■珊瑚海で朝が来て デボイネ ラバウル MO機動部隊 MO主隊(衣笠、古鷹) TF-17 発進時刻 6:30 6:30 6:15 6:00ごろ 6:19
というわけで、5月7日の朝がやって来ました。
ここからの記事は従来の資料に加えて、
MO機動部隊の司令部、すなわち第五戦隊の戦闘詳報、
さらに一部は第六戦隊の戦闘詳報を使ってゆきます。
でもってアメリカ側の報告書は主に現地時間、
日本側の報告書は日本標準時間なんですが、
普通に考えて現地時間で表記しないとよくわからんと思うので、
この記事では以下、全て現地時間で統一表記します。
ちなみに日本海軍の戦闘詳報というのは、戦闘に参加した各部隊、そして各艦が
それぞれ作成する戦闘報告書で、主に主計課がその記録を担当してます。
艦が沈没しちゃった場合は、生存者が記録を残すのですが、
生存者がいなかった場合は作成されなかったかもしれません。
ここら辺り、現存するものが限られるのでよくわからん部分もあるのです。
ちなみに珊瑚海海戦の場合、翔鶴の戦闘詳報が失われており現存しません。
(少なくとも私は見たことない)
余談ですが、祥鳳(しょうほう)の戦闘詳報(せんとうしょうほう)と
今回の記事で書くたびに、何かじわじわ来るものが個人的にはあったります…。
で、アメリカ海軍でこれに相当するのが行動報告書(Action
report)です。
ちなみにアメリカ側でも保管は完全ではなく、
珊瑚海海戦ではUSSレキシントンの行動報告書(Action
reoirt)の一部が失われてます。
ただし、あちらの場合、報告書の数が半端ではないので、
他の艦や部隊の報告書で大筋の見当がついてしまうのですが…。
逆に各行動報告書ごとに数字が微妙に違ったりするので、ここら辺りも要注意。
この記事ではもっとも現場近くに居た、と思われる担当者による数字を採用してます。
ちなみに戦闘詳報はそう簡単に見れるものじゃなかったのですが、1990年代に
アテネ書房によって現存する主な記録が「連合艦隊海空戦戦闘詳報」として全18巻、
全巻そろえると、軽く10万単位の金が飛んでゆく(涙)、という形で出版されてます。
東京だと九段下の昭和館(いつもお世話になっております)の図書室に全巻置いてあるため、
非常に助かっております、はい。
(後に空母の戦闘詳報だけまとめて再出版された。私が自分で持ってるのはこれだけ)
また、アジア歴史資料センターでも主なものがネット上で公開されており、
戦闘詳報で検索をかけるといろいろ出てきますので、興味のある人は見てください。
いい時代になりましたねえ…。
さて、5月7日は夜明け前から両軍とも行動を開始、
そして日の出とともに索敵機を飛ばす事になります。
ちなみにこの日の日の出はMO機動部隊(第五戦隊)の戦闘詳報によれば6時20分。
日の出前後の状況を地図で確認するとこんな感じですね。
まず日本側の作戦の主人公、ポートモレスビー攻略部隊は
順調にジョマード水道に向けて南西に進行中で、
それに寄り添うような形でMO主隊が居ました。
が、アメリカの空母機動部隊は南東側から来ると予測されていたため、
第六戦隊の重巡、衣笠、古鷹を深夜2時の段階で分離、
ロッセル島北西部まで進出の上で、両艦に搭載されていた
索敵機を朝6時ごろ発進させています。
索敵機発進後、衣笠、古鷹の両艦は主隊に戻るために西に向かい、
9時ごろにはMO主隊に復帰してました。
この時、MO主隊と行動を共にした祥鳳からは索敵機は出してません。
ちなみに両艦の索敵機は母艦に帰艦せず、
任務終了後は、できたばかりのデボイネ水上機基地に向かいました。
(着水回収は艦を停止させる必要があり空襲の可能性がある場合は、
極めて危険な作業になってしまうからだろう)
この緊急避難基地、といった意外な運用が
海戦が進むにつれて、デボイネ基地の重要な任務になって行きます。
一方、この段階のアメリカ空母機動部隊の位置は南緯13.25.5、東経154.48で、
これはロッセル島北西の位置まで接近していた衣笠、古鷹から300q以下、
もしかすると250q以下まで接近していた可能性が高く、
空母機動部隊に取ってみれば、既に必殺の間合いに入っていた事になります。
(衣笠、古鷹が索敵機を打ち出した位置の記録が無いので正確な距離はわからない)
当然、この両者の索敵機が、真っ先にお互いの艦隊を発見することなる、
というのは想像がつくでしょう。
そのすぐ北側にはポートモレスビー攻略部隊が居たわけで、
この段階で、この作戦の勝負は事実上ついていた事になります。
ポートモレスビー攻略部隊がこれ以上南下するためのルートに
アメリカ側の最強の打撃戦力が立ちふさがる形になってるのですから、
日本側の作戦失敗は、この段階でほぼ決定でした。
で、そこから600km近く離れた南東方向に居たMO機動部隊も夜明けとともに、
翔鶴、瑞鶴から索敵機を出してます。
ちなみにMO機動部隊の重巡2隻にも水上機が積まれていたのですが、
こちらは5日朝の索敵後、回収時に荒天のため破損、使用不可となっており
このため、空母だけから索敵機が出される事になりました。
さらに日本側では前日からデボイネの水上機基地が活動に入っており、
このため、ここからも夜明けとともに索敵機が飛び立ちました。
さらにジョマード水道の辺りまでなら、ラバウル基地から双発の陸攻が十分届く距離で、
こちらも索敵に飛び立ってます。
ついでに、前回書き忘れましたが、ポートモレスビー周辺に戦場が移れば、
これはラバウルのゼロ戦の進出圏内となります。
ところが先に見たように翔鶴、瑞鶴の空輸が頼みだった現地部隊は、
すでに稼働ゼロ戦が10機前後となっており、ほとんど戦力になってません。
よって、MO作戦が成功して艦隊がポートモレスビーに突入する場合、
やはり当てになるのは空母艦載戦闘機だけだったのです。
ついでに、確実に場所がわかってる地上基地と違い、
常に動いてる空母機動部隊が相手の場合、とてもこんな距離を
進出して戦闘するのは無理ですから、
(速攻での発見に失敗したら燃料が足りなくなる)
珊瑚海海戦の段階でも、やはり役に立ちませぬ。
さて、ここでもう一度、同じ地図を。
最後にアメリカの空母機動部隊の動きを見て置きます。
TF17は、日の出直前の朝6時ごろ、
先に書いた理由により、元TF44を中心とした巡洋艦&駆逐艦の別働部隊、
機動班(TG)17.3を西に向けて分離します。
これは旧TF44に2隻の駆逐艦、USSウォークとUSSファラガットを追加し、
重巡2隻、軽巡1隻、駆逐艦3隻とした部隊で、
この後、先回り待ち伏せのため、ジョマード水道出口に向かいます。
(厳密にはUSSファラガットはTG17.2から追加で派遣された艦だが、
この後はTG17.3の指揮下に入った)
その分離後、索敵機を飛ばしてるのですが、合流後のTF-17では
USSヨークタウン、USSレキシントンのどちらかが一日交替で、
索敵機を飛ばす事になってました。
この日はUSSヨークタウンの当番日で、こちらから飛び立ってます。
とりあえず、この日の索敵機発進状況をまとめると、
という感じで、全て日の出(6時20分)前後に発進してるのがわかります。
ちなみに、時間はあくまでおおよそで、一定の機数が離陸する以上、
最初の機体から最後の機体まで10分以上はかかると考える必要があります。
例えばMO機動部隊の索敵機発進時刻は瑞鶴の戦闘詳報では6時(日本時間4時)ですが、
MO機動部隊司令部(第六艦隊司令部)の戦闘詳報だと6時15分になってます。
おそらく前者は発艦開始予定時間で、
後者は終わった時間じゃないかと思うんですが、詳細は不明。
ちなみに、アメリカ側の数字は索敵機を送り出したUSSヨークタウンのものですが、
それを見ていたUSSレキシントンの記録だと6:30となってます。
が、これは数字のキリが良すぎるので、おそらく記録担当者の手抜きではないかと…。
さて、ここまでは全員がほぼ足並みをそろえていたわけです。
が、問題は索敵機をどの方向に飛ばしたのか、という事になります。
アメリカ側はMO機動部隊の位置を全く知らず、MO機動部隊は前日の報告にこだわって、
アメリカ空母機動部隊は西ではなく、南に居ると思い込んでるわけですから。
その結果どうなるのか…というのが、次回のお話でございますですよ。
今回はここまで。
BACK