■そしたら上司に怒られた
ちなみにこの段階でのMO機動部隊北上の名目は
安全圏に一度退避して戦力の整備を行い、
翌日以降の攻撃に備える、でした。
が、備えるったって機体も乗員も補給は無いわけですから、
どうする事もできないはずで、
実際、MO機動部隊司令部は、これ以上の作戦続行は考えてませんでした。
このため、この日の夜、20:00の段階で作戦参加の各部隊に対し、
翌9日になっても五航戦による航空戦力の追撃は不可能、という打電を行ってます。
この点はラバウルに居た南洋部隊司令部もほぼ同じ意見だったとみられます。
そもそも借り物である五航戦に無理強いはできない、と考えていた上、
アメリカにはまだ空母が居るのではないか、という根拠がよく判らない情報もあり
先に見たように15:45の段階でMO機動部隊に北上を命じてます。
となると祥鳳も既にない今となっては、ポートモレスビー上陸のための
MO攻略部隊、MO主隊ともに航空機からの援護が得られない事になったわけです。
アメリカ側の空母は全滅したと思われるものの(誤認だが)、
まだ1隻居る、という情報(誤報だが)もあり、さらにポートモレスビー周辺の
アメリカ陸軍航空基地にある100機を軽く超える
戦闘機と攻撃機、そして爆撃機は健在のままです。
これに対抗できるのは、もはやラバウルから飛ばせるゼロ戦だけですが、
MO作戦当初の例の五航戦からの空輸失敗もあり
ここの稼働機は10機前後まで減少しており、とてもあてにはできませんでした。
さらに先にも書いたように、デボイネからジョマード水道を経由する
珊瑚海周辺では航続距離からして、上空に長時間滞空し援護するなんてのは
そもそも無理な相談です。
となると航空援護の無い状態で攻略部隊を載せた艦隊を
上陸地点に突入させる事になりますから、
これはどう考えても現実的ではない、と判断されました。
この作戦全体を指揮する南洋部隊司令部は例のウェーク島上陸作戦で、
わずか数機のF4Fに散々な目にあわされた記憶があり、
上陸作戦における航空機の恐ろしさを最もよく知る人たちでもあったのです。
このため、南洋部隊司令部は、MO機動部隊への北上を命じた35分後、
16:20には続いて配下の全部隊にMO作戦の中断を命じ、
攻略部隊の輸送船団には北上してラバウルへ一時帰還する事、
さらにデボイネに設営された水上機基地には撤退開始の指令を与えてます。
それ以外の戦闘部隊には、MO作戦の後半に
同時進行で行われる事になっていた、
ナウル・オーシャン島攻略作戦、すなわちRY作戦への参加に備えて
待機するように指示がなされてます。
ちなみにRY作戦というのは、ソロモン諸島を挟んで
ポートモレスビーとは正反対に位置するナウル、オーシャンという
小さな島を占領してしまおう、という作戦です。
ちなみにポートモレスビーから見てナウルまでは2400q以上あり、
なんでまたこんな距離の離れた土地で同時並行作戦をやろうとしたのか、
どうもよくわかりませんが、今回の記事とこの作戦はほぼ無関係なので、
これ以上深入りはしませぬ。
この段階で、MO作戦、すなわちポートモレスビー攻略も中断となり、
次に予定されていたミッドウェイ攻略作戦後に再度挑戦、という事になりました。
これを以て、事実上(実際は違ったが後述)MO作戦は終了したことになります。
そもそも、この戦いの目的はポートモレスビー攻略ですから、
これが一時的といえ中止された段階で、日本側の戦略的敗北が決定します。
結局その後、ミッドウェイの惨敗を受けて日本海軍は事実上この作戦を無期延期とし、
そんなことをやってる間に、ガダルカナルにアメリカ側の上陸を受け、
以後は転がるように敗戦へと突き進むことになるわけです。
戦略的には完敗だったと言っていいでしょう。
最後にMO作戦を振り返るため、作戦地域全体+日本側の南洋の拠点、トラック諸島までの地図を再掲載。
ついでにこの地域における日本の最北端拠点だったガビエンから1600qの線を引いてみました。
これはほぼ札幌〜鹿児島に匹敵する距離ですから、
この作戦がどれだけ広域で行われたのか、なんとなく判ると思います。
ちなみにこの地図ではナウルまでしか載せてませんが、このさらに東にオーシャン島があります。
これらを攻略しよう、というのがRY作戦ですが、これも次回に見るような理由で一度中断されます。
(ただし最終的には占領を果たしてる)
余談ですが、21世紀のナウル島はバチカン市国についで、世界で二番目に小さい独立国家だそうな。
…と、ここまでで話が終わればよかったのですが(笑)、
実は最後の最後で思わぬ横やりが入ります。
太平洋戦線の海軍現場部隊における最高司令部、
日本本土在住の連合艦隊司令部から、
8日の夜になって、南洋部隊司令部に対し、作戦続行が命じられるのです。
ただし、よくわからん事にMO作戦全体の続行ではなく、
MO機動部隊とMO主隊による残敵掃討命令でした。
この8日 20:14にMO作戦を延期したい、と南洋部隊(第四艦隊)司令官
井上成美(しげよし)中将から連合艦隊司令部に対し、
意見具申が行われてました。
が、これを受け取った連合艦隊司令部の参謀たちは、
それを消極的であると判断、敵機動部隊の空母を撃沈したなら、
もはや脅威はないのだから、追撃して戦果を拡大させるべきだと言い始めます。
この結果、“この際極力残敵の殲滅に努むべし”
という極めて短い命令が、この日の夜中、
22:00(現地時間)に南洋部隊司令部に対して送りつけられる事になります。
これを受け取った南洋部隊司令部も驚いたはずで(笑)、
殲滅せよったって、すでに北上開始から7時間近く経っており、
敵機動部隊との距離は、とても追いつけるものではないのです。
今さら、そんなことを言われても、という感じでしょう。
そもそも、この連合艦隊の督戦命令もよくわかりませぬ。
理屈の上では間に合わないのは、小学生でも計算できたはずです。
さらにそもそも五航戦の仕事は、上陸部隊の援護、
そしてそのための敵機動部隊の脅威の排除だったはず。
たったら敵の深追いなんてせず、唯一健在と言っていい戦闘機部隊を抱えて、
そのままMO攻略部隊の護衛に付かせ、
この護衛を以てMO作戦の続行を命じるべきでしょう。
なんだって空母全てを失った(誤報だけど)敵機動部隊の殲滅を
やんなきゃならないのか、と考えた時、やはり連合艦隊司令部は、
自分たちが考え、次に決行が予定されていたミッドウェイ海戦しか頭になく、
MO作戦そのものは中止になろうが興味が無かったのではないか、
という気がしますね。
(実際、MO攻略部隊は何の反転命令も受けず、
そのままラバウルにまで帰還してしまった)
でもって、当然、航空部隊ですら攻撃圏の外にでてる状況で、
あわてて反転したことろで、戦域から脱出済みの
TF17に追いつけるわけがなく、この命令は、
意味もなく現場の混乱を呼んだだけで終わります。
そして南洋部隊司令部も、MO機動部隊司令部も、
当然、そんな事しても無駄とわかってますから、
翌9日はほぼ丸一日、艦隊の燃料補給に費やしており、
特にあわてて追いかけた様子はありません(笑)。
そして10日朝から250海里行程の索敵機を飛ばしたものの、
当然、なんら得るものは無く、この段階になって
ようやく頭が冷えて来た連合艦隊司令部が、
同日15:30(現地時間)に、7月ごろまでの作戦延期を発令、
これにて、やっと正式にMO作戦は終了する事になるのです。
馬鹿だねえ。
ちなみに、8日の段階で撤収命令が出てたデボイネの水上機基地も、
再度、この10日の段階まで活動を続けていたのですが、
これを以て撤収に入りました。
はい、とりあえず、今回はここまで。
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