■最後にまとめ
さて、最後に珊瑚海海戦とその原因となったMO作戦について
少しだけまとめておきましょう。
この点を理解するために、最後にもう一度この地域の地図を。
まずMO作戦に関していえば、全く意味が無い作戦でした。
ポートモレスビーを占領したところで、
ここに陸路での兵站補給は無理ですから、海上補給が必須です。
それはオーストラリア本土からの攻撃機が届く距離を、
輸送船団が常に航行しなければならない事を意味します。
おそらく補給の続行は不可能でしょう。
となれば、その結末は後のガダルカナル島における
日本軍とほぼ変わらないものになってしまったはずです。
さらにポートモレスビー自体がオーストラリアの目と鼻の先であり、
これをこの地域の日本側の拠点、ラバウルの貧弱な施設だけで
支援し維持できるわけがありませぬ。
もし占領ができたとしても、すぐに奪回された可能性は否定できないでしょう。
また、ここを抑えればラバウル方面への攻撃は減るでしょうが、
結局、今度はポートモレスビー基地が敵の攻撃の矢面に立つだけの話です。
これを防ぐにはオーストラリア本土を攻略するしかなく、
そんな事できるくらいなら、ハワイにでも上陸した方がよほど意味があります。
要するに最初から最後まで、全く意味が無い作戦でした。
8日の戦闘後における五航戦の離脱、
そして作戦全体の中断は南洋部隊(第4艦隊)の司令官、
井上成美中将の独断ですが、これは彼が消極的というより、
もともとムチャなこんな作戦で、意味もなく兵を死なせたくない、
という判断だったのではないか、という気も個人的にはしてます。
井上さんはかなり頭は切れる上に、そういう面があった人ですからね。
馬鹿どもに付き合う位なら、自分が責任を負ってやめてしまえ、と。
この作戦に唯一の意味があったとすれば、
それはアメリカの空母機動部隊のおびき出しと、その殲滅のチャンスでした。
実際、アメリカ側はこの段階の全空母4隻をこの海域につぎ込み、
しかも2隻ずつの逐次投入という致命的な戦略ミスをやってます。
もし日本が、五航戦の2艦のみ、などという出し惜しみをせず、
ミッドウェイ作戦なんて言う無意味な作戦を撤回、
(ホントに戦略的にも戦術的にも全く無意味なのだ)
ここにインド洋に向けていた5空母(瑞鶴、翔鶴に赤城、飛龍、蒼龍)を
振り向けていれば、おそらくTF17の2空母は確実にこの段階で沈められたはずです。
さらに、その後から現場に到達する2空母も数の上で圧倒できますから、
連合艦隊の本来の目的であった、
アメリカ空母の殲滅は達成されていた可能性は高いのです。
(もっともそうなったらUSSエンタープライズ、USSホーネットは
珊瑚海に来ず撤収した可能性もあるが)
また、珊瑚海海戦に関して言うなら、五航戦は少なくとも3回、
一方的に敵を撃破できるチャンスに恵まれながら、
これを一度も生かせませんでした。
翔鶴の損傷は本来なら、起こるはずがなかったのです。
最初の失敗は、ラバウルへのゼロ戦輸送という、
戦略目標とは全く無関係の行動で意味もなく
時間を浪費してしまったのが原因ですが、
以後の2回は索敵の軽視が原因です。
特に索敵の軽視は目に余るものがありました。
作戦行動も人間の行動である以上、OODAループが適用できますが、
最初の最初、観察(observation)がまとに成立しないのでは、
ループをキチンと回す事なんてできませんから、話にならんのです。
そして驚くべきことに、これほどの失敗をやっていながら、
日本海軍はミッドウェイ海戦でも全く同じ索敵の軽視によって
致命的な敗北を喫する事になります。
いずれも常により早く敵を見つけ、より早く攻撃する、
という当たり前のことを心がけていれば防げたもので、その失敗の要因は
怠慢以外の何物でもありません。
戦争は運の要素が強い人間活動ですが、
今回の海戦を調べていて、結局、全力で努力した方に
運も味方する、という印象が個人的には強くなりました。
とにかくMO機動部隊、五航戦、ともに
その司令部の作戦指導はとても褒められたものでないのは確かです。
最後の最後で戦術的優勢勝ちを収める事が出来たのは、
現場の航空部隊の驚異的な戦闘力と、
アメリカ側の航空作戦のお粗末さに救われた事によります。
が、結局、戦略的には大敗北を喫する事になるのです。
ちなみに、アメリカ側の作戦も完璧からはほど遠いものでしたし、
こちらも索敵がかなりお粗末、というのは同じだったりします。
それでも彼らは常に全力を投ずる、という当たり前の事をキチンとやってました。
ただし、空母の航空戦力をバラバラに投入するという致命的な欠点を
これまたなぜか連中は全く反省せず、ミッドウェイでも全く同じ失敗をやってます。
それでもミッドウェイでは最後の最後で運も味方にして圧勝してしまうのですが、
この運はUSSヨークタウンを必死の修理で復活させた結果、
呼び寄せられたものでした。
やはり、全力で戦うものに運は味方する、という気はしますね。
という感じで、筆者の予測を大幅に上回る長編連載となってしまった
この珊瑚海海戦の記事は終わりとします。
最後に今回の記事を書くにあたっては、その資料のほとんどを
アジア歴史資料センター、昭和館図書室、
Naval
History and Heritage Command
の3か所でお世話になってます。
最後に感謝を述べてて終わりにしたいと思います。
参照資料に関しては、全て本文中に明記してますので、そちらを参照の事。
では、ひとまずこの連載はここまでとします。
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