■第八章 F-16への道


■NASAのなさった事

こうして1968年9月に示されたF-Xの要求仕様へ各社が応募、その中から1968年12月に採用されたのが、 ゼネラル・ダイナミクス、マクダネル・ダグラス、フェアチャイルド・リパブリック、ノースアメリカン・ロックウェルの4社の設計案でした。以後はこの4社での競争設計となって行きます。

そしてF-14に続き、F-15においても国防省はNASAに協力を要請、今回は実際の要求仕様書を渡してNASAにそのデザイン案を造らせます。これはマクナマラ前国防長官が国防省の技術開発部門責任者に抜擢していた物理学者ジョン・フォスター(John S. Foster, Jr.)の発案によるもので、NASAの持つ技術力を軍用機メーカーに波及させ、同時に最新技術の投入で開発の迷走を抑える事を狙っています。
なので1968年9月の要求仕様がNASAにも渡され、それに基づきラングレー研究所が制作した設計案が各社に提示されました。これを基に各社が機体設計を行う事になったのです。


■NASAラングレー研究所によるF-X設計案。NASA History Division 制作 Patners in Freedom 2000年刊より


とりあえずNASAが空軍に提案した機体案はこの4つとされますが、LFAX-4は既に見たF-14の原型となった可変翼機で、当然、却下されました。またLFAX-10はソ連のミグ25の性能を推測するためにその形状を模したもので、これは純粋に研究用のものだと思われます。よって、基本的にはLFAX-8と9の二案がF-X向けの設計提案となったようです。

ちなみにLFAX というのはLangley Fighter/Attack Experimental、ラングレー戦闘攻撃試作機 の略。空軍が制空権を取るための純粋な戦闘機だと言ってるのに、攻撃機の文字が入ってるのはラングレーの理解力不足によるものです。そもそも艦隊護衛用ミサイル戦闘機として開発されたF-14にもこの名前が使われてますしね。
ついでにLFAX-5から7までが欠番になってますが、これがどういったものだったのかはよく判りませぬ。

とりあえず競争試作に参加したメーカーの中で、もっともNASAの設計案の吸収に熱心だったのがマクダネル・ダグラス社で、彼らはLFAX-8に強い興味を示し、ほぼこれを全面的に受け入れてその設計を行いました。
そして1969年12月、そのマクダネル・ダグラス社案が競争試作に勝利した、と国防省から発表されるのです。


■Photo NASA

マクダネル・ダグラス社案。ほぼNASAのLFAX-8に準拠した設計なのが見て取れます。ただしよく見ると機首前部まで張り出してる空気取り入れ口など、後のF-15とは異なる部分がいくつか目につきますが、この辺りはNASAとの共同研究で、後に修正されてゆく部分です。ちなみに写真は競作に勝利した後、1970年6月から始まった風洞試験に使用された模型。


■Photo NASA

その後、1970年12月から行われた風洞試験で使われたMODEL-3と呼ばれる形状の模型。約1/21.28という変なスケールなのは高速風洞の最高風速に対してレイノルズ数を揃える関係でしょうかね。この頃になると、ほぼ実機に近い形状になってます。ただし水平尾翼が普通の形状で、切り欠きのある犬歯翼(Dogtooth wing )ではない、主翼の翼端部が普通に真っすぐ、といった細かい違いがありますが、この辺りは後の実機の飛行試験で不具合が発見されて修正されたたものです。

ちなみにF-14でも採用された上側に天井がある四角い空気取入れ口は、大きな迎え角を取った時に空気が入りにくくなる問題、最もエンジンパワーが必要な離陸、あるいは戦闘旋回時に空気が足りなくなる問題を解決するための対策です。



上の図のように機体が進行方向に対し上を向いたら、普通は空気の流量が減ります。その対策として、天井部分に空気の流れがぶつかるようにして、エンジン内まで導くものです。同時に音速超えの飛行時にはここで第二弾衝撃波を発生させ、その背後に生じる高圧、高温部をエンジン内に効率よく取り込むことを狙ってます。よくできた設計でしょう。



この辺りの構造はミグ25も全く同じで(ただしF-15は可変式で開口部の大きさを速度に応じて変えられるが)、これをミグ25の設計のパクり、とする資料がありますが誤りです。この設計の元祖は高速機の創造神、ノースアメリカン社が海軍向けに独自に開発したA-5がルーツで(1958年初飛行)、ミグ25もNASAもこれを参考にしたと考えるべきでしょう。


■Photo NASA

ノースアメリカンA-5ヴィジランテ。超音速核爆撃機であり、偵察機でもあった機体ですが、解説をすると連載一回分くらいは軽く潰れるので、今回は詳しくは触れません(手抜き)。1958年に初飛行、他の高速機の10年先を行っていた機体で、高速バカ一代、ノースアメリカンの技術の結晶の一つでしょう。ご覧のように機体の両脇に、斜めに切られた四角い空気取り入れ口を付ける、というアイデアはこの機体を元祖とします。写真はNASAが1963年に研究用に導入した機体で、この機体から多くの事を学んだようです。

ちなみに敗者の中で最もNASAの研究取り入れに熱心だったのがフェアチャイルド・リパブリック社で、こちらはLFAX-9に影響を受けた主翼の半ばにエンジンを置く一枚尾翼の設計に向いました


■Photo NASA

フェアチャイルド・リパブリック案のF-15。
1969年5月からNASAのラングレー研究所の風洞試験に持ち込まれた模型です。NASAのLFAX-9案に影響を受けながらも、かなり独自色の強い設計になってます。ジェットのノズルがピカピカなのは、この部分の形状で空気抵抗が変るので、いろんな形状のものに取り換えられる別パーツになっていたからのようです。
主翼と胴体が一体化しエンジンはその外延部に付き、さらにその外側に小さな主翼がある、という他にあまり見たことが無い形状で、日本のロボットアニメとかに出て来そうな雰囲気でもあります。



前から見るとこんな感じ。変形合体とかしそうで意外にカッコいいんですよ。

残りのノースアメリカン・ロックウェル案はNASANの提案をほぼ無視して(笑)胴体下に空気取り入れ口を置いた、後のミグ29によく似た設計となっていました(ただしこれも垂直尾翼は一枚)。こちらはなぜか実物大模型まで造っちゃったんですが、残念ながら不採用に。ちなみにこれ、どうも海軍のVFX案でボツになった機体をほぼそのまま流用した、という説もあるんですが確認できず。
よく判らないのがゼネラル・ダイナミクス案で、私は未だにこのデザインを見たことがありません。風洞用模型を作る前に撤退説もあるんですが、これも未確認。
とりあえず一番素直にNASAの言うことを聞いたマクダネル・ダグラスが勝った、という感じですね、この辺り。

その後、1970年2月27日にマクダネル・ダグラスと空軍が正式に契約を交わし、2年半後1972年8月には初飛行に成功、いよいよF-15が誕生することになるのでした。ただし、その頃にはボイドと愉快な仲間たちは、既に全く別の戦いを始めていたのです。それが後にF-16として結実する事になるのですが、この辺りは次回以降で。



後にデビューするF-16やF/A-18に比べると、フライ バイ ワイアではない、LERXが無い、といった部分でやや旧式なF-15でしたが、空力的な洗練度においては今でも一線級の実力を持つのはNASAの協力による部分が大きいです。この点、ボイドと並んで、NASAがこの機体を傑作機にした大きな原動力になったと思っていいでしょう。

■F-14 VS F-15

最後にちょっと脱線。
1977年、配備から1年半しか経ってないアメリカ空軍の最新鋭機F-15と、すでに配備から3年経っていたF-14が非公式に編隊VS編隊の模擬空戦を行った事がありました。これは空軍の実戦を想定した大規模演習、1977年のレッド フラッグに海軍の飛行隊VF-1が招かれ実現したもので、当時のVF-1司令官が非公式に空軍側の司令官に話を持ち掛けて実現したとされてます。おそらくF-14とF-15が実戦規模の真剣勝負を行った唯一の例がこの空戦演習でしょう。

この件は航空雑誌 Flight international の1977年11月26日号でF-14が空戦で勝利という見出しですっぱ抜かれたものの、長年、本当にそれが行われたのかすら謎のままでした。が、後にVF-1側のF-14パイロットだったJohn Chesire氏がこの件についてネット上で手記を公表、これでこの空戦の詳細が判明します。
彼の回想によると、海軍のF-14のパイロットはF-15の性能(恐らく空軍得意のニセ情報では無くキチンとしたもの)を見て、これが全面的にF-14を上回る性能を持ってる事に驚き(F-15 was quite superior to our F-14As in a majority of areas)演習前にその飛行特性、弱点と思われる部分、そして空軍側の空戦戦術を徹底的に研究して演習に臨んだとのだとか。この結果、模擬空戦において、性能で勝るF-15に勝利したと判断していい結果を残し、空軍側のパイロットもこれを認めたとしています。

ちなみにChesire氏は模擬空戦中に少なくとも2回、F-15を射程内に捕らえたが命中判定装置が無かったため、果たして撃墜していたかは判らない、しています。ついでに模擬空戦中に彼のF-14のエンジンが停止(flamed out)してしまうトラブルに見舞われ、最後はまともに戦えなかったとも書いており、配備から3年経ってもF-14はエンジンに問題を抱えていた事がうかがえます。
なので要約すると

■1977年のレッド フラッグ演習では海軍のVF-1所属F-14と、空軍のF-15の模擬空戦が非公式に行われた。

■海軍のF-14パイロットたちは性能的に自分たちの機体が劣る事を知って徹底的にF-15対策を練りこれに臨んだ。

■この結果、詳細は不明ながら空戦はF-14側の勝利に終わったと判断された。


という事になります。要するに、海軍側のパイロットはF-14がF-15に劣る事を知っていたので十分な対策を持って演習に乗り込み、これに勝利した、という事です。すなわち、

■機体性能の優劣でF-14が勝利したわけでは無い、むしろ性能が劣っている事をF-14のパイロットは自覚していていた。

■このため、徹底的なF-15対策を取って演習に臨み、これに勝利した。


この辺り、ある程度までなら性能が劣る機体でも訓練を受けた優れたパイロットが乗り込み、十分な対策を持っていれば勝てる、という事でもありますね。

ちなみにこの件を報じたFlight international の1977年11月26日号だけを(笑)元に、ロクに取材もしてないと思われる記事が同年の朝日新聞の一面トップを飾ります。(航空自衛隊が採用予定の)-15、F-14に「惨敗」という煽動的な見出しで掲載され、一時的に問題となるのですが、事実は上の通りなのでした。F-14が勝利した、と判定されましたが、惨敗、なんて表現は当のF-14のパイロットもFlight internationalも使ってません。今も昔も日本の新聞報道は十分に裏を取らないと基本的には信じがたいのですよ。

といった感じで今回はここまで。


BACK