■アメリカ式索敵

さて、ではこの朝のアメリカ側の索敵を見て置きましょう。
こっちはこっちでまた怪しかったりしますからね。
先にも書いたように、この時期のアメリカで2隻以上の空母が組んだ場合、
日ごとに索敵の当番艦を決めておき、そちらから索敵機が出た後、
残りの一隻が全力出撃の準備をしておく、という段取りになってました。

この日の索敵当番はUSSヨークタウンで、ほぼ夜明けと同時、
6時19分の段階で10機の索敵部隊(VS)のSBDを発艦させてます。

ただし、この段階で、北西方向に日本の大艦隊が居る、
と既に知ってましたから、そちらに索敵の主軸を向けてしまったのは既に書きました。
まさか護衛するべき部隊をほったらかして、はるか数百qも南東に
MO機動部隊が居るなどとは夢にも思わなかったわけです(笑)。
しかも既にお互いが空母艦隊決戦における
必殺の間合いに入ってるなどとは、お釈迦様でもご存じあるまい、というか
それはお釈迦様に期待しすぎ、という感じでした。


■Image credits: Navy Photograph,
now in the collections of the U.S. National Archives.



これは訓練中の写真だと思いますが、珊瑚海直前の1942年(昭和17年)4月、
すでに同海域で活動していたUSSヨークタウンから出撃する
SBDドーントレスの索敵隊(VS)。
プロペラ回してまさに発艦しよう、という状態なのに、機体下に爆弾積んでないのは、
索敵隊(VS)としての発艦だからです。

索敵隊(VS)は単独で最初に発艦するため、甲板上も余裕があり、
アメリカ海軍では、このように一列に並べてどんどん発艦させる、
というやり方を取る事が多いようです。
後続機に与える気流の影響を考えると、少し左右にずらして
発艦させた方がいい気がするんですが、SBDあたりの発艦速度だと
それほど後方気流の影響がなかったのかもしれませぬ。

ついでに4月18日付のこの写真だと、
主翼下の国籍章(Roundel)、星の中に赤丸付の旧タイプなのにも注目。
日本機の日の丸と紛らわしいから、とういう理由で
この赤丸を消させたのは1942年5月6日付けの発令だったはず(陸海軍同時)。

となると、その1日後に始まった珊瑚海海戦の時、
両空母の艦載機は急いてこれを消したのか
そんなの構ってられるか、とそのままだったのか、結構謎だったります。
いろいろ見てはいるんですが、作戦中、
この辺りがはっきり確認できる写真が少なく、何とも言えない部分なのです。
少なくとも、ミッドウェイ海戦の段階では消えてたはずなんですが。

さらにマニアックな話をすると、よく見れば1番機と2番機の
主翼下の国籍章の大きさも違います。
この辺りは興味のある人は自分で調べてみてください(笑)。

さて、本題に戻りましょう(笑)。
まずは両者の位置関係を、自分で描くのが面…否、より正確な
アメリカ海軍の戦闘全体の報告書、
Battle of coral sea Combat Narratives
(直訳だと珊瑚海海戦物語だが記述報告といったニュアンス)
の付図から見て置きます。



右下の点線がアメリカの空母機動部隊、TF-17の動きで、
それぞれ書き込まれてる時間にその場所に居ました。
(ただしニューカレドニア時間であり、現地時間は表記より30分前)
そこから左上に伸びてるのが攻撃部隊の針路で、そのゴールが祥鳳の沈没点です。
その距離約410〜430q。

ただ、この図はあくまで大筋の流れを示したもので、
実際はUSSレキシントンとUSSヨークタウンでは発艦時間が30分近くずれてる上、
既に見たように、最初は誤った目標に向かってしまってます。
よって、こんなキレイな一本線で攻撃隊の針路を示せるはずはありませぬ(笑)。
まあ、あくまで参考という事で。
ついでに、この時は東風で、TF17は攻撃部隊の発艦開始とともに
東に回頭するんですが、そういった細かい部分も省かれてます。
この辺りは、また次回。

ちなみに北上するTF17と分かれて
西に向かってる波線が例のジョマード水道出口で待ち伏せする別動隊、
重巡と軽巡、そして駆逐艦からなるTG17.3の動きです。
こちらは図にあるように13:55分(現地時間なので-30分)、
ラバウルから飛んできた陸攻の攻撃を受け、損害は無かったものの
あわてて直角に南に転進、そのまま逃げ去る事になるわけです。

今回はこの地図から祥鳳の居たMO主隊とTF17の位置関係、
そして古鷹、衣笠の索敵機発進位置が、いかにTF17の鼻づらの前だったか、
という点を見て驚いておいてください。
(ただし古鷹、衣笠の索敵機発進位置は正確な位置の記録が見当たらず、
その位置は、やや推測となっています)

この位置関係ですから、アメリカ側の日本艦隊への接触もすぐに始まります。

■6:19
USSヨークタウンより索敵機10機発進

■7:35
装甲巡洋艦(CA) 2隻発見の報告
南緯10度40分、東経153度15分、針路310度(北西)、速度12ノット

■8:15 
敵空母(CV)2隻、装甲巡洋艦(CA)4隻発見の報告
南緯10度03分 東経152度27分 針路140度(南東) 速度18 - 20ノット

■時刻不明
94式水上偵察機2機を撃墜の報告
(MO主隊の索敵機ではない。デボイネの機体?)


7:35に接触した装甲巡洋艦2隻は重巡洋艦の事だと思いますが
(CAで装甲巡洋艦、CBで重巡、CCで戦闘巡洋艦、CLで軽巡洋艦)
2隻の巡洋艦だけとなると、これは索敵機を飛ばすため
本隊から離れて行動していた古鷹と衣笠でしょう。

時間的にも、位置的にもほぼ一致しますし、
日本側でも7:50に衣笠が敵に接触を受けてる、
と通報してますから、この点はほぼ間違いないと思います。
アメリカ空母機動部隊に最も接近していたこの部隊が
やはり最初に発見されてたわけです。

問題は例の大誤報、8:15分の艦隊で、先に書いたように
これは駆逐艦(DD)2隻、装甲巡洋艦(CA)2隻発見の間違いだと判明します。
10時30分に帰還した偵察機搭乗員が口頭で、
駆逐艦と巡洋艦発見、と報告したため判明したものでした。

電信では発見した艦種を2文字のモールス信号で示すのですが、
その記号表で空母(CV)と駆逐艦(DD)が並んで書かれていて、
狭い機内でこの表を見ながら打電した無線士が、
表を読み間違え駆逐艦のつもりでCVと打ってしまったと判明します。
大チョンボですね(笑)。

が、この時間帯にこの海域に居て、南東に向かっていた日本の艦隊は、
実はMO主隊しかありません。
しかもこの時間帯だと古鷹、衣笠がまだ合流前で、
ポートモレスビー攻略隊とも距離があり、
その構成は重巡2艦(青葉、加古)+祥鳳、駆逐艦 漣ですから、
ドンピシャ、4隻なんですよ。

この時、やや近くにポートモレスビー攻略部隊が居ましたが、
この船団は輸送船と駆逐艦を含めると10隻近い大船団で、
しかも南西に向かっていました。
見間違えるとはちょっと考えにくい気がします。

あとは例の水上機基地設営部隊、援護部隊の
巡洋艦なども居ましたが、場所はもっと西で(デボイネから離脱中)、
こちらは北西に向かってます。

なのでどうも翔鶴索敵機の逆、実は祥鳳を発見していながら、
巡洋艦か駆逐艦と見間違えただけでは?という気が…。

で、その大チョンボ判明の直前10時22分に、陸軍機から別の報告が入ってました。
ただしこれはTF17が受領した時間なので、
実際の発見は少なくとも10〜30分以上前のはず。
それでも、この段階では陸軍からの情報が入って来るようになってたようです。
(報告書では陸上機/shore based aircraftとしか書いてないが(笑)、
この地区に海軍基地はないから陸軍機だと思っていいはず。
ここらあたりを素直に書かないのは海軍の意地か)

これが大正解だったのですが、その報告内容は空母1、輸送艦10隻、
軍艦16隻発見で、やや数が多すぎるものの、
おそらく合同した状態にあったMO主隊とポートモレスビー攻略部隊でしょう。
(この直後に分離、ポートモレスビー攻略部隊だけ北西に離脱する)

その位置は南緯10度34分、東経152度26分、針路265度(西南西)であり、
最初の報告との差は40q足らずに過ぎません。
発見時の2時間近いの時間差を考えると
やはりこれは同じ艦隊を見つけてながら、空母を識別できなかった、という
日本軍 VS USSネオショーの逆のパターンのような気がします。
おそらく8割程度の確率で、この推測は当たってると思いますぜ。

で、最初の報告ですでに出撃していた攻撃隊は、
急遽、その40q先(航空部隊にとって至近距離と言っていい)の
祥鳳とMO主隊を襲撃する事になるわけですが、
その日本側の対応を次回見てゆきます。

はい、今回はここまで、


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