまで進むことに成功していたのです。

ただし例外的に初日から激しい戦闘に巻き込まれたのが最精鋭であり、グデーリアン閣下が共に進撃してる第1装甲師団でした。ここは国境線で最も堅固な防衛線があるマルトランジュ(Martelange)へと向かった事もあり、一定の戦闘は想定済みだったと思われます。ただし想定以上の激しい戦闘に巻き込まれる事になり、初日から意外な足止めを食ってしまいます。それは前回見た“優秀過ぎるガルスキー”が原因だったわけです。まずは前回の地図を再確認。



ルクセンブルグ国境を越えた後、第1装甲師団は進路の安全を確認する武力偵察部隊として第4装甲捜索大隊第3オートバイ狙撃兵中隊(第4装甲捜索大隊は師団で唯一の捜索専用部隊)の約100名と装甲偵察車両三台を先行させました。全く抵抗を受けなかったこの偵察部隊は僅か三時間後、午前8時30分ごろに国境の街、マルトランジュに到達していました。さらに後続の主力部隊の到着を待たず、マルトランジュの突破を試みてしまうのです。

ここにはコンクリート製のトーチカを持つ陣地が築かれ、さらに国境を流れるモーゼル(Model)川に掛かる橋は既に爆破され落とされていました。それでもこの偵察部隊は後続の主力部隊を待たずに攻撃に出ます。




■Photo:Federal Archives 


写真は陸軍では無く親衛隊の部隊ですが、ドイツ軍の場合、オートバイも重要な兵員輸送の乗り物でした。御覧のようにサイドカー化されたものが多く、基本は二人乗りでさらに三人目の兵まで後ろに乗せる事があり、機械化歩兵部隊の脚として利用されていました。私はドイツ軍の兵科分類にあまり詳しくないのですが、オートバイ兵(Motorrad Soldat)という説明の写真には一人で普通のバイクに乗っている伝令、あるいは偵察の兵と思われるものと、このサイドカーに皆で仲良く乗っているものがあり分類として両者がどうなっていたのか良く判りませぬ。よってこの時の偵察部隊がどっちだったのかも判断が付きません。中隊規模で百人となるとサイドカーで50台じゃないかなあ、と思うんですが確証は無し。いずれにせよ武装は小銃と機関銃だけで重火器は持ってません。ただしこの時同行した装甲車両には20o機関砲があったようですが、対要塞戦ではそれほど役に立たなかったと思われます。

余談ながら自転車による銀輪部隊(Radfahrertruppen)もドイツ軍は投入してるんですが、ベルギー南部はかなり高低差があるので結構苦労したんじゃないかなあ、という気が。ちなみに自転車兵は基本的に歩兵部隊の所属で、機械化部隊には含まれて無いようです。

対するベルギー軍も第1アルデンヌ猟兵連隊配下の一個中隊でした。よってドイツ軍とほぼ同じ、百名前後の部隊でしたが、47o方を搭載する自走砲、T-13を一両持ち、さらに歩兵はコンクリート製のトーチカに入ってたので火力、防衛力の点で有利でした。


■Photo:Federal Archives  

 
ベルギー軍が運用していた自国製の兵器、T-13自走砲。ドイツ側の資料だと戦車としてる事がありますが、装甲は貧弱で実際は自走砲でしょう。47o砲を搭載していましたが、御覧のように短砲身でその破壊力は限られていたと思われます。それでもオートバイ狙撃兵と20o機関砲搭載の装甲車しか持たないドイツ側から見れば脅威でした。

戦闘開始後、マルトランジュでモーゼ川にまで進出したドイツ側のオートバイ狙撃兵中隊は徒歩で川を渡れることに気がつきました。よってこれを一気に渡河、要塞の南面に回り込む形で一斉攻撃に移ります。正面、国境方面以外の方向からの攻撃にはそこまで堅牢では無かった事、そもそも死守する気は無かったことなどからベルギー軍はこれによって撤退を開始してしまうのです。最終的に戦闘開始から2時間、午前10時30分ごろにはドイツ側が一帯を完全に制圧、これによってベルギー国境を越える事が可能になりました。ただし橋は落とされてしまったので17:30ごろに工兵部隊が渡河橋を完成させるまで戦車や野砲部隊は国境で足止めされてしまいます(もっとも北ヨーロッパの5月だから日没は21時前後でまだまだ明るかった)。最大の脅威と見られていたマルトランジュがあっさり落ちたことで第1装甲師団は先を楽観したようですが、開戦初日最大の戦いはこの後に待っていたのです。

ちなみに偵察部隊の後から第一狙撃連隊の隊長が駆けつけて(自分の部隊に先駆けてここまで来てしまっていた)、作戦の陣頭指揮を執ったと「電撃戦という幻」にあるんですが、この時のオートバイ中隊は彼の配下の部隊では無いので完全な越権行為であり、この話はちょっと怪しい気もします。いずれにせよ、これによって即断速攻による攻撃の有効性をグデーリアン率いる第19装甲軍団は知ることになったようです。すなわちこれが「電撃戦」の始まりだったと思っていいでしょう。以後、ベルギー領内では試行錯誤が続くもの、最終的にフランス領に突入する頃にはグデーリアンの「電撃戦」は完成しており、後は一方的にフランス軍を蹴散らして行くことになるのです。


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