■OODAループの基本性質
とりあえず「OODAループの高速化」という核心部に入る前に、その内容をもう少し詳しく見て置く必要があります。
ここでもう一度、OODAループの簡易版を確認して置きましょう。
この中で最も個人差が付き、最終的に正しい「行動」をとれるかを決めるのに決定的な影響を及ぼすのは、赤で示した二番目の段階、自分が置かれた状況への推測を行う「観察結果への適応(Orient)」です。
同じ観察内容でも、そこから行われる推測は個人ごとに大きく異なるからであり、そしてこの段階の「推測」が間違っていれば以後全ての段階が間違う事になり、その結果、決して正しい「行動」はとれません。そして正しくない行動の先に待つのは敗北、失敗、最悪は死ですから、問題は重大です。
例えばインドの森で痩せたトラに出会ったとします。
「観察」段階では誰が見ても「痩せたトラが出た」であり同じ内容となります。ところが次の「観察結果への適応」段階で「飢えたトラである。危険だ。今すぐ車に戻って逃げるべき」と考えるか、「ハングリースピリット溢れるトラである。きっと阪神の守護神に違いないから今年こそ優勝してもらうため、一言挨拶して置こう」と考えるかでその後の「判断」、「行動」はほぼ正反対になり、その結果も同様に正反対になるでしょう。
まあ、ホントに阪神の守護神が方向音痴でインドに降臨しちゃってた可能性もゼロではないですが、通常、前者の判断を取った者は助かり、後者の判断を取った者は今年のトラによる犠牲者の一人に数えられることになるはずです。
もっと簡単な例でいえば、黄色の信号は誰が観察しても「信号は黄色だ」で同じ観察結果になりますが(念のために述べると黄色は色覚障害を受けにくい色である)、そこからの「観察結果への適応」は「まだ行けるだろ」から「車が多いから安全のために早めに止まっておこう」まで個人ごとに、さらにはその時の道路状況ごとに大きく異なって来ます。
このようによどほの変人を別にすれば最初の「観察」段階では通常ほぼ個人差は付かず、次の「観察結果への適応」段階で大きな差が付くのだ、という事になります。
■観察結果への適応の行われ方
なので、もう少し詳しく「観察結果への適応」の段階について考えて見ましょう。
概念化(CREATING
CONCEPTS)とボイドが名付けた推測手段がここでは行われ、それによって同じ観察結果に対しても、個人ごとに異なる意味づけを行い、それぞれが別の行動に至るとされます。そして同じものを見ても、どういった意味付けをするのか(概念化)は個人のごとに以下の五つの「判断基準」が決定し、これが各個人のループの流れを決定づける、とボイドは考えたのです。
観察内容に対する意味付けをする判断基準は、感情的な「遺伝的な資質」「文化的な伝統」「経験則」、そしてループの回転速度にとって最大の障害となる「新しい情報」、そしてそれらすべてを統合した上で理論的な推測を行う「分析と統合」、
の五つとされます。
この五つの判断基準は、相互に影響を与えあいます。なので全部を双方向の矢印で繋いだ図で表される事が多いですが、全てが相互影響する、と知っておけばいいだけなので、この図ではそういった煩雑な表記は避けておきます。
ただし、分析と統合は唯一の理論的な判断判断基準であり、独立的かつ優先的に働くので、これが階層的には常に一つ上にある、と考えておいてください(ただし必ずではない。理論的ではない感情的な人物なら優先順位は低くなる。そしてそういった人間は意外に多い)。
さて、とりあえず各判断基準の具体的な内容を見ておきましょう。
ここでは犬が歩いて来るの見て、その情報が「観察」から入って来た場合、各判断基準はどう反応するのか、を検討してみます。
まず、観察から得られる情報をざっと羅列してみましょう。
■小型犬だ ■すぐ側に飼い主が居る ■吠えてはいない
■リードにつながれてる ■尻尾は振っていない
■こちらには特に注意していない
といった辺りは誰が「観察」してもさほど差が付かないはずです。では、この情報が「観察結果への適応」に送り込まれた時、上で見た各判断基準がどう対応するのかを確認しましょう。まずは「感情的な」三つの判断基準から。
●遺伝的な資質
これは持って産まれた性格による判断を指します。例えば、生まれつき臆病な人と強気な人、といった判断基準で、同じ情報を得ながら推論が正反対になりやすい傾向がある判断基準です。
例えば弱気な人だと上記の観察内容から「尻尾振ってないし、怖いから逃げよう」と考え、逆に強気な人だと「リードにつながれてるから、ちょっとからかってやろう」といった全く異なった「方向付け」が行なわれる事がよくあります。それぞれ、自分の判断に都合のいい事実だけの取捨選択が行われているのにも注意してください。感情的な判断基準ですから、都合の悪い事は無視する傾向があります。
●文化的伝統
この判断基準は日本人、アメリカ人、ケニア人、あるいはヨーロッパ文明圏、中華文明圏、さらにはキリスト教徒、イスラム教徒といった個人が所属する地域、文化、宗教などの差による影響です。伝統、となってますが民主主義国家、独裁国家などの政治体制の差もこれに含むのが適切であると筆者は考えています。
この判断基準も感情的なため、極端な差が付きやすいものです。
上の犬を見て犬食のある文化圏の人間と、愛玩動物として人気の文化圏の人間の反応がそれぞれ異なるのはすぐに理解できるでしょう。さらに江戸期の「生類憐みの令」の時代の人間なら、あらゆる情報をすっ飛ばし相手はお犬様であり、迂闊な事をすればこちらの命が危ない、といった純粋な恐怖の対象となってしまいます。
この場合、他の文化圏の人間には相手の判断が理解不可能な事が多いのも特徴です。よって異国の敵の判断を推測する場合、この判断基準を無視すると大抵、失敗します。
元寇の上陸部隊を単騎で迎え撃った鎌倉時代の武士の大損失、同じくモンゴル帝国を迎え撃ったイスラム諸国の悲劇、そして英仏に侵略された時の清帝国の支配者層のマヌケぶりなどが、自分の「文化的伝統」で異なる文化圏の敵の行動を判断し、致命的な過失となった良い例でしょう。さらに十字軍の戦いなどでは、イスラム側、キリスト側の双方が互いに誤解しあって、泥沼になってます。
さらに地理的な意味も大きく影響するのに注意です。「路上で中国共産党の悪口を言ってる」という観察は、そこが香港なのか、北京なのか、ニューヨークなのかでまるで意味が違ってしまうので地理情報が欠かせません。有名な小話、
アメリカ人が中国人に自慢して言った。「アメリカでは誰でもアメリカの大統領を批判できるし、それによって投獄される事も無い」。これを聞いた中国人が反論する「中国だって同じです。誰でもアメリカの大統領を批判できるし、それによって投獄される事もありません」
は、この辺りを上手く説明してるものです(元ネタはナチスドイツ時代のヒットラーをからかった小話で、これがソ連共産党に入れ替わり、21世紀には中国共産党をおちょくる話になったもの)。
●経験則
これは個人が過去の経験から学習し、会得した行動のルールを指します。
例えば以前に犬に噛まれた事がある人は、犬が尻尾を振ってないのを見て「気をつけないと」と考え、犬を飼った事があり楽しい思い出しかない人は飼い主が要る、吠えてない、といった所から「撫でさせてもらえるかも」と推測するわけです。
ちなみに、経験則は過去の体験に学んで二度と同じ失敗をしない、という意味で有効な面が大きいですが、同程度にマイナス面も大きいのに注意が必用です。失敗の経験から必要以上に憶病になって回避する、逆に過去の成功体験から、現実を無視してまで同じ行動を繰り返す、といったものです。
特に強烈な成功体験があると、それに固執して新しい時代の動きに全くついて行けず、壊滅するケースがよく見られます。
例えば、20世紀初頭に大量生産による安価な自動車の販売で大企業にのし上がったフォードが、その成功体験から単純で同じ構造の同じ色の安価な大量生産車をひたすら造り続けた例があります。
この結果、すでに消費者がより個性的な車を求め始めていたのに気が付かず、相変わらず真っ黒で骨ばったT型フォードの大量生産を続け、第二次大戦前には倒産直前の状態まで会社を傾けてしまいました。これは過去の成功体験による失敗のいい例でしょう。
他にも、それまで政治的な恫喝で上手く行ったので今回も大丈夫、とポーランドに攻め込んだら英仏に宣戦布告されて第二次大戦に突入、あわてる事になったヒットラーなど、過去の成功体験がかえってマイナスになった例は歴史上、いくらでもあります。
成功体験に固執して意固地になる傾向は、本人の自尊心と絡んで抜きがたい影響力を持つ事が多く、注意する必要があります。このため、経験則の判断基準が強い影響を与える人間とそうでない人間の判断は大きく異なるのが普通で、自分はもちろん、敵の行動を予測する場合にもこの点には注意が必要です。
ちなみにギャンブルで最初に大勝ちしてしまう、という成功体験もこれで、また勝てるかも、という安易な判断から泥沼にはまって行く事になるわけです。
以上の三つが感情的な判断基準による「観察結果への適応」の内容です。これら感情的な三判断基準は個人差が大きい上に、極端に異なった真逆の方向付けも生じやすい判断基準なのに注意してください。
ちなみに、これら感情的な判断基準は、後で見る理性的な判断基準、「分析と統合」に対しては一般に根拠が弱い事が多いです。このため理性で感情を完全にコントロールできるなら、あまり意味がない項目なのですが、現実には人類の9割9分9厘がこの影響を逃れられないと思っておくべきでしょう。
●新しい情報
お次はそれらとは異なる特性を持つ「新しい情報」の判断基準を見ましょう。
これは「観察結果への適応」作業を行なってる最中に、全く異なる新たな情報が入って来てしまう、というものになります。これが発生すると、これまでの作業を放棄して新しい「観察結果への適応」を始めるのか、従来の推測の一部変更で済ますのか、それとも新しい情報は完全に無視するのか、の判断を迫られる事になります。
例えば犬を観察した結果、「吠えてないし撫でれるだろう」と方向性を決めつつある所で、あなたを見た犬が激しく尻尾を振り始めるとします。すると「観察」からは「犬は盛大に尻尾を振っていてウェルカム状態」という「新しい情報」が追加されるのです。となると「撫でても大丈夫だ」といった、より積極的な「観察結果への適応」が行われる事になります。
これが「新しい情報」の判断基準です。ただし、このように従来の推測を補強する内容なら問題ないのですが、全く異なる情報が入って来た場合はやっかいな事になります。
例えば犬の向こうからアンドロ梅田星人が踊りながらパンツ一丁でやって来たとします。
その情報が「観察」から入って来たら、もはや犬なんかにかまってる場合ではないですから、それまでの「観察結果への適応」を全て放棄し、パンツ一丁アンドロ梅田星人に対する「観察結果への適応」を最初からやり直す必要に迫られます。まあ、個人差があるので新しい情報を無視して「それでもオレは犬を撫でるべきだ」という人もいるでしょうが…。
このように「新しい情報」の登場は既に進んでいた「観察結果への適応」を放棄して、再度イチからやり直し、という状況を生みやすく、ループの進行を麻痺させる要因となりがちです。そして、これが繰り返されると、いつまで経っても最後の「行動」段階に移れなくなります。つまり、できれば避けたい判断基準であり、可能な限り最初の観察で全ての情報をかき集めて後から変更、追加が無いようにしたいのです。
逆に、これを利用する「攻撃的なOODAループ運用」では敵に新たな情報を次々と突きつけてそのループ回転を麻痺させ、敗北に追い込む、という干渉戦術が出てきます。ループが回らないと、敵はいつまでも最後の段階「行動」に入れないわけで、行動に入れない以上、何も出来ないまま敗北するしかありません。これは自分のループを高速化するだけでなく、敵のループの回転速度を落す、という二重の高速化でもあります。
これを見事にやってのけたのが対フランス電撃戦の時のドイツ機甲部隊、グデーリアンとロンメルの二大暴れん坊将軍で、この点については、後の記事で詳しく見る事になります。
●分析と統合
最後のこれがボイドの戦闘理論の基礎となった概念化(CREATING
CONCEPTS)の考え方に最も近い判断基準です。
他の判断基準と違い、情報を分析し、統合して推測する理論的な判断基準であり、今まで見て来た各判断基準の上位に立って最終的な推測の決定を行います。
ただし、先にも述べたように感情的な人間は例外で、理屈より感情で動いてしまうため、この判断基準の持つ影響力が極めて小さくなります。その結果、非論理的な運に任せた行動になりやすく、ギャンブル性が高まりる事になるのです。ただし理屈を超えた天才の場合は例外で、むしろその方がいいのですが、そんな人材は100万人に1人も居ませんから、例外中の例外と考えて無視して構いません。通常はキチンと理性的な分析と統合を行った方が優位に立てます。
ただし、この「分析と統合」を理解するには、ボイドの基礎理論「破壊と創造」を見る必要があるので、この点はまた後で。現段階では理性的に推測を行うための判断基準、という理解だけで構いません。
これらが「観察結果への適応」の段階で行われる推測作業であり、この段階で立てられた推測が間違っていると、以後の行動まで全てが間違ってしうまのうで極めて重要です。そして同時にOODAループの実戦的な運用、その高速化という点でもこの段階が極めて重要になって来ます。次回はそのOODAループ運用のキモであるループの高速化について見て行きましょう。
というわけで、今回はここまで。
|