■F-22への道 さて、ここからはようやく連載のタイトル通り(笑)F-22の機体を見て行きます。 そうは言ってもF-22は、未だによくわからない部分が非常に多い機体です。機密解除なんてまだ全然されてませんから、判らない部分はどうしても推測になります。この点はご了承のほどを。 ■1981年からの迷走 とりあえず1981年11月ごろにF-15の後継機開発を空軍が決定、これを受けて先進戦術戦闘機(Advanced Tactical Fighter/ATF)計画の予備研究がスタートしました。これが全ての始まりです。YF-22の初飛行が1990年、先行量産型のF-22の初飛行が1997年、正式運用開始が2005年ですから計画始動から試作機の飛行まで9年、量産型の飛行まで15年、部隊配備に至っては24年かかったわけで、これはF-35よりもわずかに長く、アメリカのそして当然世界最長の開発期間記録だと思われます。 ちなみに部隊配備までかかった24年がどれだけ長い時間か、というと第二次大戦終戦の1945年から24年間、1969年までにアメリカ空軍が採用した主な戦闘機だけでも、F-84、F-86、F-89、F-94、そしてセンチュリーシリーズの6機、F-4ファントムII、そしてF-111と、軽く10機種を超えるのです。この間、ずっと次期主力戦闘機は開発中だったとしたら、アメリカはF-80だけで朝鮮戦争とベトナム戦争を戦い抜く羽目になったわけです。無茶苦茶な時間と思っていいでしょう。もしF-15とF-16があれだけの性能を持っていなければ、目も当てられないくらい悲惨な事になっていたはずです。 もっともこの辺りはいろいろ不運な面もありました。 試作機のYF-22が初飛行し、ATF計画の勝者となった直後に冷戦が終結、ソ連が崩壊してしまい、本来予定していたソ連本土の地対空ミサイル(SAM)防衛網突破のための能力、ステルスとスーパークルーズ(アフターバーナー無しの超音速飛行)の意味がなくなってしまい、それでいてこの二つの能力のために極めて高価な機体になってしまったのでした。 そこから仕様変更も併せて迷走に迷走を重ねた結果、ただでさえ高価だった機体がさらに高価になってしまい、当初の調達予定の750機から実に1/3以下の192機だけの生産で終わってしまいます(プラス先行量産型の3機があるが最初の2機(ブロック1)は地上での整備訓練機に利用、3号機(ブロック2)は空軍博物館で展示され、実戦配備されていない)。 ■計画の開始 さて1981年に空軍内で研究が開始された段階で新しい戦闘機に求められるたのは以下のような性能だったとされます。ただしこの辺りもまだ正式に情報公開されてない面が多く、私もこの辺りの書類の現物はまだ見たことが無いです。よって、以下はアメリカの出版物やWebサイトからの孫引き引用となります。 この点はご了承のほどを。 1.一定時間を超える超音速飛行能力(アフターバーナー無しの超音速巡行飛行) 2.レーダーに探知されない能力(ステルス技術) 3.短距離離着陸能力(STOL能力) 4.最先端の航空電子装置(Avionics)の採用 これらはあくまで研究段階の提言で、要求仕様ではありませんが各メーカーに内容は伝えられてました。 ここで機体の機動能力が全く求められていない点に注意してください。とりあえず、ボイドとスプレイが空軍去った後、早くも空軍における戦闘機に期待する性能の変化が始まっていた、というところでしょうか。とりあえず各要求を少し詳しく見て行きましょう。 1番はアフターバーナー無しのスーパークルーズ(Supercruise)、超音速巡航能力の要求です。地対空ミサイル(SAM)の攻撃から逃げ切るのに重要な超音速飛行を長時間可能にせよ、という要求と考えていいでしょう。冷戦中ですから、ソ連本土の対空ミサイル地帯を強行突破する能力として要求されたものです。 F-15以前の戦闘機でも超音速は出せますが巨大なエンジンパワーが必要で、このためアフターバーナーの使用が絶対条件でした。アフターバーナーは膨大な燃料の消費を伴いますから、通常、数分間使っただけでも燃料は激減します。 なので超音速飛行は最後の手段、戦闘中に1〜2回しか使えない必殺技みたいなものでした。当然マッハ数が上がれば上がるほど、その燃料消費は大きくなりマッハ2を超えるとほとんど実用性は無いというほどの燃料消費を伴ったのです(消防用ホースでまき散らすかのように燃料が減って行く、と元F-15のパイロットの方が証言してました)。 ところが地対空ミサイルの発達が機体の超音速飛行の重要性を上げてきます。レーダーで誘導されるミサイルは、普通に飛んでいたのでは確実に撃墜されてしまう恐るべき兵器でした。 パイロットの養成に膨大な時間がかかり、極めて高価な戦闘機が1/100以下のコストで生産される誘導ミサイルに次々と撃ち落されたのではたまったもんじゃありません。そのために考えられた対策の一つが超音速飛行でした。よほど発見が遅れない限り、高速、高高度で離脱すれば地上から上がってくるミサイルは振り切ってしまえたからです。 レーダー誘導の地対空誘導ミサイルは通常2段ロケットとなっており、1段目ロケットで高高度までほぼまっすぐ上昇、その後、これを切り離してから2段目のミサイル本体が追尾飛行を始めます。この2段目の追尾飛行に入られるとミサイルの方が高速ですから逃げ切るのは難しく、このため1段目ロケット(ブースター)で上昇中に超音速を利用して追尾圏外まで一気に逃げ切ってしまう必要があるのです。 この時、従来のアフターバーナーで超音速を出していたのではソ連本土の防空ミサイル網の途中で燃料切れ墜落となってしまいますから、アフターバーナー無しでの超音速飛行、燃料をそれほどバカ食いしないでできる超音速による巡行能力が要求されたのでした。この技術にはエンジンの高出力化と同時に機体の超音速飛行時の空力的な洗練、両者が必須となります。 ベトナム戦争でアメリカ軍に、中東戦争でイスラエル空軍に莫大な損失を与えたソ連製のレーダー誘導地対空ミサイル(SAM)。写真はベトナム世代のS-75(NATO呼称SA-2)。お尻の巨大なフィンが付いてる部分が高度を稼ぐための一段目のロケットブースターで、これは一定高度まで上昇すると切り離されます。 こういった地対空ミサイル(SAM)がズラリと並んでいるソ連本土の防空網を突破する事はほとんど不可能と考えられていたため、その対策がF-15&F-16以降の世代の機体に求められたのです。 2番目の.レーダーに探知されない能力、すなわちステルス性能もまた地対空ミサイル(SAM)対策として要求されたものでした。超音速飛行が高速で振り切ってしまう対策だったのに対し、ステルスは敵の射撃管制レーダーに映らなければロックオンすらできない、という発想に基づいた対策でした。 既に1979年にロッキードのステルス実験機、ハブ・ブルーがミサイル部隊に対するレーダーテストに成功していたため、この要求が取り入れられたのだと思われます。ただしこの段階ではLow observable technology すなわち低観測性技術という迷彩塗装の研究のような呼称でした。 当然、この段階でのステルス能力は地上からのレーダー対策が主で、空対空戦闘による敵機のレーダーなんてほとんど考えてません。この点は注意してください。 3番目の短距離離着陸能力すなわちSTOL能力ですが、これはどうもあまり真剣に検討された様子がなく、F-22でも実現されてるようには見えません。なので、ここでは特に検討しないでおきましょう。 最後、4番目の最新航空電子技術の導入もフライ・バイ・ワイアやレーダーシステムの正常進化であり、そもそも機密性が高くてよく判らない部分が多いので、ここではコメントしないで置きます。 とりあえずこれが最初の最初、新型戦闘機開発の叩き台とされた要求でした。 ここでF-15&F-16以降の新世代戦闘機に求められた最大の能力は、地対空ミサイル(SAM)陣地対策だった事に注意してください。電子ネットワークだとか情報戦だとかはこの段階ではほとんど考えられて無いのです。そして同時に、空戦能力もほとんど考慮されて無いのでした。とにかくアメリカ空軍は地対空ミサイル(SAM)が怖くて仕方なかったのだ、という事です。 ■1982年の要請 そして1982年に空軍は7つのメーカーに100万ドルずつ(もう少し多かった説あり)の予算を与えて新型戦闘機の設計案を提出するように依頼します(ノースロップ、ロッキード、マクダネル・ダグラス、ボーイング、グラマン、ジェネラルダイナミクス、ロックウェルの7社)ここら辺りはF-16の時の段取りと似てます。 これに伴い1982年の10月ごろに具体的な数字を伴った要求が示されました(1981年に既に決まっていたという説もあり)。ただしこれはまだ正式な要求仕様書(Request for proposals/RFP)ではなく、その前段階、情報仕様書(Request for information (RFI))に基づくもので、とりあえず参考用に設計してみてね、といったレベルのものでした。実際、後に大幅にその内容は変更され、各メーカー大迷惑となるのです。もっともメーカー側もかなり好き勝手やってたようですが。とりあえず、この辺りもあちらの出版物やWebから情報を拾ってくると、 ■機体重量 22.7t(50000lb)以下 ちょっと重すぎでしょうね…。F-15の要求仕様が18.2t(40000lb)最終段階でも19.3t(42500lb)だった事を考えるとかなりの重量増です。 ■610m(2000フィート)の滑走路でも運用可能なこと 短距離離着陸(STOL)性能の要求ですが、F-16とかならそれほど問題ない数字です。ただし、上の重量の機体でこれをやろうとするとかなりキツイでしょう。 ■戦闘半径距離 1130〜1480q(700〜920mile) 戦闘半径(Combat radius)は基地から離陸して飛んで行き、そこで戦闘して帰還可能な距離のこと。 往復ですから最低でも上の数字の倍以上の距離を飛ぶ必要があります。この数字はかなり長距離でして西ドイツあたりからソ連本土への突入を前提としていた可能性が高いです。ついでに増加燃料タンクの有無の指定は特に無いものの、普通に考えると使用が前提でしょう。この段階ではまだステルス能力を必須としてませんし。そしてアメリカ空軍ですから、空中給油は当然のごとく大前提となってます。 ■アフターバーナー無しの超音速巡航が可能なこと この段階ではSupersonic cruise、超音速巡航と普通の名前で呼ばれています。アフターバーナー無し、すなわち少ない燃料消費での長距離音速飛行を要求しているわけです。すでに見たようにこれはソ連の地対空ミサイル地帯を安全に突破できる能力、という事になります。 ■敵のレーダー、赤外線探知器から認識されにくいこと いわゆるステルス能力です。ただし、この項目の最後に“可能ならば(if possible)”との注意書きがあり、まだ必須の要求項目ではなかったようです。これが必須項目どころか最大のウリになって来るのはこの後からです。ちなみに、この段階でもまだ Low observability 、低観測性技術と呼ばれてます。 ■F-15より維持管理が容易であること これは後ほど完全に無視されますね。ちなみにこの中には暗に調達コストも安いこと、が含まれたようですが、これまた全く無視されてしまうわけです。 といったあたりが1982年の段階で要求された性能でした。 |