■USSシムスとUSSネオショーの戦い
さて、そんなアメリカ給油艦隊の戦いですが、攻撃側の日本としては
大チョンボなだけに、あまり熱心に記録しておらず
ここでもざっと、事実関係を並べるだけにしておきます。
アメリカ側の記録はUSSネオショーの生存者による報告書、
Engagement
of U.S.S. NEOSHO with Japanese Aircraft on May 7, 1942;
Subsequent Loss of
U.S.S. NEOSHO; Search for
Survivors.
および、数少ないUSSシムスの生存者の一人が提出した報告書、
Personal observations of SIMS
#409
disaster.
によります。
この攻撃は大失敗だった、と気が付いたMO機動部隊司令部から、
日本の艦爆部隊が帰還命令が届いたのが11時15分ごろ。
その受信後、帰りがけの駄賃とばかりに
艦爆部隊が両艦に襲い掛かったのは午前11時30分ごろでした。
この点は日米の記録共に記録は一致してます。
この辺り、個人的には爆弾はそこら辺りに捨てて、さっさと帰還してはどうかと
考えてしまうところですが、何か攻撃が必要な事情でもあったのかも知れませぬ。
…実は何も考えて無かった、に1000円までなら賭けてもいいと、
私は思ってますけどね(笑)。
ただし、先に見たように瑞鶴の艦爆部隊はUSSネオショーらを
最後まで自力で発見してないらしいので
翔鶴の艦爆部隊がこれを呼び寄せて攻撃に移ったと思われます。
これが現場の独断なのか、司令部からの指示なのか、
記録が見つからなかったので、よくわかりませぬ。
でもって97艦攻(雷撃)の部隊は先にも書いたように、
攻撃に参加してませんから、ここでは触れません。
ついでに瑞鶴のゼロ戦部隊が援護に残ったのは岩本徹三さんの手記で
ほぼ確かですが、翔鶴のゼロ戦部隊がどこに居たかはよくわからず。
■Image
credits: Official U.S. Navy Photograph,
now in the collections of the
National Archives.
Catalog #: 80-G-32908
この記事で何度も登場してる99艦爆ですが、
まともな現存機は存在しないので私は写真を撮っておらず、
頼みのアメリカ海軍歴史センターでも、こんな写真しかありませんでした…。
機体下の爆弾が見えてないので、爆撃後、離脱中の写真だと思われます。
とりあえず出しっぱなしの固定脚、
全開になってる主翼下の急降下ブレーキ(空気抵抗増加のための板)
などだけでも見て置いてください。
この時、攻撃に参加したのは翔鶴隊19機、瑞鶴隊17機、合計36機の99艦爆で、
全弾を消耗と記録されてますから、全機が爆撃を行ったと見ていいでしょう。
USSネオショーの記録によると11時31分に敵機24機が高高度を維持しながら
上空に現れて爆撃態勢を取り、11時48分までの17分間、
連続して急降下爆撃を加えたとなってます。
実際より機数が少ないのは、この時間帯には雲が多くなっており、
おそらく上空の全機体が見えてなかったからでしょう。
ちなみにUSSネオショーも軍艦ですから20o機関砲を
対空用に搭載しており、艦爆隊に反撃を加えました。
これによって多くの艦爆が安全な高高度で爆弾を投下、離脱してしまい、
十分な低高度まで降下してきたのは3、4機だったとされてます。
(これは当然で、日本側が臆病だったわけではない。
敵の空母との決戦が残ってる以上、給油艦相手に撃墜されるわけにはいかないのだ)
ちなみに撃墜3機以上確実、と報告してますが
当然、この手の報告によくあるように多すぎで(笑)、
実際日本側の損失は1機のみでした。
この時撃墜されたのは瑞鶴隊の機体で、25小隊の石塚、川添機です。
この時、彼らは被弾したままUSSネオショーに突入した、
と上空で見ていた岩本さんが書いてます。
実際、アメリカ側の記録でも、自爆機の突入よって第四機関砲座が失われた、
と記録されてるので、この点は間違いないと思われます。
ただし、爆弾投下後だったため、致命的な損傷にはつながりませんでした。
この攻撃では7発の命中弾、さらに99艦爆一機の自爆突入があったのですが、
最後までUSSネオショーは沈まなかったのです。
やはり250s爆弾だけで1万トンを超える大型艦を沈めるのは至難の業ですね。
よって日本側の戦果としては、油槽艦 1 大破、という事になります。
それでもこの攻撃でUSSネオショーの機関部はほぼ停止してしまい、
11日まで約4日間に渡って漂流する事になります。
最後は、これを発見した駆逐艦に乗組員は救助され、艦は処分されました。
ただし、もう一隻の方、駆逐艦USSシムスは攻撃開始から間もなく、
撃沈の憂き目にあってます。
USSシムスの生存者によると、やはりレーダーによって、
2時間近くに渡り、周囲を多くの航空機が飛び回ってるのに気が付いてたのだとか。
(先に書いたようにアメリカ機も居たはずだが)
そして11時25分ごろ、近づきつつある編隊を確認(レーダーによる?)、
友軍の識別信号にも反応がなかったため、
主砲である5インチ砲の砲撃を開始したとされます。
その後、報告書によると12時15分、
空襲の最終段階に近い時に魚雷発射管近くに直撃弾を受け、
これが駆逐艦の薄い装甲を貫いて後部機関室近くまで入って爆発しました。
おそらくこれで速力が落ち、その後さらに2発の直撃を食らったとされます。
装甲が薄い、駆逐艦ならではの悲劇でしょう。
この後、射撃可能な5インチ砲は、全5門の内、1番、2番砲のみとなり、
さらに射撃管制も失われたため、各砲が自分で見て撃つという状況になったようです。
が、結局、爆弾によるダメージは深刻で、総員退避が命じられ、
間もなくシムスは二つに折れて沈没した、とされます。
沈没時間の正確な記録が見当たらないのですが、状況からして12時30分ごろでしょう。
190人以上の乗組員が居たはずですが、生存者は15名前後に過ぎなかったと見られます。
でもって、アメリカ側も大チョンボをやっており、この攻撃をTF17に打電しながら、
最後まで敵の機種を報告しませんでした。
この日の午後には、例のTG17.3別動隊がラバウルの一式陸攻に襲撃されてますから、
この給油艦艦隊を襲ったのが日本の空母から飛びったった攻撃機なのか、
陸上基地から来たものなのか、フレッチャーは判断の材料が得られなかったのです。
これがアメリカ空母機動部隊の行動に影響を及ぼす事になります。
さて、この時の航空攻撃をまとめると以下の通り。
攻撃参加機数
99艦爆 36機
損失&損失率
99艦爆 1機 約2.7%
命中弾
USSネオショー 7発 USSシムス 3発
命中率(命中弾/出撃機数)
約27%
命中率27%、損失率は3%以下、というのは
空母攻撃部隊の攻撃としては上出来の部類です。
相手の対空砲火は貧弱、
何より護衛の戦闘機が居なかった、というのが大きかったと思われます。
ちなみに、連載の最初に見たように、ミッドウェイ海戦時の
両軍の艦爆の命中率(命中弾/出撃機数)は20%を大きく切ってますから、
やはり護衛戦闘機が居ない、というのは大きな要素なんですね。
実際、同時刻のはるか北西で、4隻の重巡洋艦と1隻の駆逐艦という
強力な艦隊に守られていたはずの祥鳳も、護衛機をまともに発進させらなかった結果、
アメリカの艦爆から、同じような命中率で痛打されてます。
ちなみに、MO機動部隊司令部から
南洋部隊(第四艦隊)司令長官あてに出された戦果報告では、
この両艦とも撃沈確実、とされてました。
が、実際に戦った各航空部隊は駆逐艦を撃沈、
油槽船は大破のみ、と正確に報告してます。
…少しでも失敗を取り返したかったMO機動部隊司令部が、
戦果をちょっと水増しした?
といった感じで、今回はここまで。
次回は、アメリカ側による攻撃と、祥鳳の最後を見てゆきます。
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