■戦争は聖餐する いただきます
1941年、アメリカが第二次世界大戦に参戦すると、
フォードでは排気タービン付きエンジン搭載の最新4発爆撃機、
B-24リベレーターをライセンス生産することになった。
これは、ホンダの鈴鹿工場をぶっ壊して再建築、
いきなりジャンボジェット旅客機の量産に乗り出す、
ってくらいにチャレンジャーな事態だったりする。
しかも本家のコンソリデーテッドをぶっちぎってしまうくらいの生産量を達成します、
ってんだから、まあ、常識で考えれば無茶もいいとこで、
そら息子さん心労で倒れるよな…。
でもヘンリーは、本当にそれをやってしまうのだ。
後でふれるが、ジェネラルモータース(以下GM)も
戦中は社をあげて航空機生産に乗り出すのだが、
それでも単発機(FM-2、TBF)だけだった。
タイヤメーカーのくせにF4-Uを量産してしまったグッドイヤーとか凄い例もあるが、
いきなり4発爆撃機の量産なんてのは、ヘンリーの狂気すら感じる。
理由は知らないが、どうもヘンリーは航空機の大量生産にこだわりがあったようだ。
もともと、フォードは航空機も造ってたし、ヘンリーも飛行機は好きだったらしいので、
要するに「やってみたかった」のだと思う。
フォード製航空機、変な形で翼にエンジン積んでるトライモーター。
もっともあのエンジン配置はフォッカーの似たような機体からのパクリらしい。
あんまり売れなったので、この後、フォードは航空機製造からは撤退、
第二次大戦期には単なる自動車メーカーだった。
当初はカーチスの戦闘機、P40を大量生産するつもりだったのだが、この話は流れてしまう。
が、計画はある程度具体的に進んでいたようで、陸軍からフォード本社の近所の飛行場に
P40が派遣され、デモフライトや、分解調査などに使われた。
ちなみにこの時派遣されたパイロットは、
後にヨーロッパ戦線でP47の部隊を率いて有名になる“ハブ”ゼムケだ。
「アメリカのアゴ」の名で私に親しまれるカーチスP40。
ゼムケの回想によればフォード相手にデモを行ったのは日米開戦1年前の1940年末。
彼の記憶違いでなければ、思った以上に早くからフォードは
軍用航空機の生産をする意向を持っていたことになる。
どんどん話がそれるが、アメリカ人が大豆を食べるようになったのはほとんど戦後からで、
特に豆腐や醤油が日本から持ち込まれるようになるまでは、ほとんど需要がなかったように思う。
が、ヘンリーはなぜかこの大豆の生産に熱心で、この時、ゼムケは大豆のウェハースを食わされ、
面食らったらしい。
で、最終的に白羽の矢が立ったのがB-24だったようだ。
理由はよくわかないが、メーカーのコンソリデーテッドの生産能力の低さが心配されたのかも。
実はダグラスなどもその生産に引きずりこまれているので、万が一、フォードがこけても、
何とかなるさ、と思われたのかもしれない。
が、フォードは、陸軍の期待に応えすぎるくらいに応えてしまう(笑)。
工場を一つ、B24専用に建て直し、それが完成した
1943年8月後半から生産に乗り出してゆくのだが、
その凄まじさを理解するには、ライバル機ともいえるB17と比較してみればいい。
総生産数
B-17 約12700機
B-24 約18500機
よく知られるように、B-24は4発爆撃機としては最多の生産量を誇り、
その数はB-17の1.5倍にもなっている。
生産期間
B-17 1937-1945
B-24 1940-1945
が、生産期間はB-17が8年、B-24は5年と、むしろB-24の方が短いのだ。
何が起きたのか、というと、上記のようにヘンリー率いるフォードが
途中で殴り込むのである(笑)。
フォード社は1943年8月にその大量生産のノウハウを
駆使した工場が完成すると、24時間体制で稼働させた。
(ちなみにこの段階で二代目社長、息子のエドセルは病死、ヘンリーが社長に復帰)
どうなるか。
稼働後、まもなく月産600機を達成してしまうのでした(笑)。
フォードは、多分世界初の週休2日制製造業なのだが、
この工場が土日を休んでいたかは、ちょっと不明。
が、例え休日無しのフル稼働だったとしても日産20機のペースだから
すなわち約1時間15分に1機、4発爆撃機が製造ラインから出てくることに。
フォードの工場は化け物か!(笑)。
その結果、フォードのB24生産は実質1年8カ月程だったにもかかわらず、
なんと最終的に8600機も造ってしまう。
単一の工場で造られた4発機の機体数としては、おそらく世界最大、最速だろう。
さあ、みなさん、ご一緒に。
「やりすぎだろー!(笑)」
結局、他の工場の生産分とあわせると、B-24はその生産数の2/3近くが、
最後の1年半で一気に造られたことになるのである。なんだそりゃ(笑)。
折から対ドイツ爆撃の最盛期ではあったから、フォードの貢献は小さくなかった。
なんであんなに造られたのか、と言われることが多いB24だが、
正解は「フォードがバカスカ造っちゃったから」という面がけっこうある…(笑)。
ちなみにB17はB29の量産が開始された後も生産が続いていたので、
もしフォードがこっちに参加していたら、その生産数は、軽く2万機を超えて行っただろう。
B24の生産が軌道に乗りまくった後も生産が続いたB17。
それどころかB29の生産が始まった1944年でもまだ造ってた。
どうもその頑丈さが、狂ったようなドイツの空に侵入するにあたり、乗員から好まれたようだ。
余談ながら、この時の経験を生かして、フォードは戦後の車体製造、
特にバス、トラックなどに航空機に使われていた技術を採用できた、という話もある。
グラマンの機体を造ってたGMにも似たような話があり、自動車メーカーにとって
戦争は、「とってもお得な商売」だったのは間違いない。
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