■南緯14度における五月の午後

では祥鳳撃沈前〜午後3時(現地時間)ごろ、
すなわち日本のMO機動部隊が索敵機を出撃させ、
この日最後の戦いが始まるまでの流れを見て行きますよ。
念のためもう一度繰り返しておきますが全て現地時間に換算してあります。

まずは北西海域から。
この朝最大の戦闘となったMO主隊とアメリカのTF17の動き、
そしてポートモレスビー攻略部隊の動きから入ってゆきます。

この中で最も説明が簡単なのは、一番北西に居たポートモレスビー攻略部隊でしょう。
この地図では黒い線で示されてるのが彼らです。

上陸部隊を載せた輸送艦と
護衛の駆逐艦隊(第六水雷戦隊)からなるこの艦隊は
空母機動部隊に対して完全無力でした。
よって最初に戦場から離脱をはかり、
その後の行動も比較的、単純明快となってます。



ただしポートモレスビー攻略部隊の主戦力だった
第六水雷戦隊の航路図にはほとんど時間の記入がなく、
さらに戦闘詳報には現在位置の記載が全くと言っていいほど無いため(涙)
この辺り、細かい動きは追えまえせぬ。
とりあえず大雑把に言ってしまえば、
ポートモレスビーがあるニューギニア島の南側に出るため、この朝から
ジョマード水道に向けて南下中で、少なくともその直前まで到達してました。

ところが9:00ごろから敵機機動部隊発見の報が入り始めました。
このため戦闘詳報によれば、9:20の段階で
“船団は一時北西方に離隔す”の命令が第六水雷戦隊司令部から出てます。
その直後にMO攻略部隊(第六“艦隊”)司令部からも、
同様の電信が入っており、この段階で、北に退避を開始したようです。
ただし最初、命令通りの北西でなく北に向かってるんですが、
その理由は例によって全くわかりませぬ。

ちなみにその航路のすぐ下、海の真ん中にジョマード水道(Jomard passage)
の文字が唐突に海に浮いてますが(笑)、この一帯はサンゴ礁が多く浅瀬だらけで、
この細い海域のみが大型船が通行可能な水道となってるのです。

その後、彼らはひたすら北西に逃げたわけですが、
14:40になって軽巡 夕張が旗艦を務める第六水雷戦隊が分離(航路図だと14:44)、
祥鳳無きMO主隊へ合流を目指し南東に向かいます。
その結果、護衛が全くなくなった輸送船団はそのままひたすら北へ、
すなわちラバウルの航空部隊の行動圏内への退避を目指して進みます。

これはこの日の夜、TF17に対して夜戦をしかける計画が一時立てられたからですが、
隠れる島もないこの海域で、レーダー装備のTF17相手に夜戦のケンカを売ってたら、
果たしてどうなっていたか、考えるだけで暗い気持ちになります…。
まあ、結局実行されずに終わるんですけども。

ちなみに、この段階でMO主隊に借り物の祥鳳はすでになく、
同じく借り物の漣もその生存者救助のため分離済み、
残ってるのは重巡4隻のみですから、
もはやただの第六戦隊に戻ってしまってますね、この艦隊。

お次は祥鳳を沈められてしまったMO主隊の動きを見ましょうか。
ここで再度地図を掲載しておきましょう。



地図ではオレンジの線がMO主隊です。
朝9:00前からの航路図を載せてますが、
右下で航路がゴチャゴチャになってるのが空襲を受けてた時間帯となります。

その後、自分で宣言した通り(笑)敵から遠ざかるのに不利な北東に離脱、
(地図で見ると一目でわかるが、TF17から逃げるなら北西に行くべき)
その後、14:15に祥鳳の生存者救助のために漣を分離するまで…どころか、
その後も全力で北東に逃げ続けてます。

敵航空部隊に対して連中は無力ですから、これが正しい、とも言えますが
一応、この人たちはポートモレスビー攻略部隊の護衛、
という任務があったはずなんですが…
ただしこの後、TF17への夜襲が決定され、
急遽南に向かって取って返すことになるんですけども。

でもって、MO主隊において謎が多いのが祥鳳沈没前後の行動だ、
というのは既に見ました。
さらにこの時間帯の航路図を見直すと、いろいろ怪しい部分が多く、
せっかくなので少し詳しく見て置きましょう。
戦闘詳報には全く出てこない、謎の行動が航路図では見て取れるのです。




航路図で見ると当初、艦隊は南東、すなわちTF17のいる方向へ果敢に進んでいます。
すでに敵機動部隊の位置を知ってた9:00の段階でこの針路、
というのは、明らかにアメリカ側のTF17と一戦交える気だったはずです。
ただし、この段階ではまだMO機動部隊の攻撃機が
自分たちが発見したTF17に向かってると思い込んでました。
兄ちゃん、やっちゃえ、オレも続くぜ、という状態ですね。

ところがこの後、針路を180度反転、
北西に向かってしまうのです。
これ、戦闘詳報の記述には全くない行動で、
航路図を見て初めて気が付きました。
時間の記録がないため、推測となりますが、
移動距離からして、9:00の時点から1時間前後、
9:40〜10:00前後の事と見られます。

となるとMO主隊がMO機動部隊の大チョンボに
気が付いたのは9:30でしたから、
実は我々は大ピンチであります、と気が付いた時間と、
この西への反転は、かなり近い時間帯であり、関連性があると見るべきでしょう。

どうもMO主隊はTF17に狙われてるのも、狙ってるのも
自分たちだけだ、兄ちゃんは来ない、と気が付いた段階で
速攻で退避を始めたのではないかと思われます。

この辺りの戦闘詳報を見る限り、来るなら来アメリカ軍、相手にとって不足なし、
といった勇ましい印象を受けるのですが、実際はどうもMO機動部隊の
大チョンボによって自らの危機に気がついた直後、
全力でTF17からの離脱を試みてた、と見るべきのようです。

が、何度も書いてるように、この日の風向きは東からですから、
この間、攻撃隊は絶対に発艦できません。
西方向への反転は祥鳳の艦載機を発艦させる気が無い事を意味します。

よって8:30に最初の攻撃準備命令を祥鳳に出した後、
少なくとも一度命令を取り消していたか、
この段階でもまだ準備させたままにしていた事になります。

つまり祥鳳の謎の1時間38分の内、途中の40分間近くは、
MO主隊(第六戦隊)司令部の判断で西に向かってしまったため、
そもそも攻撃部隊の発艦は不可能だった、という事になります。
これは祥鳳の不手際というより、軽いパニックになってしまった
MO主隊司令部の落ち度の可能性が高いでしょう。
まあ、突き詰めるとMO機動部隊の大チョンボが諸悪の根源なんですが…

結局、その後40分前後北西に向かった後、今度はまたも東に針路を向け、
その後アメリカ側の空襲を受けてます。
その再反転の時間は10時20〜30分前後と見られ、
これは衣笠の索敵機がアメリカ空母からの攻撃隊発進を知らせた直後です。

どうやらアカン、これは敵機から逃げきれぬ、と判断したMO主隊が、
急遽、祥鳳から迎撃の戦闘機を発艦させるため針路を東に向けたように見えますね。
(朝に発艦させた護衛機の回収の必要もあったはずだが)
この航路を読み取る限り、現場では
攻撃機の発艦準備、次いで発艦中止、最後は戦闘機の発艦準備となったはず。
この結果、ただでさえ実戦経験が無かった祥鳳は、、
大混乱の中、何もできず、そのまま敵の空襲を受ける事になった、
といった辺りが祥鳳の謎の1時間38分の正体のような気がしてきましてよ…。



戦闘詳報に左に舵を切って回避運動を開始した、とありますから、
東に反転後、ぐるりと一回、回ってるのが
最初の空襲を受けて回避行動をとったところでしょう。
その丸く輪になってる直前で、
最初の戦闘機の発艦を行ったと思われます。

が、この後、南西に向けてほぼ直線で移動した事になってます。
この間、USSレキシントン攻撃隊の空襲を受けてたはずで、
どう考えても、こんな直線移動を行ったとは思えません。
実際はもう少し複雑な動きをしていたと思われるんですが、
この辺りも謎と言えば謎ですね。

11:30の推定沈没地点のすぐ右隣りの回転は、
恐らく最後の戦闘機発艦時に東に向かうためのものでしょう。
この後、魚雷を艦尾に食らって直進運動しかできなくなり、
集中的に命中弾が出て沈んでしまうわけです。

そして、祥鳳沈没後は、これでも既に説明した通り、
残された艦隊は、東北方向へひたすら逃亡して行くことになるのです。


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