■着艦待ち

ここで、前回の記事で書くのを忘れてまった点を追記。
瑞鶴、翔鶴から、薄暮の攻撃隊が出撃した直後、16:40に
駆逐艦の有明がMO機動部隊を離れました。
これはUSSネオショーを空母機動部隊と誤報した後、母艦への帰還に失敗し、
北東のインディスペンサブル環礁に不時着していた
翔鶴の索敵機2機の乗員を救助するためです。
このため、以後、MO機動部隊の駆逐艦は一隻減ってしまいます。

話を戻しますよ。
慌ててアメリカ空母機動部隊から離脱した99式艦爆隊ですが、
結局、この後120海里(222.2q)近い飛行を経て、
ようやく五航戦の翔鶴、瑞鶴の母艦にたどり着く事になりました。

先に攻撃を受け、バラバラになりながら母艦を目指していた
生き残りの97式艦攻も同様に母艦に向かっており、
これらの収容が20:00ごろから行われる事になります
この段階でも風は東からだったので、艦隊は南東に回頭して高速航行しており、
このため最後の方に帰還した機体は、30q以上より遠くまで飛んで、
ようやく母艦に帰り着いた事になります。

ちなみに、戦闘詳報には風速の関係上、速度を強速以下、
すなわち16ノット(29.6km/h)以下に落とさざるを得なかった、と書かれているので、
やはり着艦時はあまり風が強すぎてもいけないんでしょうかね。
着艦できずに浮いてしまうのか?

ほとんどの収容は20:20頃には終わってたのですが、
瑞鶴の最後の艦爆が、21:00頃、ようやく帰還したようです。
ただし合戦図(航跡図)だとさらに遅くの帰還が記録されており、
最終的に収容が終わったのは22:00になってます。

普通に考えると飛行機隊の戦闘行動調書の21:00が正しいと思いますが、
あるいは最後の機体が帰還した後も1時間近く、
未帰還機の可能性を考えて、
着艦可能な南東方向に針路を維持したのかもしれません。

ちなみにこの収容時、MO機動部隊では空母の左右7qに配置された駆逐艦、
そして5q前方に配置された重巡の探照灯を点灯させ、
帰還する機体を誘導した、と戦闘詳報に図入りで書かれてます。

が、この辺りも謎が多く(笑)、合戦図(航跡図)を読むと、
実際は攻撃隊収容直前に、なぜかこれを消してしまってます。
「暁の珊瑚海」でも一番最初の99式艦爆が着艦直後、
これを消してしまった、とされてますね。

この辺りの行動は、どうもよくわかりません。
ただし最初の艦爆の着艦後に消灯したのなら、
敵が予想以上近くに居る、と報告を受けた後なので、
その追撃を恐れて、とも考えられます。

が、一番機が着陸してから報告までそれなりの時間があったはずで、
そんな急に消灯できるものではないでしょう。
…やっぱり、どうもよくわかりませんね、MO機動部隊の行動は…

とりあえず、ここら辺りの位置関係を再度、地図で確認しておきましょう。



とにかく当てにならないTF17の航跡図ですが(涙)、
先にも書いたように、20時の段階の位置は行動報告書に座標が出てるため、
かなり正確にその位置を求める事ができます。

対してMO機動部隊も19時45分ごろから着艦収容のため東への回頭を始めたため、
その正確な位置はほぼつかめます。
よって、この時の両者の距離はかなり正確に測れ、
それは狙いすましたように、ほぼ100海里(約186.7q)でした。
空母機動部隊にとっては必殺の間合いどころか、
顔を突き合わせてるような至近距離です。
攻撃隊なら30分ちょっとで届いてしまう距離なのです。

この数字を正確に把握したのは、やはり日本側が先でした。
帰還した航空隊からの報告で、19時のMO機動部隊の位置から
方位270度(真西)距離100海里、敵の針路は120度(南東)と、
ほぼ正確に状況を把握しています。

こうなると敵は至近距離でこちらに向かってる事になりますから、
夜の内に必要以上に接近してしまう、という危険な状況を避ける必要が出てきました。
夜が明けたら敵は目の前に居た、なんて事になると、
艦載機を飛ばす前に巡洋艦同士の砲撃戦が始まってしまいます。
その内、一発でも飛行甲板に命中したらそれまでです。
このためMO機動部隊は22:00まで攻撃隊の帰還を待ってから、
針路0度、真北方向に変針するのです。

対して、アメリカ側はまたもや正確な情報を掴んでませんでした。
実はフレッチャーは当初、敵が東に居ると確信が持ってなかったようです。
東から飛んできた機体が帰還中だったのか進撃中だたのか、
判断がつかなかったのかもしれません。

この辺り、海戦の前までは情報戦ではアメリカが圧倒的に優位に立ち、
海戦が始まった後は、日本側が常に優位でした。
問題は、現場の司令部が、その情報をまともに生かせなかった、という点にあります…。

といっても、例の着艦事件で飛び去った99式艦爆が
東に飛び去ったのはフレッチャーもレーダーからの情報で知っていたはずで、
ここら辺りは空母部隊が自分の予想と全く違う場所に居た、
という事実をなかなか受け入れられない優柔不断さを感じる部分ではあります。

よって着艦事件の19:00ごろの段階で、敵艦載機の攻撃圏内に居た事、
日本側の通信傍受が増えた事などから
少なくとも140海里以内に敵はいる、と判断しただけで、敵は東とまで断定しませんでした。
従来の敵は北西の彼方に居る、という推測は捨てたものの、
東に敵が居る、とは確信がなかったようです。

ちなみに着艦未遂事件の後、USSレキシントンは離脱する99式艦爆隊を
レーダーで追いかけたようですが、その結果、19:30ごろ、
、日本の空母(解像度が低いので数はわからない)らしき反応が
方位90度(真東)の30海里(55.5q)の至近距離に現れます。
これは驚くべき発見なのですが、USSレキシントンの戦闘機指揮官が
これをフレッチャーに知らせて来たのは実に2時間半後、22:00の事でした。

これにはフレッチャーもかなり腹が立ったようで、
22:00になってから19:30の報告をよこしやがった、
といった感じの報告を書いてます(笑)。
この辺り、アメリカ側のコミュニケーションも
上手くいってなかった面があるのかもしれません。
(レキシントン側で作戦を指揮視していた元第11機動部隊(TF11)の
司令官フィンチ(Aubrey Fitch)は階級的にはフレッチャーと同じ中将だ。
TF17との合流後、先任のフレッチャーに指揮権を譲っていた事になる)

ちなみにフレッチャーが乗艦していたUSSヨークタウンのレーダーには
そんな反応は無かった、とわざわざ断ってるので、
やはりUSSヨークタウンには何らかの索敵レーダーが積んであったのかもしれませぬ。
ただし再度写真を検討してみましたが、
私には索敵レーダーのアンテナは見つけられませんでした。

この腹立たしさもあってか、フレッチャーは最終的に
USSレキシントンの戦闘指揮官が主張する敵は東、という説を信用せず、
この結果、敵の位置は以前不明として、
この夜、F4Fを回収した後は、再び、南側、
ただし今回はやや東に向けた南東へ針路を取り、朝を待ちます。
このため、北に向かったMO機動部隊とは、朝までに一定の距離が開くのです。
完全に偶然の結果なのですが、これによって両艦隊が
朝になって鉢合わせする、という状況は避けられました。

さらに敵が至近距離に居る、という事でTF17司令部では駆逐艦による
魚雷戦の夜襲も検討したようですが、フレッチャーは
そのギャンブル性の高さからこれを採用しませんでした。
そもそも翌日の航空戦における護衛部隊の減少を招くので、
これ以上の(朝にTG17.3を分離してる)艦隊の分離を行わない事にします。

結果論ですが、USSレキシントンの報告にあった30海里という至近距離に
敵はおらず、実際は100海里も離れていたのです。
さらに彼がその情報を得た22:00の段階で
MO機動部隊は北へ離脱し始めてましたから、その判断は正解でした。
そもそも周囲に目印になるような島もない海域での夜間戦闘は
完全なギャンブルになりますから、これを避けたのは無理のない判断だったと思われます。

ただし、なぜか海軍の一番偉い人、キング作戦部長はこれが気に入らず、
作戦終了後、この点を問いただす書類を
太平洋方面の責任者、ニミッツ宛で送りつけてます。
が、これはキングがあまりに空母航空戦について無知、と見るべきでしょう。

■Image credits:
Donation of George Fletcher, 1976. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
Catalog #: NH 91213



せっかくだから、フレッチャーの写真も載せときます。
珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦、第二次ソロモン海戦と、アメリカが一方的に
不利な状況下の空母艦隊決戦において、常に互角以上の結果に持ち込んだ手腕は
それなりに評価されるべきなんですが、日米通じて人気の無い人です(笑)。

ただし、ガダルカナル上陸戦の時、上陸部隊を放り出して、
空母機動部隊だけで逃げてしまう、というったあまり褒められない行動もやってますが…。

彼が第二次ソロモン海戦の後、乗艦していたUSSサラトガがまたも(涙)雷撃を受け、
彼も重傷を負って、第一線を去るのは既に書きました。
ただし以後、ケガから回復した後も、最前線に戻る事はなかったのです。

この辺りは、どうもキング作戦部長が、彼を消極的と見ていたから、という話があります。
ただし、太平洋のボス、ニミッツは彼を買っており、
この辺り、そもそもケガから回復しても艦隊勤務に耐えられる体調でなかった、
という可能性とキングの横やりとどちらが本当なのか、真実は闇の中です。
どうも、なんとも不思議な艦隊指揮官の一人となってます。




そして、このTF17の位置情報が南洋部隊(第四艦隊)司令部に届けられた結果、
日本側の作戦も大きく動きます。
ただし、なにせ朝から失敗続きの五航戦と、支離滅裂な各種索敵情報に
一日中振り回されていた南洋部隊(第四艦隊)司令部は
最初、MO機動部隊の西100海里、という情報が信用できず、
これは本当か?絶対か?というような確認の電文を送ってます(笑)。
これを受けた五航戦側も、オレに間違いはない、的な電文を打ち返しており、
日米ともに、どうも現場のコミュニケーションは上手くいって無い感じがありますね。
つーか、何であれだけ失策を重ねながら、そんなに自信満々なんだ、五航戦…。

ちなみに五航戦司令部は実際、間違えてまして(涙)、
彼らはこれをこれまでの索敵機情報と同じ艦隊、と断言してるのですが、
索敵機が接触してたのは、どう見てもTG17.3で、TF17ではないのですよ…。
なんなんでしょうねえ、この人たち(笑)。

とりあえずMO機動部隊の言ってる事は間違いではないらしい、
と判明した結果、この夜に予定されていた
MO主隊(第六戦隊)の巡洋艦らによる夜襲は取りやめになりました。
ロッセル島の東に集合していた彼らから、TF17までは軽く120海里は離れており、
とても追いつくのは無理、と判断されたからです。
この辺りは、そもそもMO主隊が昼間の内に逃げすぎたのが原因ですが(涙)、
もし攻撃圏内にあっても、駆逐艦ですらレーダー持ってたアメリカ艦隊相手に、
肉眼だけが頼りの彼らの奇襲が果たして成功したかは、微妙なところです。

こうして戦列から離れる事になったMO主隊ですが、その中から重巡2隻、
古鷹と加古をMO機動部隊の五航戦に派遣するように命じられます。
これは五航戦側の防御力を強化する目的だったと思われます。

そしてもう一つ、重要な決定はポートモレスビー攻略の予定が2日延期された事。
鈍足の輸送艦からなる攻略部隊が北に退避してしまった結果、
当初の予定では間に合わない、と判断されたものでした。

こうして、7日の夜は終わりをつげ、両者は敵が既に至近距離に居る事を知りました。
この結果、翌日の朝を待って、いよいよ空母機動部隊主力どうしの
史上初の海戦が始まることになるのです。


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