■悲劇は空からやって来る
さて、というわけで、アメリカ機動部隊TF17の攻撃隊が発進し、
祥鳳を含むMO主隊へと接近して来ます。
対して祥鳳からは迎撃戦闘機ですら3機しか出せてない状況でした。
もはや、その運命は決まった、と言わざるを得ないわけです。
ここで、とりあえずアメリカの攻撃部隊が祥鳳上空に至るまでの
戦いの流れを確認しておきましょう。
まずはアメリカ側の状況を、ご本人たちの手による資料で再度、見て置きます。
彼らの報告書の図によれば10:00〜11:30時前後の状況は下の図のような感じです。
(図中の時間はアメリカ側の作戦時間(ニューカレドニア時間)。
よって本記事で使用してる現地時間だとこの30分前になるのに注意)
右下のアメリカ空母機動部隊、TF17の航路を示す線から
左上の祥鳳沈没地点に伸びてる線が攻撃隊の針路を示します。
ただし先にも書いたように、この図はあくまで大筋の位置で、
アメリカ攻撃部隊は両空母から30分以上の時間差で分離発進した上、
途中で目標の位置が変わったため(例の錯誤による)、
実際はもう少し複雑な飛行経路になってます。
この段階で日本側は、主役のポートモレスビー攻略部隊が北西に離脱中、
祥鳳を中心としたMO主隊は果敢にも南東に居るTF17を迎え撃つため、
その方向に進撃中でした。
おそらく9時半前後には、両者の距離は空母航空決戦の必殺の間合い、
240海里(444.5q)を切っていたと思われます。
(アメリカ側の攻撃機の発進が日本の五航戦よりかなり遅いのは
どうもこの距離に両者が入るのを待っていた可能性がある。
当然、祥鳳の側も条件は同じだが、こちらは最後まで出撃すらできなかったので、
それ以外の要因を考えないと説明できない)
ちなみに攻撃隊が出撃してからMO主隊上空に到着、攻撃に至るまでの過程は
なぜかUSSヨークタウンの艦長の報告が一番詳しく、今回はこれを参照しました。
ついでに繰り返しますが、時間は現地時間に換算してます。
まず10:53の段階で陸軍機が発見した艦隊の位置へ目的地が変更され、
両艦の攻撃隊とも、そちらに向かう事になります。
ただしその地点は当初の目標からは50qと離れておらず、
航空機としては至近距離といっていいものでした。
実際、その直後の11:00には早くもミシマ島(上の地図参照)北東20海里(約37q)で
日本の艦隊を発見、攻撃態勢に入ってます。
この辺り、USSレキシントンの攻撃隊が提出した航跡図だと、
10:55に敵艦隊発見、攻撃態勢に入ったのが11:00と読み取れますので、
日本側艦隊の発見は、既に11:00前には成功していたと思われます。
となると10:53の目標変更指示は要らなかったんじゃ、という気も(笑)…
ちなみに祥鳳の戦闘詳報によると10時50分に敵機発見、となってますから、
両者はほぼ同時に相手を発見していた事になります。
アメリカ側の報告書では、空母×1 装甲巡洋艦(重巡)あるいは戦艦×1
装甲巡洋艦(重巡)×3 軽巡×1となってますが、
実際は既に書いたように祥鳳と重巡4隻(青葉、加古、古鷹、衣笠)、
そして駆逐艦 漣(さざなみ)でした。
すなわち重巡は同型艦4姉妹と言っていい連中だったのに、なぜか一隻だけが
より大きく見えた、という事になりますが、これがどの艦なのかはよく判らず。
軽巡は駆逐艦 漣の見間違いでしょう。
日米ともに軽巡と駆逐艦はよく間違われてます。
ちなみにUSSヨークタウン艦長の報告書では、正直に空母の艦名はわからない、
龍驤に似てたらしいが右舷に艦橋があった、と書かれてます。
…いや、祥鳳にも艦橋はないはずですが(笑)…
(艦首上部の甲板下に埋め込まれるように操舵室がある)
とりあえず祥鳳は開戦後に改造が終了して就役した艦ですから、
アメリカ側にも情報が無かったんでしょうか。
ちなみに軽巡の艦名も識別もできず、空母と同じく新型艦であろう、としてますが、
その正体は駆逐艦 漣(さざなみ)であり既に10年近くから現役ですから、
この辺りはアメリカ側の勉強不足のような…
で、前回見たように祥鳳は、この攻撃を受けてる間に最後の3機の戦闘機を
発艦させてるのですが、これもUSSヨークタウン攻撃隊に目撃されてます。
さらに10機以上の機体が甲板上に見えた、と書かれてるので、
やはり祥鳳は艦攻の発艦準備中に攻撃される事になったようです。
2時間近く、何をしてたんでしょうねえ、ホントに…。
さて、今度はこの攻撃開始までを日本側から見てゆきます。
こちらは10:08に敵空母(USSヨークタウン)から敵攻撃部隊発進の報を受けたため、
距離からして到達まで1時間以上(11:20分ごろ襲来)と予想してました。
が実際はUSSレキシントンが先に攻撃部隊を出していたため、
ずっと早く空襲を受ける事になるわけです。
索敵機からの敵攻撃部隊発進の報からわずか40分、
予想より30分も早く出現した敵攻撃隊に、おそらく艦隊は恐怖したでしょう。
これが攻撃力を維持した空母同士の史上初の対決であり、
よって両者とも初体験で何の情報も無かったのですが、
その結果は日本側には十分予想がついていたと思われます。
日本側はすでにイギリスの最新鋭(というかあの国で最強)の戦艦、
HMSプリンス オブ ウェールズを航空機で撃沈済み、
インド洋でもイギリスの軽空母から巡洋艦まで一通り撃沈、
水上艦に対する航空機の破壊力は、自らが一番よく知っていたはずだからです。
で、この時までにMO主隊司令部が祥鳳に
航空機の全力発進を命じてるものの、
最後までその攻撃隊が出撃できなかったのはすでに書きました。
その後の行動に関しては、空襲より30分前の
10:30に記録が集中してるのですが、
まず敵空母との接触を保つため、
青葉と加古から交代の索敵機が打ち出されました。
さらに同時刻、10:30に祥鳳では朝一で飛ばした戦闘機4機と艦攻1機を収容、
その直後に最初の護衛戦闘機3機を発進させています。
この後、再び祥鳳の活動は停止してしまうのです。
この時、MO主隊は以下のような隊形を取っていました。
各重巡の名前(位置)がはっきりしないのですが、密集隊形での航行で、
祥鳳を守るぞ、という意思が感じられる隊形にはなってます。
ただし間隔1500mは日本側の資料による距離だ、という注意書きが付きます。
アメリカ側の報告書だと、各艦の並びはほぼこの通りですが、
距離はそれぞれ4海里、約7.4qも離れてた、
よってその隙間の突破は容易だった、とされています。
実際、アメリカの攻撃部隊は、周囲の艦からほとんど攻撃を受けてませんし、
(USSヨークタウンの雷撃隊が重巡から攻撃を受けて針路を変えてるが)
後で見る攻撃を受けてる祥鳳の写真にも、周囲に護衛の艦が全く見えません。
7.4qは大げさな気がしますが、それでもアメリカ側の報告がの数字の方が、
実際の距離に近い気もしますね…。
ちなみに、MO機動部隊から、ゴメンさっき連絡した攻撃中のアレ、
実はただの給油艦だったヨ、というステキな電文が届いたのが
まさに戦闘開始のタイミングで(11:00)、
おそらくMO主隊(第六戦隊)司令部では、馬鹿どもが今更何言ってやがる、
と思いながら空を見上げていたと思われます…。
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