■巡洋艦祭り&1/3海戦

といった感じで、MO作戦の第一段階は終了です。
この段階では両軍とも、お互いの存在には気がついてないまま、
着々と作戦は進行していました。
とりあえず、今回のMO作戦編はここまでとし、
最後にちょっとだけ脱線しておきます。

ミッドウェー海戦まで、すなわち1942年(昭和17年)6月の段階まで、
日本海軍は全ての戦艦を日本本土で温存し続けていました。
真珠湾直後にちょっと出動したものの、すぐに引き返してしまい、
以後、全戦艦はなんの作戦にも参加していません。
どんな理由によるのか、私には全くわかりませんが…。

このため、史上最初の空母決戦と言っていい珊瑚海海戦ですが、
日本側の戦艦の参加は無く、真珠湾の損失の補充が済んでいなかった
アメリカ側も戦艦は一隻も送り込んでません。

この結果、空母を別にすると、その主役は巡洋艦であり、
日米共に初夏の太平洋巡洋艦祭り、という感じの展開になっていました。
日本の場合、その保有する重巡洋艦全18隻のうち、1/3がこの海戦に集結してたのです。
(蒼龍、飛龍を正規空母並みの能力を持つ、と評価した場合、
翔鶴、瑞鶴の2隻が派遣されたこの戦いは、空母戦力も全体の1/3が派遣されていた、
という妙に不思議な一致にもなる)

が、それらは全くと言っていいほど、作戦には関与すること無く終わり
(その代わり巡洋艦の損失も無かったが)
なるほど、これからは空母の時代だ、と思わせる結果となったのでした。



日本の重巡洋艦の最古参チーム、似たような構造を持つ
古鷹型(古鷹、加古)、青葉型(青葉、衣笠)の重巡洋艦4隻全てがこの海戦には参加してます。
どちらも建造から15年以上経ったベテラン重巡洋艦でした。
写真は後にワレ アオバで有名になる(涙)青葉の模型。
かつて船の科学館に飾られていたものです。

余談ですが日本海軍は開戦後、つまり戦争中には一隻の重巡洋艦も就役させてません。
戦艦では大和、武蔵共に開戦後の就役で、
空母も大鳳、信濃などの新型正規空母が就役してます。
軽巡洋艦も5隻ほど就役しており、駆逐艦、潜水艦の就役も続いてました。
が、その中にあって、なぜか重巡洋艦だけがゼロなのです。
理由はよくわかりませぬ。




ちょっと脱線して(私はもう慣れた。皆さんも既に慣れたと信じる)
珊瑚海開戦が隠れた巡洋艦フェスティバルだった、という点を確認するため、
両軍の参加巡洋艦を並べてみましょう。

まずは日本側から。
(戦史叢書は当てにならん(不正確ではないが不明瞭)ので各種市販本から参照)

●重巡洋艦 6隻

護衛部隊主体所属 古鷹 加古 青葉 衣笠 

空母機動部隊所属 羽黒 妙高

(ただし作戦開始時の配属。後に一部が変動する)

●軽巡洋艦 3隻

援護部隊&上陸部隊所属 龍田 天竜 & 夕張


対して連合国側の参加巡洋艦は
海軍の報告書THE BATTLE OF THE CORAL SEA MAY 4-8 1942によると
(艦名にHMASと付くのはオーストラリア海軍の艦)

●重巡洋艦 7隻

TF17所属  USSアストリア USSポートランド USSチェスター

TF11所属 USSミネアポリス USSニューオリンズ
 
TF44所属 HMASオーストラリア USSシカゴ

(これらも作戦開始時の配属で後に変更あり)

●軽巡洋艦 1隻

TF44所属 HMASホバート 


すなわち、作戦海域には重巡洋艦だけで両者合わせて13隻、軽巡洋艦も4隻居たわけです。
それでも、戦闘の行方には何の影響も与えずに終わるのでした。
ついに空母による海戦の時代の到来、という事でしょう。

この傾向は次のミッドウェイ海戦だとさらに進み、
日本側の巡洋艦はさらに増えた上に、ご丁寧に11隻もの戦艦を出撃させ、
(日本が持っていた戦艦は全12隻。なぜ空母ではなく戦艦が全力で出撃する必要が…)
それでも海戦には何の影響も与えないまま終わります(涙)。

さらにミッドウェイ海戦では僚艦と衝突して速度が落ちた重巡洋艦 三隈が
アメリカ側の航空攻撃で沈没する、というオマケ付きとなりました…。
ミッドウェイ、日本の正規空母損失ばかりに目が行きますが、
実は、最初に日本の重巡洋艦が撃沈された海戦でもあったのです。

といった感じで、今回はここまで。


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