■では行ってみよう



「でも、そこまですごいなら、実戦の戦果はどうなのよ?」

とりあえず、それを見る前に、ちょっとまとめておこう。
戦艦クラスにおける長距離の主砲砲撃は、その弱点である照準のあいまいさを
レーダーの登場で、ようやく完全に克服したと言っていい。
逆に言えば、1930年代アタリから、急激に進化した大口径の戦艦主砲は、
1941年ごろ、ようやく兵器システムとして完成した、という事になる。

「それが?」

ところがこれがよくある話で、完成したら時代遅れになっちゃってた(笑)。

「ああ、空母による航空戦だ」

ビンゴ。
英独伊あたりの、ヨーロッパの田舎の海戦ならともかく、
太平洋で戦艦なんて、高くてデカイだけのオモチャでしかなくなった。
最終的には、艦隊の対空防御(これもレーダー、というかマグネトロンの力が大きい)と、
意外な活用法だった地上攻撃、つまり艦砲射撃が主な仕事になってしまう。
ついでに日本海軍の戦艦の場合、それすら満足にやってない。

「ダメじゃん」

ダメなんだよ(笑)。
なので“完成された戦艦の主砲射撃システム”が、当初考えられてた形で
実戦を行うような戦闘は、一度も発生しなかった。
数少ない例外は、ほぼ全て相手を目視できず、
そして航空支援も期待できない、夜間戦闘で発生する事になる。

「じゃあレーダーによる砲撃戦、あることはあったんだ」

数少ないんだけどね。
戦艦クラスの船が射撃管制レーダーを使って対艦砲撃戦をやった、
と判断して間違いない例は、以下の3例ぐらいじゃないだろうか。
ビスマルク追撃戦の時も、間違いなくレーダーによる索敵はやってるんだが、
果たして射撃管制までやってたのかは、どうもわからん。

というわけで、今回の例は全部夜戦だ。
Rの付いてる艦が射撃管制レーダーで砲撃の照準を行っている。



1942年11月14日(15日未明終了) 
第三次ソロモン海海戦(Battle of Savo Island)


戦艦 霧島(+重巡 高雄&愛宕)  VS  戦艦 サウスダコタ & ワシントン(R)

■霧島、砲撃のみで撃沈される。

霧島と僚艦の巡洋艦 愛宕&高雄は探照灯で砲撃目標の戦艦 サウスダコタを照射、砲撃を行う。
その結果、サウスダコタはレーダーと射撃管制装置を破損、主砲は生きてるのに
戦闘不能、という事態に陥り、戦場を離脱する。
このため、サウスダコタは戦艦同士の砲撃戦にはほぼ不参加。

一方、この灯火を目印に、ワシントンはレーダーで捕らえた一番大きな目標に砲撃を加える。
方位は日本艦隊の灯火(と砲火)を目標に目測で計測、測距だけをレーダーで行った。
ちなみにワシントンは霧島を単艦で撃沈後、ノーダメージで戦線を離脱。
第二次大戦で、単艦が砲撃のみで戦艦&大型巡洋艦クラスを撃沈までしたのは、
フッドを沈めちゃったビスマルクと、このワシントンぐらいじゃなかろうか。

ちなみに、ワシントンは、その戦闘報告書で、長距離砲撃戦においてレーダーの効果は絶大、
あのザマじゃ日本海軍はまともなレーダーもってないぜ、夜戦じゃ絶対負けん、と報告している。
ついでに、この海戦に参加したアメリカ戦艦二隻は、当時の最新鋭艦だ。



1943年12月26日 
北岬沖海戦(Battle of north cape)


戦艦 シャルンホルスト(独)  
VS
戦艦 デューク オブ ヨーク(+巡洋艦 ジャマイカ、シェフィールド、ノーフォーク、ベルファスト)(R)


■輸送船団の襲撃に出かけたシャルンホルストが、
護衛の巡洋艦3隻によって砲撃を受け、戦闘となる。
そこに戦艦 デューク オブ ヨークと巡洋艦ジャマイカが救援に駆けつけ、
イギリス艦隊のレーダー照準による砲撃でシャルンホルストは深刻な損傷を受ける。
その結果、戦闘中に速度が低下した所を、イギリス駆逐艦隊に追いつかれ、
至近距離からの雷撃で撃沈される。

戦闘記録を見ると朝から夕方にかけての戦闘だが、
12月26日、冬至直後のノルウェー北端の海が戦場であり、
ほぼ一日中真っ暗やみという条件下での砲撃戦となった。これは夜戦と考えてよい。
16:30の最後の砲撃戦開始を目撃した駆逐艦スコーピオン(Scorpion)の乗組員によれば
「真っ暗闇の中で、戦艦の砲火のみが遠くに見えていた」
という状態で、まあ、レーダーがなければ砲撃戦なんか不可能であったろう。

この海戦時、イギリス側はほぼ全艦が射撃管制レーダーを積んでいたはずだが、
どの程度までレーダーに頼ったのかはよくわからない。
とりあえず、最後の砲撃戦の前には、星弾(Star shell)と呼ばれる照明用の特殊弾を
複数撃ち出して、シャルンホルストを目視で確認している。
(ちなみにこれが撃墜された、という記録があるんだが、照明弾て撃ち落せるのか…)
少なくとも、方位は目視で確認していたはずだ。

戦艦 デューク オブ ヨークの射撃管制レーダーは
1940年製のType284で、600MHz、波長50cm。正直、高性能とは言いがたい。
ちなみに、この海戦中、雷撃のため必死にシャルンホルストを追撃していた駆逐艦に、
デューク オブ ヨークから「今の砲弾の着弾観測を頼む」という依頼が行われているので、
やはりこのレベルのレーダーではちょっと厳しいものがあったのかもしれない。
ちなみにその返事は「200ヤード前後(約183m)短いよ」というものだった。
でもまあ、適当だろう、この数字…。

一方、シャルンホルストは巡洋艦3隻との前哨戦でレーダーを損傷しており、
いわば目隠しをされて砲撃戦を行ったようなものだった。
もっとも、ドイツ海軍のレーダーが完全状態でも、どこまで精密だったかは、よく知らんのだけど…。



例のベルファストはシャルンホルストに最初に接触した巡洋艦トリオの中の一隻だった。
イギリス海軍自慢の一戦に参加してるから、保存艦にしてもらえたのかも。



1944年10月25日 
スリガオ海峡海戦(Battle of Surigao Strait)


戦艦 カリフォルニア(R)、ウェストヴァージニア(R)、テネシー(R)、メリーランド、ミシシッピ、ペンシルバニア
(計6隻中3隻がレーダー照準に成功(涙…))
VS
戦艦 山城

■米戦艦群に近づく前に、すでに山城は魚雷を食らって減速を余儀なくされている。
そこに7発の(米軍側の記録)レーダー照準による戦艦主砲の命中弾をくらい大破、
最後は魚雷艇から雷撃を受け、戦艦 山城は壮絶な最後を遂げる。

この時の艦隊で唯一の生き残り、駆逐艦 時雨の生存者の回想を見ると
照明弾もなしに、いきなり砲撃を食らってるようなので、
レーダー照準だけによる射撃と見ていいと思われる。

この時、日本側の艦艇は海峡の出口付近で
米海軍の魚雷艇による挟撃を受けてる最中だった。
その応戦に気を取られてるとこに、この砲撃を食らったらしい。

ちなみに、もう一隻の戦艦 扶桑と護衛の駆逐艦のうち3隻は
この砲撃戦前に、既に魚雷で撃沈されていた。
砲撃時に浮いてたのは多分、戦艦 山城、巡洋艦 最上、駆逐艦 時雨だけで、
最上は恐らく戦艦主砲弾と思われる一撃を食らってる。

このスリガオ海峡海戦は、戦闘というより、米軍による一方的な殺人ゲームと言う感がある。
戦力も、戦術も、そして装備のレベルも圧倒的なまでに不利だった。
正直、日本側にレーダーがあってもなくてもどうしようも無かったろう。

ちなみに、アメリカ戦艦でレーダー補足&砲撃に成功しているのは全てMk.8レーダー搭載艦で、
失敗してるのは初代量産型のMk.3型射撃管制レーダーの搭載艦だったりする。
この二つ、結構、性能差があった、と考えていいようだ。
ついでに、この戦闘に参加した戦艦のうち、
カリフォルニア、ウェストヴァージニア、の2隻は、あの真珠湾で一度沈められた戦艦。
テネシー、メリーランド、ペンシルバニアも損傷を受けている艦なので、
この戦闘に参加した戦艦はいわば「真珠湾組」とでもいう連中だった。

ついでに、この6隻の戦艦以外にも8隻の巡洋艦が海戦には参加していて、
これらのうちの何隻かもレーダー照準射撃をやっているようだ。




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