■F-15の基本性能要求をまとめるために そんな感じでボイドが乱入したF-X計画、後のF-15の開発で、その要求される機体性能の策定が始まりました。 ボイドが考えていたF-Xはとにかく小型軽量で強力なエンジンを搭載した機体、というものでしたが、当時の空軍では大型戦闘機こそがこれからの戦闘機だ、という風潮がありました。実際、海軍から押し付けられたF-4ファントムII、そしてその次のF-111とボイドに言わせるととにかく重過ぎる機体が次々と空軍に採用されており、誰もF-86Fの軽さを思い出すことは無かったわけです(F-104は忘れましょう。あれはケリー・ジョンソンの一発ギャグだ)。 その結果、あれもこれも取り付けたいとする開発チームと、重量増加を理由にこれを拒否するボイドの間で熾烈な戦いが繰り広げられます。例えば、海軍の戦闘機のように乗降用の引き出し式ステップをコクピットの下に装備する、という要求をボイドは拒否、同様に点検作業用のステップをつけるのも拒否し、ここら辺りでも大論争になっています。空軍機は基地から運用されるのだから、そんなものハシゴを使え、とするボイドが最終的に勝つのですが、たったこれだけの事にもかなりの長い議論があったようです。 ちなみに当初、ボイドが計画に乱入した段階では機体の離陸重量(Loaded weight)の目標は62500ポンド(約28.4t)でした。F-111よりは3割がた軽くなってるものの、ボイドに言わせれば問題外、という数字でした。彼の要求は35000ポンド(約16t)以下で、もめにもめた結果、最終的に40000ポンド(約18t)を目標値とする、とされる事になります。ただしその後も重量はジワジワと増え続け、結局42500ポンド(約19.3t)となってしまっていました。この段階で、ボイドもスプレイも、F-Xを彼らの理想とする軽量戦闘機に仕上げるのは無理だと悟り、ここら辺りの無念さが、後の軽量戦闘機YF-16とF/YF-17の開発に繋がって行くのです。 そしてボイドが参加した後、1966年の年末以降に以下の3つの大きな事件があり、これがF-Xの性能要求を決定するにあったって重要な要因になって行きます。 ●ベトナム戦争におけるミグ相手の実戦データが集まって来た。さらに1967年の夏にはイスラエルのミラージュIIIによる6日間戦争の対ミグ戦闘機のデータも手に入った ●1967年夏にソ連の新型戦闘機ミグ 25の試作型が公開された。 ●F-111の受け取りを拒否した海軍が秘密裏に開発を進めていたVFX計画(後のF-14)を1968年の夏に公表、開発が先行しているこの機体の採用を議会を通じ空軍に迫った 機体重量に次ぐ争点となったのが、機関砲の装備でした。当時、長距離レーダー誘導のスパローミサイルの配備が本格的に進みつつあり、近距離用のサイドワインダーと合わせ空軍は機関砲はもう要らないと考え始めていました。よって当初はその搭載を止めようとしたのです。が、この機関砲不要論は、ネリスの教官時代に、サイドワインダーミサイルの使い難さを痛感していたボイドが徹底的に反対、これも大論争に発展して行きます。 そしてベトナムでのスパローとサイドワインダーの実戦データがもたらされはじめると、事態はボイドに有利に展開します。当時のミサイルは、性能も信頼性もまだまだイマイチで、とにかく命中せず、極めて不安定な事が判明して来たからです。 ちなみにネリス基地で戦闘機兵装訓練学校(FWS)時代の教え子の多くが、ベトナムに参戦しており、彼らからの情報の影響も少なくなかったようです。ちなみに、ボイドの教え子である複数のパイロットがボイドの教本、そしてエネルギー機動性理論が実際の空戦で有用だったと証言しています。 さらに1967年の6月に起こった6日戦争でアラブ連合相手に圧勝したイスラエル空軍の戦果がほとんど機関砲によるものだと判明し、この論争に完全な決着がつく事になりました。 ちなみにベトナムと同時期に戦われ、同じようなソ連機を相手に戦ったイスラエル空軍(IAF)のミラージュIIIは、実に6:1近いキルレシオを達成したとされます。1機の損失に対しミグ戦闘機6機敵を撃墜したというわけです。ただし、あくまでイスラエル空軍の発表ですから実際はせいぜいその半分以下だと思いますが、それでも圧倒的な数字です。これはベトナムでミグ相手に苦戦していたアメリカ空軍には驚くべき戦果であり、ミラージュIIIの小型軽量さと機関砲の有効性が再認識される事になったのです。 フランスが生んだ傑作軽量戦闘機、無尾翼デルタ主翼のダッソー ミラージュIII。アメリカがベトナムであれだけ苦労したミグ戦闘機相手に見事な戦果を挙げており、これがボイドとF-15以降の戦闘機になんらかの影響を与えたのは間違いないでしょう。 そしてベトナムの戦訓と、視界を重視するボイドの意見によって採用されたのではないかと思われるのが、F-X、後のF-15におけるコクピット周りの設計です。これは従来の戦闘機と異なり、かなり高い位置に置かれた視界の良い全周視界の水滴型キャノピーを搭載しています。 ボイドは自分が最初に乗ったジェット戦闘機、F-86の全周視界型の天蓋(キャノピー)を高く評価していました。 第二次大戦においては必須となった広い視界を確保する条件を実現したものでしたが、F-100以降のアメリカ空軍の機体は空気抵抗は小さくなるものの視界が悪化するファストバック型、キャノピー後部が胴体に直結してしまってるタイプのコクピットが主流となってました。 これはベトナムにおいて、どこから飛んで来るか判らない地対空ミサイルの発見が困難になる、という致命的な欠点となり、その対策がこの全周視界型の操縦席の採用だったとされます。当然、空力的には不利で、この後ろに生じる渦(乱流)によって数十q/h前後、速度が落ちるはずですが、そんな事よりパイロットの視界を優先する、近代ジェット機による空中戦は数十q/h程度の速度差では決まらん、という判断だったわけです。 ちなみに海軍もこの辺りの事情は同じで、F-8クルセイダーは優れた戦闘機でしたが後方視界は無いに等しく、F-4ファントムIIも一見すると視界がありそうですが、実はパイロットからだと後ろはあまり見えません。同じくF-14も複座なためパイロットはあまり後方がよく見えないらしく、この辺りが改善されたのは、ボイドか開発に絡んだYF-17を土台にしたF/A-18からとなります。 |