すでに見てきたように戦略爆撃こそ生きる道、と考えたアメリカ陸軍航空軍、後のアメリカ空軍でしたが実際に第二次大戦に入ってヨーロッパ戦線で戦略爆撃を始めてみると、恐ろしいまでの勢いでその爆撃機を損失して行くことになりました。これは彼らが全く想定していなかった二つの脅威がそこにあったからです。まずはドイツの強力な戦闘機による迎撃、そして濃密に展開されていたレーダー誘導の対空砲による迎撃でした。 前者はP-51という長距離護衛戦闘機が登場する事で一定の解決が図られるのですが、高射砲による迎撃は最後の最後までアメリカの重爆撃、さらにはイギリスの夜間爆撃に大きな犠牲を強い続ける事になります。そしてその点において大きな影響があったのが警戒、そして射撃管制レーダー、つまり対空レーダー網の存在です。第二次大戦は、人類史上最初の電子戦でもあったのです(ただし日本の空は除く…)。 これらは後に、ベトナムの空でアメリカ空軍を悩ます事になる対空ミサイルと対空砲による陣地の祖先とでもいうべき存在でした。よって最初は現代の防空システムから見ても意外なほど高度な完成度を誇っていた大戦期におけるドイツのレーダー迎撃システムを見て行きましょう。
■ボーイングB-17
世界初の「現実的な」戦略爆撃を行ったのはドイツ空軍であり、バトル オブ ブリテンにおいて爆撃だけでイギリス空軍基地と航空機産業を叩き、これをせん滅するという事を目指しました。ただしこれはドイツがイギリス本土上陸作戦を遂行するため、必要な制空権を確保するのが目的でしたから、これだけで敵本国を屈服させる、という規模のものではありません。その目的はあくまで敵航空戦力を一気に戦略レベルでせん滅するだけであり、最後は従来通り上陸部隊が陸上戦で敵本土を屈服させる、というものでした。 さらに後に行われる事になるアメリカによる対ドイツ戦略爆撃が、この辺りの問題をよりはっきりとさせる事になりました。1943年、アメリカの戦略爆撃を担う第8航空軍は、長い準備期間を経てドイツ占領地区への爆撃準備を終え、その作戦を開始してゆきます。当初、司令部はB-17の高高度性能、さらにハリネズミのごとく搭載されてる機銃の防御でなんとかなる、と判断していました。つまりドイツ軍が「航空優勢」を確保してる地域に護衛戦闘機なしの爆撃機だけで進入することになっても問題ないと考えていたのです。その結果、よく知られるシュヴァインフルト(Schweinfurt)のボールベアリング工場への2回目の爆撃で、記録的とも言える損失を受けてしまうことになります。 とりあえずその対策としてこちらも戦闘機を送り込んで敵戦闘機を殲滅、さらに敵の航空基地も徹底的に叩き、航空優勢を打ち立てることにしました。アメリカ陸軍航空軍の上層部はこれで戦略爆撃は安全に行えると考えたのです。
■第8航空軍 爆撃航空団
●総出撃回数 約4200回 ●総損失 159機 第8航空軍は6日間でB-17(第一、第三爆撃航空団)とB-24(第二爆撃航空団)あわせて延べ約4200出撃(4200ソーティー)させました。参考までに作戦開始時の稼働機数は第一、第三爆撃航空団のB17がそれぞれ417機と314機で731機、第二爆撃航空団のB-24が272機で計1003機でした。 めちゃくちゃな数で、これでタコ殴りにされたドイツこそ気の毒というべきでしょう。ただし1000機を超えたのは初日のみで、以後は二日目の861機が最大でした。そして作戦終了までにB-17を106機、B-24を53機、計159機失って終わります。よって損失率は総出撃数約4200回に対して約3.8%という事になり、先に見たシュヴァインフルトの20.6%の損失率と比較すれば、実に約1/5以下まで激減してます。ここまでは大成功であり、目論見通りでした。 ついでに余談ながらB17の機体損失の方がはるかに数が多いのですが、出撃回数もずっと多いので(B-17 約3090回 B-24 約1120回)損失率ではB-17 約3.4%、B-24 4.7%と逆転します。現場では頑強なB-17が好まれた、という話は数字的な裏付けもあるわけです。 が、これによってもう怖いものは無くなったのか、というとほぼ戦争終盤までそうはならなかったのでした。確かに爆撃機の損害は減ったものの一定レベルから先になると、それ以上、なかなか損失が減らなかったのです。もはや空にドイツ戦闘機を見かける方がまれ、という時期になってもアメリカの戦略爆撃機は一定規模の出血を強いられ続けます。 それは、ドイツの対空兵器、高射砲陣地が頑強なまでに抵抗を続けた結果でした。これはアメリカ陸軍航空軍にとって二つ目の衝撃となります。敵の戦闘機を排除しても完全な空の安全は確保されない、という事になるからです。どんなに相手の戦闘機を破壊しまくっても、それでは不十分なのでした。その兆候は、このビッグウィークの結果にも現れていました。作戦5日目、2月24日に撃墜されたB-17全16機のうち15機については損失の詳細がわかる資料が残ってますので、これで見てみましょう。その内訳は ■戦闘機による撃墜 9機 この段階で、対空砲火(FLAK)によるものが1/3もあったのです。サンプル数が少ないものの、全損失のうち1/3、約33%は敵の航空兵力ではなく地上からの攻撃によるものだった、という事であり、これは敵の航空戦力を封じこめても高射砲陣地がある限り自軍の損失はそれ以上減らすことはできない、ということを意味します。実際、最初に見たように重爆撃機の総損失の半分は対空砲によるとされているのです。つまり重爆撃機の敵は戦闘機だけではなかったのでした。 ここで対空砲が脅威になるのは、あくまでレーダー誘導がある場合なのに注意がいります。地上から数千メートル、つまり数キロメートルも先を高速で飛ぶ航空機に目視で命中弾を与えるのは極めて困難であり、実際、レーダー誘導がなかった日本の対空砲はB-29に対して事実上無力に等しい存在でした(最終的な撃墜率は延べ出撃数の1%台で事故損失の方がはるかに脅威だった…)。この恐るべきレーダー誘導による対空砲射撃を最初に本格導入したのがドイツ軍だったのです。 ■レーダー射撃の命中率 ところが当時のアメリカ軍の指揮官たちはこの点を理解するのにかなり時間がかかっています。戦闘機の脅威は、まあ理解できました。しかしさらに高射砲もだって?高射砲なんて、そんなにパカスカ当たるもんか!といった辺りが平均的な反応だったのです。現実に高射砲による損害は無視できないほど膨大なものだったのに、こういった無理解が対高射砲戦術の採用を遅らせ、損害をイタズラに増やす一因となりました。ただし実は彼らの推論は正しいデータに基づいており、普通にやっていれば確かに高射砲なんてそうそう当たらないはずだったのです。 推論の根拠はドイツ空軍によるイギリスへの航空侵攻、1940年夏のバトル オブ ブリテン中における、イギリスの高射砲部隊の成績でした。イギリスの帝国戦争博物館(IWM)の解説によればこの時、平均18500発(!)を撃って、ようやく1機撃墜、というスコアになっていたのです。「こんなもん当たるか」という状態だったと言っていいでしょう。 ■夜間爆撃でも危険 この結果、より安全なはずの夜間爆撃を行っていたイギリス空軍も1942年春以降、どう考えても異常という損失を出し続けるハメになりましたが、原因はドイツの夜間戦闘機だと思われていた節があります。このあたり、夜間爆撃機は単機で行動することが多いので、撃墜時の目撃証言が残りにくく、撃墜原因の特定はほぼ不可能だったのも一因でしょう。相手がレーダー照準を用いているのなら、夜間でも昼間でも高射砲の脅威は大きく変わらない、という事に気が付かないとこの損失の謎は解けません。 ■1942年 ■1943年 ■1944年 損失は夜間戦闘機による損失も含みますが、いずれにせよ4.5%前後という数字は小さくありません。これは戦闘機の護衛を付けた後のアメリカの昼間爆撃の損失より悪い数字であり、それではより安全なはずの夜間爆撃の意味がないのです。1944年になってレーダー対策が進み、ようやくその損失は2%台になりますが、それでも対空砲による一定数以上の損失は最後まで残りました。ヨーロッパの夜空は昼の空と同じく、ドイツの対空砲火の脅威から逃げられない空だったのです。 ちなみにアメリカ陸軍航空軍は、後に太平洋版「ビッグウィーク」とでもいう戦略爆撃を1945年の3月に日本に対して行っています。3月10日の東京大空襲を皮切りに、大阪、名古屋をはじめとする日本の主要都市を夜間爆撃で叩きに行ったのです。相手がレーダーによる射撃照準システムを持たない日本ですから、この時のデータを見ればレーダーを持たない軍隊相手に夜間爆撃をやるとどうなるか、という結果を見ることができます。そしてこの時の損失は以下の通りです。 総出撃数(sorties) 1570機 この数字も夜間戦闘機による損失を含みますが、いずれにせよイギリスがドイツ相手にこうむった損失のわずか1/3以下に抑えられてしまっています。やはりレーダー誘導射撃の威力はかなりのものなのです。ちなみに後にドイツ対空砲のレーダー誘導に気がついたイギリス軍は自軍でもレーダーによる射撃管制の導入をはじめ大きな成果を上げています。
が、1944年に入ってようやくドイツの高射砲の秘密に気が付いたイギリス軍はこちらも射撃管制、つまり照準にレーダーのデータを使ったシステムを構築してみたのでした。この時の相手は、爆撃機なんかよりもはるかに小型、かつ高速のドイツのV1飛行爆弾です。そして、驚くべき戦果を挙げてしまうのです。ちなみに以下の数字もイギリスの帝国戦争博物館(IWM)の資料によります。
これは極めて小型で、さらに爆撃機などよりずっと高速でしたから、従来の高射砲システムで撃ち落とせるとは思われませんでした。そこでレーダーを射撃管制に組み込んだ高射砲陣地の構築が行われ、その結果として撃墜率は150発ごとに1機撃墜(0.6%)と、なんとまあ、従来の100倍以上にスコアを跳ね上げてしまったのです。これだけ短時間に、これだけ進化した運用システム(高射砲自体はほぼ同じモノなので運用システムだけが更新された)は極めて珍しいでしょう。 ついでに言えば、この時期のロンドンの防空には予備役兵隊どころか、街のオバちゃんやお姉さんまでが駆り出されて担当してました。近所の八百屋のオバちゃんが、レーダーのデータから射撃管制装置で計算した数値通りに砲を設定し「やれやれ、よっこいしょ」と撃っていたわけです。それが国王閣下のプロ軍人、高射砲兵の100倍以上の撃墜率を当時の最新兵器、V1飛行爆弾相手に叩き出してしまった事になります。レーダー照準恐るべしでしょう。 さて、ではそんな強力なレーダー誘導による対空システムを世界で最初に生み出したドイツ軍は具体的にどういった運用をしていたのか、という点を次に見てゆきましょう。 |