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■MO機動部隊南へ
さて、最後に我らが翔鶴、瑞鶴の五航戦がいる
MO機動部隊の動きを確認しておきましょう。
とりあえずもう一回同じ地図を。
6日の朝の段階で、MO機動部隊は
ツラギの西180海里(約335q)の補給地点に到着、
朝の9時半(現地時間)ごろから二度目の補給を開始したところでした。
よって、またも補給中に敵機動部隊発見の報を受ける事になります(涙)。
瑞鶴の戦闘詳報によると発見報告を受けたのは日本時間8時50分、
すなわち現地時間で10時50分で、直ちに補給を中断、
その50分後の9時40分(現地時間11時40分)に
針路180度(北を0度にして360度で示す)すなわち真南に向けて
時速26ノット(約48q)で進撃を開始します。
(戦史叢書 49巻の数字は多少異なるがここは瑞鶴の報告を信じる)
ただしMO機動部隊指揮官でもあった
第五戦隊(先にも書いたが重巡 羽黒 妙高を中心とした巡洋艦部隊だ)
司令官の高木ちゃんは、空母以外で補給が終わってない艦は
そのまま補給続行として出航させませんでした。
よって、補給中断は翔鶴、瑞鶴のみ、あとは補給を終了していた
駆逐艦 有明と夕暮の二艦が護衛に付けただけで南下を開始してます。
結局、この日のMO機動部隊はこの分離運用のドタバタを一日中引きづって、
作戦運用に悪影響を与えてる印象があります。
とくに機動部隊司令官ご本人様が後方に残ってしまったため、
とりあえず五航戦の原司令官が艦隊の指揮を独自に執ったようですが、
ここら辺りでも混乱を生じてる感じがしますね。
ちなみに高木ちゃんは、2月のスラバヤ沖海戦において、
巡洋艦同士で25q以上の遠距離からの砲撃戦を延々と1時間近く続け
最後に砲弾不足を招いた筋金入りの消極的司令官でした。
(最後の最後に幸運にも1発の命中弾を得て敵を追い返したが、大破も撃沈もなし)
どうも積極性に欠けるというか、優柔不断な印象があります。
先のラバウルゼロ戦空輸もこの人の判断らしく、
なんでこの人物をこの地位に置いたのか、という疑問は残りますね。
実際、後の珊瑚海海戦でも、その消極性が目に付くのです。
それでもこの条件でなら、日没の1時間以上前、
おおよそ5時間後の、17時までに敵空母部隊を攻撃圏内に捉えられます。
ギリギリでしたが、間に合った、という感じでしょう。
ところが今度は、その五航戦が大チョンボをやります(涙)。
この高速南下中、一度も索敵機を飛ばさないのです。一度もです(笑)。
索敵機を飛ばさないのでは、敵なんて発見のしようがありませぬ。
…じゃあ、なんのための南下なのだ。
どうも連中は敵は高速で南下中、という報告を鵜呑みにして、
どうせ追いつきっこないよな、そうだよねえ、といった
なあなあで作戦をやっていた疑いがあります。
進行方向に対し索敵機は250海里(約463q)以上まで飛ばすのが普通ですから、
(後から艦が追いつくので帰りの距離が短縮され必要な航続距離は短くなる)
敵までの距離650q−463q=187q
この187qだけ、多少多めに見ても、200qも南に航行すれば、
後は索敵機を出すだけで、敵を発見できたはずです。
真正面に近い位置にいるのはわかってたんですから。
すなわち時速26ノット、時速48qで南下開始していたのなら、
出航から約4時間20分後、16時ちょうごろに索敵機を出しておけば、
日没までまだ時間があった午後17時ごろまでに
敵艦隊を発見できた可能性は十分あったことになります。
そこから攻撃部隊の発艦だと、その帰艦は夜間になってしまい、
夜間着艦訓練が終わってなかった五航戦には荷が重いと思いますが、
実際にはこの翌日、7日にまさにその夜間帰還となる出撃をやり、
この時は何ら戦果がないまま、少なくない損失を生じてます。
だったら、なぜこの日、よほど大きなチャンスがあった日にやらんのだ。
よくわからん軍隊ですね、どうも。
そもそも、先の索敵機が報告してきた距離は遠するのではないか、
とMO機動部隊は正しく判断していた、という報告もあるので、
なぜ索敵機を最後まで出さなかったのか、全く理解できない、と言っていいでしょう。
この点、五航戦の原司令官は、戦後に
日本の機動部隊の存在を知らせないためと、ツラギなどからの水上機の
情報を信頼していたため、と言ってますが大ウソでしょう(笑)。
索敵機が相手に気づかれたところで、敵に与える情報は
日本の機動部隊が一定距離の内にいる、というだけの話で、
なんら不利な要素はありません。
こちらのは場所は全くわからないままなのですから。
対して日本側はすぐにも攻撃隊を発進させられるわけで、
敵がこちらの位置をつかむ前に、つまり敵の攻撃隊が出撃する前に、
これを叩き潰せる可能性が高いのです。
そもそもアメリカ側の索敵機が先にこちらを発見したら、どうする気だったんでしょうか。
信じられないほどの怠慢、といっていい行動でしょう。
さらに、もしこの日の攻撃に間に合わなくても、
敵空母の正しい位置と正しい進行方向が分かっているだけでも十分でした。
それだけで、この翌日、7日に起きた悲劇というか喜劇というか、
誰がどう見ても空母なんかでないシロモノを空母と勘違いして
全力で空襲してしまう、大チョンボ2号を避けれたはずです。
とにかく日本側は索敵機を出さず、アメリカ側もこの日は2回の索敵を行ったものの、
北側にはまともな索敵を行っておらず、両者はその存在に気が付きませんでした。
この結果、実は日没後に空母機動部隊にとっては至近距離と言える
150q以下の距離まで両者は接近していながら、
お互いそれに気が付かないままこの日を終えるのです。
この点、アメリカ側も完全に油断しており、日本の空母機動部隊が
全力で自分の方に南下してきてる、とは考えていた様子がありません。
フレッチャーは基本的にデボイネ方面に来ると知っていた
ポートモレスビー攻略部隊にばかり気を取られていました。
だからこそ、日本側には大チャンスだったわけですが…。
とりあえず、その至近距離のすれ違いの後、
日本側機動部隊は一度北に反転してしまいます。
理由は不明ですが、おそらく夜間の内に南に居る
アメリカ機動部隊に近づき過ぎるのを警戒したのと、
(不意遭遇戦は誰でも避けたい)
先に書いたように、補給のために後方に置いてきてしまった、
MO機動部隊の巡洋艦と駆逐艦を迎えに行ったのだと思います。
といった感じで、神様が用意してくれた大チャンスを
日本海軍は二度も無駄にして終わります。
そして、何事もそうですが、チャンスを生かせなかった組織は負けます。
最後に、もう一度、同じ地図を。
ここでアメリカ機動部隊が北西に向かい、
日本の機動部隊が一度北に戻ってる間、
この作戦の主人公、ポートモレスビー攻略部隊はひたすら南下を続けてました。
となると、すでに日本海軍の二つの主力、ポートモレスビー攻略部隊と、
MO機動部隊の間に最強の打撃力を持った
アメリカ機動部隊の侵入を許してしまった事になります。
クサビはこの段階で打ち込まれてしまったのです。
そして、アメリカ側は、この段階ですでに
ポートモレスビー攻略部隊の針路と予定を把握してました。
ここで再度確認。最初に書いたように、この作戦の目的は
●日本側 ポートモレスビー攻略部隊によるポートモレスビー占領
●アメリカ側 その阻止
です。
となると、この日の夜の状態、アメリカ機動部隊が
日本のMO機動部隊よりもポートモレスビー攻略部隊に接近してしまった段階で、
すなわち戦う前から、ほぼ日本の戦略的敗北は決定した事になります。
そして実際、この戦いはそういった展開を見せる事になるのです。
はい、といった感じで今回はここまで。
明日の朝、人類の戦争史が大きく変わる事になります。
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