■鳥居強右衛門の話
今回は最後に、合戦前の長篠城籠城で
やや特殊な活躍をした鳥居強右衛門の話を書いて置きましょう。
長篠の資料館などで一押しとされてるのがこの人、鳥居強右衛門さんです。
(すねえもん、と読む。となるとドラえもんのスネ夫は漢字で書くと意外や強夫なんだろうか)
一種の勇者伝説の主人公なんですが、残ってる絵がこれで、
しかも磔のまま殺されたとあっては地元のゆるキャラにも向いておらず、
なんとも微妙な立場にある人ではあります。
この人は例の一次資料三点の内では三河物語にしか登場しないのですが、
江戸期に成立した他の本にもこの話は見られるので、
おそらく当時からよく知られていた話だったと思われます。
とりあえず三河物語に基づいて記述すると、籠城が限界になりつつあった長篠城から、
「信長はご出馬か見て参れ」(原文ママ。呼び捨てである)という事で密使が放たれます。
これが鳥居強右衛門で、あっさり包囲網を突破して家康の元に向かいました。
家康(野田城に居たはず)は、これを既に岡崎まで来ていた信長の元に送って
引き合わせたため、鳥居は信長本人から直接、出馬すると言い渡されました。
これを受けて長篠城に取って返し、武田信綱(信玄の弟。つまり勝頼の叔父)の
攻め口に紛れ込み、“竹束をかづきて早駆入らんと(原文ママ)”するのですが、
敵に見つかってしまい、捕らえられてしまったのでした。
竹束を抱えるのは、鉄砲の玉への防具ですから、これは武田の包囲軍の中に紛れ込み、
そのまま城に駆け込もうとして見つかった、という事になります。
(記録で見る限り武田側は基本的にあまり鉄砲は使わない。徳川と織田の武器である)
合言葉でもあったのか、装束が武田軍と違ってバレたのか、よくわかりませんが。
そこで勝頼の前に連れ出されたところ、勝頼から
「磔にして城の兵にお前を見せよう。その時、信長は来ない、城を明け渡せ、
と城に居る仲間に叫べば、命も助けるし、国に帰ったら知行も与えよう」
と申し渡されたとされます。これに対し
「これ以上ありがたい話は無い、さあ、速く城の近くに磔のまま連れて行け」
と鳥居が答えたため、武田側はこれを磔にして城壁の近くに連れて行きました。
ところが鳥居は集まって来た城中の者たちに対し、
「信長は既に岡崎まで来てるぞ、先手は一宮(長篠城から約15q南西)に、
家康、信康は野田城(同約10q南西)に入った。この三日のうちに運は開ける」
と叫んだため、武田側に磔のまま殺されてしまったとされます。
これが鳥居強右衛門のお話で、
勇気ある武者の振舞である、という事で語り継がれてます。
ただし、語り継がれてるうちに尾ひれが付いた感じもあり(笑)、
この鳥居さんが忍者のように川の流の中の防護網を抜けたり、
付近の山から狼煙を上げて合図したり、という話も見られますが、
少なくとも三河物語には出て来ません。
さらにもう一人、鈴木金七郎という男がその後、さらに脱出に成功、
城内の様子を家康、信長に伝えた、という話が四戦紀聞にありますが、
これも三河物語には出て来ません。
まあ三河物語に無いから嘘だ、とは言えませんが、少なくとも
後世の創作である可能性は疑った方がいい気はします。
ついでに余談ながら、徳川親子が入ってた、長篠の南西約10qの距離にある
野田城は武田信玄が西進中に最後に落とした城で、
すなわち信玄最後の戦さ場がここでした。
当然、陥落させて、武田側の城としたんですが、
この段階ではすでに徳川が取り返してます。
が、これ、いつの間に陥落させたのか、記録がありませぬ…。
長篠城を落とした時、セットで攻め落とした、と考えるのが普通だと思いますが…
といった感じで今回はここまで。
ようやく次回から合戦本番でございます。
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