■再び出ない索敵機
さて、今回の記事でもっとも重要な例の電文、
430海里(約796q)も西に居るアメリカ空母機動部隊(誤認だけど)が、
東に向けて反転したよ、という報告(誤報だけど)。
実は、これがいつMO機動部隊に届いたのか、はっきりしません。
記録時刻は14:04とされてますが、
これが発信時なのか受信時なのか記載が無いのです。
両者の時刻は15分以上ずれるのが常であり、
下手をすると1時間近いズレが生じる事があります。
とりあえず同じ電文を受け取ったもう一つの部隊、MO主隊の戦闘詳報を見ると、
その情報を受けて夜戦が決定されたのが15:00。
同じく第六水雷戦隊が夜戦準備のため、
ポートモレスビー攻略部隊を離れるのが14:44頃ですから、
どうも上の記載時刻は発信時刻であり、各司令部がこれを受け取ったのは
14:30過ぎごろではないか、と思われます。
その時点まで、MO機動部隊は朝の大チョンボを取り返すため、
大急ぎで北西に向かっていました。
戦史叢書によると、この時MO機動部隊は、
14:30に攻撃隊の発艦を予定していたとされます。
(ただし瑞鶴、MO機動部隊の両戦闘詳報にそういった記載は見つからないが…)
このため、地上航空隊を含む他の部隊の司令官に対し、
アメリカの空母機動部隊に関する情報の提供を求めてます。
(こちらの電信は記録が残ってる)
まあ、他の部隊にしてみれば、今さら何言ってやがる、
言われなくても通報してやるわ、ちゃんと仕事しろ、という感じだったでしょう。
そんなわけで14:30の攻撃前に、前回見たような、
支離滅裂な(というかTF17ではなくTG17.3の)位置情報が
索敵機から次々とMO機動部隊司令部に入って来ることになります。
この結果、彼らは、敵ははるか遠く430海里の彼方に居る、
との判断に至り、その攻撃を中止してしまったのでした。
その時間に注意して欲しいのですが、14:30の攻撃中止の決断は例の誤報、
敵は東に反転、が入って来たのとほぼ同時刻であるはずで、
わずかに攻撃中断の決定の方が早かったと思われます。
ちなみに例によって(涙)、この間に五航戦は全く索敵機を飛ばしてません。
友軍の索敵機が敵機動部隊に既に張り付いてたのは事実ですが、
12:20〜40の電信の辺りから情報が錯綜し始めてる以上、
自らの索敵機を出すべでした。
攻撃部隊より早く戻っていた索敵機は、給油後、既に発艦できたはずで、
これによって、少なくとも敵までの距離の錯誤は防げたと思われます。
実際、敵は通常の索敵距離、250海里で簡単に発見できる位置に居たのですから。
5日の段階でも指摘しましたが、どうも五航戦の原指令官は索敵をナメてるのか、
最後までその重要性を理解できなかったのか、
肝心なタイミングで索敵を出さない、という妙な消極性が目に付きます。
このため、情報ではなく、自分の勘で行動を決したと見られる部分が多く、
どうも、いろいろダメな感じがしますね、この人。
後に、5月7日は運が無かった、と言っていた、という話も見ますが、
この日に関しては85.76%の確率で、運は常に日本側にありました。
それを利用できなかったのは、この人の能力の問題です。
もっとも敵のフレッチャーも海戦を通じて、必要最低限しか
索敵機を出そうとしてないので、世界初の空母決戦ゆえ、
両者とも判断が難しかった、という同情の余地はあるのですが…。
それでも、すでに両艦隊が240海里を切る距離に居た段階で
索敵を出さなかった事により、事実上、日本側の最後の奇襲のチャンスが消えました。
最後の最後まで、現地における情報戦で優位にありながら、
最後の最後まで、その優位を生かせなかった、という事です。
■Image
credits:Catalog #: 80-G-427153 Copyright Owner: National Archives
必殺の一撃、魚雷を撃てる97式艦攻を索敵に出してしまうと、
その分、攻撃力が落ちるので、索敵にあまり注力したくない、というのがあったのかもしれない。
だが、そもそもキチンとした情報がなければ、攻撃そのものが成立しないのだ。
この辺りの索敵による情報の軽視は、この後も日本海軍を悪い方向に引きずり回す要因となって行く。
ちなみに艦隊周辺の対潜警戒はこの機体ではなく、
60s爆弾を積んだ複座の99艦爆が行っていた。
さらに改造空母などの小型空母では艦攻を持ってない、という事もあって、
索敵まで99艦爆で行うのが普通だったようだ。
(1942年、昭和17年ごろまでなら旧式の96艦爆(複葉だよ)でやってた)
この辺り、必ずしも索敵には絶対艦攻を使う、というルールが海軍にあったわけではないらしい。
とりあえず、敵がこちらに向かい始めた(誤報だけど)と知った後となる
15:00付でMO機動部隊司令部から第四艦隊(南洋部隊)長官とその指揮下の各司令官宛に
以下のような電文を打電しました。
“13:00(現地時間15:00) 距離の関係上、本日五航戦の飛行機を以てする攻撃は
遺憾ながら見込みなし 当部隊の12:00(現地時間14:00)の位置はケロハ25”
ケロハ25は原司令官の斬新なあだ名ではなく、位置を示す暗号で、
文章の暗号を解読しても、さらにこの数字の意味を知らないと
その位置がわからない、というもの。
これは、それぞれの文字と数字の地域対応表が各艦に配られており、
その表が無いと、どこの事だがわからない、というものでした。
この対策は意外に有効で、アメリカ側の暗号解読の記録を見ても、
こういった文字と数字の記号部分の解読には手を焼いてます。
ちなみに、この電文の発信者はMO機動部隊司令官になってますが、
実際に決定を行ったのは、航空作戦に責任を持っていた
五航戦の原司令官だったとされます。
で、とりあえず、ここまでの行動は、理解できます。
なんぼ敵が東方向、すなわちこちらに向けて方向転換した(誤報だが)
といっても430海里、800q近く西であり、空母必殺の間合いの1.8倍も遠くの距離に居る
敵艦隊を攻撃なんてできるわけが無い、という判断は妥当でしょう。
18:15の日没から逆算すると(3時間15分後)、MO機動部隊が必殺の間合いに入る頃には
とっくに夜になってますから、当時の航空機では攻撃のしようがありませぬ。
ただし、繰り返しますが、自分で索敵機を飛ばしてれば、
こんな混乱もなかったはずなんですけどね…。
ところがこの直後、五航戦の司令部は、突如、という感じで
先の報告電文の内容を覆し、TF17への攻撃を決意するのです。
その時間はおそらく、上の電信を発した直後、15時前後と思われます。
この変心の理由は、全くわかりません。
だったら上のような報告を全部隊相手に発信する前に、
少し考えようよ、と思ってしまいますが…
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