■基礎知識編 世界の片隅で幕末でごわす■
ウチのホームページの掲示板に、くさのさんが書き込んで下さった話、
これをそのまま流してしまうのは、さすがに惜しい、と思ったので、
僭越ながら、まとめさせていただこうと作成したのが、このページです。
日本史の大人気期間とも言える幕末、明治維新の時代は
日本の夜明けぜよ、という事で竜馬が行っちゃったり、
剣が燃えちゃったりでエライことになってたわけですが、
あの時代の流れを考える時、少し視界を広げて見ると、
またちょっと違った事が見えてきます、というのがお題となります。
ロンドンの科学博物館に展示されている大西洋横断汽船 三兄弟。
この蒸気船の発達がもたらした世界の移動時間の短縮と、
産業革命による、とにかく工業製品を売りまくるのだ、という必要性から、
イギリスを筆頭とするヨーロッパ、アメリカ各国は中国、日本といった極東に向けて
その貿易圏の拡大を狙って行くことになります。
そういった世界的な流れの中で、明治維新というのは起こるわけです。
まず右端から見て行くと、これは
世界で初めて大西洋を横断した汽船(アメリカ→イギリス航路)、アメリカのサバンナ(Savannah)です。
1819年5月24日にに出航、6月20日にイギリスのリバプールに到着しています。
ただし、この船は元々は普通の帆船だったのを途中から外輪の蒸気船に改造したもので、
基本的には帆船、という船だったりします。
外輪船は絶望的に燃費が悪く、この小型の船体に積み込める石炭(コークス)は限度があったため、
イギリス到着前の6月18日には燃料が切れてしまい、以後は風による帆走でイギリスに到着しています。
それでも日本じゃ全開バリバリで江戸時代真っ只中、西郷隆盛も坂本竜馬も、
まだ生まれてすらいない時代に、コレだけの事を海と陸の向こうではやっていたわけです。
次に、左側の2隻はそれに遅れること約20年、1839年に、いよいよ蒸気船による大西洋横断定期便が
運行される事になり、最初にその路線に投入された2隻。
こちらは両者ともイギリス船で、右がシリウス、左がグレート ウェスタン。
さすがにまだ外輪船ですが、まもなくスクリュー船も登場します。
両船は最初にどっちがイギリスからアメリカに到着するのか、を競争していたのですが、
この勝負はシリウスが先にアメリカに到着、となり決着が付きます。
従来の帆船では平均40日前後かかっていたのを、18日と4時間半で横断してしまった、
との事ですから、これによって一気に世界は狭くなったわけです。
ただし、一番乗りを逃したものの、実際の運行速度は左側のより大型な
グレート ウェスタンの方が速く、この船の設計を行った
イギリスを代表するエンジニア、ブルネルの優秀さを証明する事になります。
さて。
蒸気の力が欧米各国をより積極的に極東方面まで脚を伸ばさせる原動力になり、
そこに兵器の発展、さらに戦争の発生が重なり、
これが意外に複雑な形で、日本の歴史に影を落としています。
例えば、あの時代、となりの中華の国は、
欧米列国にケチョンケチョンのシオシオノパーにされていたのに、
日本はほとんど放って置かれたに等しい状態でした。
その理由の一つは、列強各国はそれぞれの戦争と、
中国への侵略戦争で忙しすぎて、それどころじゃなかったからだ、というのは
世界と日本の動きを同時進行に見ないと理解できません。
結局、日本の幕末は、諸外国からの干渉によって始まるのですから、
全ての根源はイギリスの蒸気機関の発明と、産業革命にあると見ていいでしょう。
(ロシアは例外。連中はシベリアの毛皮などを売って引き換えに食料を確保したかっただけ)
蒸気機関によって、近代的で高速な地球上を走り回る手段が確保され、
産業革命によって、売らなければならない製品は国中に溢れてる。
これを原動力に、イギリスは世界へ貿易のために進出してゆくわけです。
帆船時代の貿易が南アジアの香辛料、南米の銀など、
向こうから持ってきてヨーロッパで高く売り飛ばす、というものだったのに対し、
こちらから押し売りのように工業製品を抱えて突撃してゆく、
というのがこの時期のイギリスの貿易の特徴ともいえます。
そこにヨーロッパの政治的な変革期が重なり、戦争が頻発、
エライ事になったと思ったら、アメリカ大陸でも戦争が始まってしまいます。
そんな激動の時代に、日本は明治を迎える事になるわけで。
とりあえず、最初にそこら辺の基礎知識を年表で確認しておきましょう。
左が日本の動き、右が世界の動きです。
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■1816年 9月 |
●1857年12月-60年 アロー戦争(Second Opium War)
●1859年 イタリア統一戦争 ●1861年-67年 メキシコ出兵 |
■1863年6月 下関砲撃 |
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