■ミッドウェイへの道

最後に、海戦後のアメリカ側の動きを少しだけ見て置きましょう。
それらすべてが、次に来るミッドウェイ海戦への伏線となっていたからです。

誰も覚えてないと思いますが(涙)、この段階で太平洋で活動していた
アメリカ側の残り2隻の空母、ハルゼー率いるUSSエンタープライズとUSSホーネットは、
海戦が終わった8日の段階でも、まだ珊瑚海からだいぶ遠い位置から
戦場海域に向かっている途中でした。

ドゥーリトルの東京空襲から引き上げて来た2隻が、
ハワイの真珠湾で出撃命令を受けたのが4月29日でしたが
(ただし実際に出撃したのは翌30日らしい)
結局、この2隻が珊瑚海に到達したのは、8日の海戦終了から1週間もたった、
5月15日になってしまいました。

この段階ではすでに日本側はMO機動部隊を引き上げてしまってますから
結局、翌日の5月16日には太平洋方面の司令官、
ニミッツから真珠湾への帰還命令が出されます。

ところがこの何もしないで来て帰っただけのアメリカ空母機動部隊が、
日本側の戦略に予想外の影響を与える事になります。

■Image credit:Official U.S. Navy Photograph,
now in the collections of the National Archives. Catalog #:80-G-K-14254



アメリカ空母6号(CV-6)、終戦まで生き延びた幸運艦、USSエンタープライズ。
珊瑚海では出番がありませんでしたが、それ以降の1942年の空母の戦いでは常にアメリカ側の
主力となって参戦する事になるのがこの空母。

USSヨークタウン級三姉妹、USSヨークタウン(CV-5)、USSエンタープライズ(CV-6)、USSホーネット(CV-8)の
次女に当たるわけですが、彼女たちの中で1942年の熾烈な空母艦隊決戦を生き残ったのはこの艦だけでした。

珍しいカラー写真ですが、開戦前の1941年6月の撮影で、甲板がまだ迷彩塗装ではなく、
木板むき出しなのも見て置いてください。
さすがにこれでは目立つ、という事になり、開戦前にはブルー系の塗装がなされ、
上から見るとアスファルト道路のような色彩となってました。
ついでに、甲板上にひかれた白い点線、誘導線も2本しか見えてませんが、
戦争中は真ん中にもう一本加わって3本の白い点線となります。

さらについでながら、よく見ると艦橋の前後に人が集まってますから、
多分、艦載機の着艦待ち状態で、この写真はそのアプローチに入った機体からの撮影でしょう。




とりあえず2週間近い航海の後、USSエンタープライズとUSSホーネットは
5月15日にソロモン諸島から見て東側の島、サンタクルーズ諸島の沖合に到達しました。
ここは後に第二次ソロモン海戦における空母決戦の舞台となる海域ですが、
この段階ではそんな事、だれも知りませぬ。

でもって、アメリカ側は気が付いてませんでしたが、15日というのは、
実は日本側がRY作戦を発動させた直後であり、
ナウル、オーシャン島に向け、上陸部隊を送り込んでいた時だったのです。



全体の位置関係はこんな感じ。
アメリカ側の機動部隊はナウルの南、
サンタクルーズ諸島の北側を東から西方向に向けて航行中でした。

とりあえず、この段階までの日本側の動きを簡単に説明すると
まず13日の午後に今さらという感じで(涙)
瑞鶴がラバウル基地に補給のゼロ戦8機を送り込み、
さらにその搭乗員を回収するため、ラバウル北東の位置にありました。

その後、19:00に瑞鶴と第七駆逐艦隊はMO機動部隊を離脱、
南洋部隊の指揮を離れ、日本に向けて北上を開始します。
これを以て五航戦の作戦は終了となるわけです。

その後に残された重巡洋艦を中心とした空母無きMO機動部隊は
翌日14日に掛けて燃料の再補給を行います。
(日米ともに機動部隊/Task force は必ずしも空母部隊の事を意味しないのに注意)

そして翌15日朝、ブカ(にあるクインカロラ港)からナウルに向け
上陸部隊を載せた攻略部隊が出航、
補給が終わったMO機動部隊もこれを追走して護衛していたのですが、
はやくも10:15の段階でツラギから飛び立っていた97式大艇が
アメリカ側の2空母の機動部隊をサンタクルーズ諸島沖に発見し、
その位置を打電して来ました。

この時、アメリカ側はRY作戦について全く知らなかったはずですが、
日本側は、これをRY作戦に対抗するための部隊、
あるいはツラギへの空襲が目的の部隊では無いか、と判断します。

ナウルとサンタクルーズの間は1400q近くあるので、安全圏ではあるのですが、
もはや航空援護が全くない以上(ラバウルから届く距離ではない)、
南洋部隊司令部は作戦中断を決意、ナウルに向かっていた
各艦隊を呼び戻してしまい、この作戦もまた、中断の憂き目にあうのでした。
ただし、こちらはそれほど強力な敵が周囲に居るわけでは無いので、
アメリカ側の空母が居なくなった後、作戦は再開され、その占領に成功してます。

ただしアメリカ側にも翌日には帰還命令が出てしまい、
以後、日本側と接触せずに終わるのですが、
結果的に、そこに居た、というだけで
日本側の作戦を中断に追いこんでしまったわけです。
空母機動部隊、恐るべし、というところでしょうか。

さらに、この出現しただけのアメリカ空母機動部隊は意外な影響も引き起こします。
コント56号と愉快な仲間たち、
すなわち山本五十六司令長官と連合艦隊司令部が計画していた
6月上旬のミッドウェイ海戦まで約3週間という段階で、
アメリカ側の全稼働空母4隻が、その所在を知られた事になるからです。

日本側の情報だとUSSレキシントン(USSサラトガと思ってたけど)と
USSヨークタウンは既に撃沈済み(USSヨークタウンは誤認だけど)。
そしてUSSエンタープライズとUSSホーネットも15日の段階で
珊瑚海北東にて発見されたわけです。

珊瑚海から真珠湾に帰るには2週間近くかかる以上、
この2隻が珊瑚海周辺、あるいはその東のニューカレドニア周辺で活動予定なら、
6月上旬のミッドウェイ海戦に間に合わない、という事を意味します。
さらに日本側は修理中のUSSサラトガ(レキシントンと思ってたけど)も
既に1月の段階で沈めてると思い込んでるわけですから、
アメリカ側は空母をミッドウェイのある北太平洋で運用してない、という結論になります。

上の推測が正しいなら、アメリカ側で戦闘に参加できる空母は中型空母の
USSワスプとUSSレンジャーだけであり、これなら日本側の4空母の敵ではありませぬ。
さらに日本側はこの2隻がまだ太平洋に回航されてないことを知っていたようです。
(ちなみに瑞鶴、翔鶴は珊瑚海の結果にかかわらず
ミッドウェイ作戦計画に含まれてなかったと戦後、黒島参謀が証言している)

ところが実際はアメリカ側はとっくにミッドウェイ作戦の情報を掴んでおり、
このため、USSエンタープライズとUSSホーネットは
珊瑚海の隅っこに姿を見せた直後にニミッツに呼び戻されてUターン、
5月26日までには真珠湾に帰ってました。

さらに沈めたハズのUSSヨークタウンは250s爆弾が1発命中しただけの
せいぜい小破であり、これまた応急修理で戦線に復帰して来てしまいます。

この結果、そこに居ないはずのアメリカの正規空母は、
3隻がミッドウェイ海戦に姿を見せ、日本側の空母機動部隊を
完膚なきまでに粉砕する事になるのです。

この“もはや空母はいないはず”という間違った推測が
ミッドウェイ海戦にどういった影響を及ぼしたか、は
またいずれ機会があれば見て行きましょう。


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